もう一度、君を待っていた【完結】
♢♢♢

学校へ到着するとすぐに廊下に張り出された大きな紙に自分の名前を確認する。

騒がしい声を遠ざけるように耳の奥にイヤホンを突っ込んで遮断する。そもそも私に話しかける子などいないことはわかっているのに。
私の名前はすぐにわかった。天野だからたいてい一番最初あたりに名前があるから探すのが早い。

私は2年5組だった。そしてすぐにまりちゃんの名前を探す。

「…」

5組の名前に彼女の名前を発見した瞬間、肩で大きく息を吐いた。
重たいからだを引きずるように、ゆっくりと前へ進む。

あぁ、また彼女と同じクラスだ。どうせ誰が同じクラスでも変わらない、そう思っていたのにやはり心のどこかでは“離れたい”と思っていたのだ。離れたって何も変わらないのに。

呼吸が浅くなって微かに手が震えた。

私が悪いのだろうか、私に原因があるのだろうか。友達は簡単に裏切るし、親は私を理解しようとしない。

自分の思い通りになる人形であることを望む。
もう嫌だ。泣いて叫んで、逃げたいのに

―それすらできない臆病者だ

教室のドアを開けて出席番号順に座る。
私はドアから近い席で前から二番目だった。

キャッキャッと騒がしい空間でやはり一人だけ、私一人だけ浮いている。
隣に座る見知らぬ女の子に「…おはよう」とあいさつをした。聞こえないかもしれない、返ってこないかもしれない。それでも挨拶をするのはいつか誰かがおはようと笑顔で返してくれて、友達になろうと言ってくれる

―そんな淡い夢を思い描いているからだ。

初めて同じクラスになるその子は私と同じようにおとなしい印象があった。
セミロングの髪を二つに下の位置で結んで“学生のお手本”のような髪型をしていた。
目元はくっきりとした二重で周りを窺うような視線が私にも向けられる。

「おはよう、」

その子はほんの少しぎこちない笑顔を浮かべてそういってくれた。
それだけなのに嬉しくなって私も緊張の糸を解いて顔を緩ませる。もしかしたら友達になれるかもしれない。

そう思ったのは、一瞬だった。

「おはよう!」

まりちゃんは、ポニーテールの後ろ髪を揺らしながら私たちのところへ駆け寄ってきたかと思ったらすぐに彼女の顔を覗き込んで

「ねぇ、私たちのグループに入らない?」

といった。
彼女の目が揺らいだのを見た。そして彼女は私に引きつったような顔を向けすべてを悟ったのか

「うん、入る。よろしくね」

そう言った。


ガツンと頭を背後から何かで殴られるような衝撃が私を襲って紺色のチェックのプリーツスカートをギュッと両手で握る。太ももに爪がめり込んで、でも痛みは感じない。心の痛みのほうが強いから。

そのあと、その子が私の方を見ることはなかった。

この一年も私は一人だ。

絶望して、もう早く、…早くこの世を去ってしまいたくて仕方がない。
明日、明日こそ死のう。死に方はどうだっていい。どうでもいい。
“辛かったら逃げていいんだよ”“逃げて逃げてどこまでも逃げて”
自殺防止のポスターを何度か目にしたことがある。その通りだと思う。生きることに絶望してもう死にたくてしょうがない子の命を救いたい。ちゃんと伝わってくる。

伝わってくるのに、死を選ぶことを躊躇しない、できない。何故なら私は生きることから逃げたいからだ。


この窮屈で辛い現実から死ぬことで逃げられるのだ。




この日、私のクラスに転校生がきた。

ガラッと教室のドアを開ける音と同時に新担任と一緒に男の子が入ってきた。でも、正直、そんなことはどうでもいい。一人生徒が増えようが私のこの現実は変わらない。


チラッと私は目だけを黒板の方へ移動させた。一瞬“違和感”があったが、どうでもよくてすぐに茶色い机の木目に視線を移した。


黒板には“波多野朝陽”と書かれていて、名前負けしない爽やかな男の子だった。黒髪から覗く力強い目はどうも苦手だ。そしてすぐにわかる。この人も“あっち側”の人間だということに。
まりちゃんが「かっこいいね、」と隣の子に話しているのが聞こえる。
彼女がこの子がかっこいい、と言ったら数日以内にはその人と付き合っている。いつもそうだ。男子だって可愛くてクラスの中心人物で快活な女の子がいいのだ。


私のように自分の気持ちも素直に伝えることも、言いたいことも言えない臆病者なんか誰も好きになどならない。いいところなんか一つもない。
彼は家庭の事情で転校してきたようで、自己紹介を軽くして私とはかなり離れた席へ座った。

教壇から下りる際、一瞬目が合った。でも私はすぐに逸らした。やはり“違和感”があった。

次の休み時間からは、きっとクラスの中心人物になるだろう。

「今日からここのクラスの担任をする吉田です。僕の担当は数学で…―」

新しく担任になる先生が自己紹介をして、私はボーっと黒板を見つめる。
担当する教科と、名前しか情報が入ってこないのは興味がないからだろう。
例えば、先生にいじめられているといってもどうせ何もしてくれないということを理解しているからだ。

何度か先生に相談したことがあった。でも、どれも私の気持ちを無視したことをして結果、いじめが酷くなるだけだった。最初から期待などしてはいけない。期待した分、私はどん底へ落とされるからだ。
先生が喋っている途中で、まりちゃんが『先生の好きな食べ物はなんですかー?』などどうでもいいことを質問する。
先生だって生徒から嫌われたくないのだろう。中心人物である生徒から質問をされて嬉しそうだ。

ある程度質問タイムが終わり、先生は四角い箱のようなものを教卓の上に置く。

「よし、じゃあ、まずは席替えをしよう。ここに番号が書かれているから」


そう言って事前に用意していたのであろうそれを見せる。
先生が黒板に席の番号を書いて、一人ずつ箱の中の紙を引くように言った。
出席番号順から、ということで私はすぐに教壇の近くまで行く。そして箱の中に手を突っ込み、一枚引いた。

その瞬間、背後から「絶対近くの席になりたくなーい」という声が届く。

まりちゃんの声だとすぐにわかって、私の体が硬直する。多分、私のことなのだ。でも名前は出していないし、文句を言ったって、はぐらかされるだけだ。先生がはっとして私を見る。もうわかっているくせに、このクラスで私がどういう位置にいるのかわかっているくせに先生は「早く席へ戻りなさい」といった。

私は俯いたまま戻った。

震える手を隠すように、右手を左手で強く握った。

私だってまりちゃんの隣になんかなりたくない。
あなただけじゃないんだ、そう心の中で悪態をつくけど本人には言えない。先生の「移動して」の声に合わせて荷物をまとめて席を移動する。


私はドアから一番遠い列の一番後ろの席になった。少し嬉しかった。前だと目立つし後ろの席は全体を見ることが出来るから好きだ。

一番気になったのは右隣と、前の席が誰なのかということだ。私は伏し目がちにあたりを気にするように視線を動かす。でも顔を上げて堂々と辺りを見渡していたらまりちゃんたちにまた何か言われそうだし、窓の外を見る振りをして一瞬顔を上げる。
隣の席の椅子をがたっと引く音がして横目で見た。隣の席は、転校生の波多野君だった。


まりちゃんじゃないことを確認してほっとする。
でも、まだだ。

私の前の席が気になる。窓が開いているから外から風が吹いてうぐいす色のカーテンが揺れて顔にぶつかってきそうになる。

前の席の子は、先ほど私の隣の席だった子だ。椅子を引く際も、座る際も私に視線が絡まないようにしているのが伝わってきて胸が圧迫されるように痛む。

もう挨拶なんかしない。だって私におはようと返してくれて、友達になろうなんて言ってくれる子はいないのだから。余計惨めになるだけなのは先ほどの件で十分学んだ。

平らな机に手を当て、撫でてみるとひんやりとしていた。そして考えていた。
今日は我慢しよう。さぼったりしないで学校で一日過ごそう。
そして、明日、死んでしまおう。だから、今日一日だけ頑張ろう。それが今日の心の支えだ。

明日には楽になれる、だから…―。

「おはよう」

隣の席の波多野君が誰かに向かってそういったのを耳が捉える。随分距離が近い喋り方をするものだなぁと思ったけど、

「聞こえてる?おはよ」
「…」


それは明らかに私に顔を向けて言っているように聞こえる。いや、絶対にそうだ。

それがわかった瞬間、パニックになった。
いったいどういうことだろう。何故私に挨拶をするのだろう。彼は所謂陽キャで、クラスの中心人物になるであろう人だということは一目でわかる。
なのに―…。

恐る恐る私は視線だけを隣の彼に向ける。目が合った。黒髪から覗く先ほど一瞬見た力強いこげ茶色の瞳が私を映している。

苦手な瞳だった。すぐに逸らしてそのままそれを机に向ける。

「おは、よう…」

多分、今日一日私が発する声は今ので最後だと思う。蚊の鳴くような声でそう返した。


波多野君はおそらくみんなと仲良くしようとするようなタイプだから一応私にも挨拶をしてくれたのだろう。きっとそうだ。

でも、きっと明日からはみんなと一緒に無視をするだろう。このクラスの中心人物たちと仲良くなることは安易に想像できる。その時、また私は絶望して苦しくて、辛くて、泣いてしまうかもしれない。

と、ここまで考えて苦笑した。

そうだ、私は明日はもうこの世にはいない。このクラスの人とも会うことはないのだ。
そう思ったら一気に全部がどうでもよくなった。

先生が今後の話をしている。今後と言っても、夏休み前までのスケジュールだ。
私たちの学校は中高一貫の学校で受験に力を入れている。T大合格者数を他の中高一貫の学校と競っているようで、夏休みも夏期講習で結構つぶれてしまう。

テストも多い。五月に中間テストがあるけどその前に再来週模試がある。
と、聞きながら波多野君のことが気になった。
気になったというのは好意とかそんなんじゃない。先ほど挨拶してくれたことでもない。

彼が教室へ入ってきた時から違和感があった。

何だろう、別に変わったことなどないはずなのに。そう思って、彼に気づかれないように頬杖を突きながら横目で波多野君を見た。

「っ…」


ようやく気付いた。その違和感に気づいたとき手に汗が滲み、じっとり嫌な汗が背中に流れるのを感じた。
心臓がバクバクと激しく音を立てて、先生の声なんか耳にもう入ってこない。

見なかったことに、しよう。


だってそれを知ったところで私にはどうすることもできない。

でもこんなに年の近い人で“それ”を見たことはなかった。
どうしてだろう、なんでだろう。

私は今日初めて会った転校生のことが気になって仕方がない。
二時限目からの授業なんかまったく頭の中に入ってこない。

何故ならば、


―彼の頭上に浮かぶ数字は“16”だった。

< 3 / 27 >

この作品をシェア

pagetop