水の神女と王印を持つ者~婚約破談のために旅に出た幼女は出会った美麗の青年に可愛がられてます~
その日、港町では大きな市で大通りには多くの出店と買い物客で賑わっていた。
 小さな身体で人混みの間を縫って歩く影がある。
 その身なりは砂埃に塗れ、小さな顔も泥で汚れて綺麗とは言い難い。
 汚れた外套を被り、顔を隠している為視界が悪い。

「お腹空いたな」
 

ぐぅと空腹になった腹が音を立てる。

 昨日から何も食べておらず、何日も風呂に入れない日が続いた為、全身がベタベタして気持ち悪い。喉が渇いても海水ばかりで飲み水も口に出来ない状態だ。

 ここ数日の疲労が祟って精神的にも肉体的にも限界である。

 早く宿見つけて休まないと……死ぬ。

 人の波に乗り、大きな通りを進む。
 すると蒼子の目の前をフラフラと男が横切る。出店に並ぶ品物を吟味している買い物客とは違い、様子がおかしい。

 観察していると男の視線がある一点で定まった。視線の先では身なりの良い男が店主らしき男と話し込んでいる。
身なりの良い客人を捕まえようと店主は店の品を進めている。店先に並ぶのは真珠や石を使った装飾品で裕福層を狙った店に思えた。
そして不審な男の視線は客の財布に注がれている。重みがあり、かなりの金額が入っていると思われる。

「スリか」

 男が身なりの良い男に気取られないように近づいて行く。

 止めないと……。

 蒼子は男の後を追い掛ける。
 男の手が財布に伸びた。

「駄目」

 男が弾かれたように振り返った。
 寸での所で男の手が止まる。

「盗ってはいけない。そんな事をしても貴方の中に満たされるものはない」

 焦燥が瞳の中に見える。
 視線が定まらずにゆらゆらと揺れ動く。

「何だ? もしや、私の財布を盗ろうとしたのか?」

 身なりの良い男がこちらに異変に気付く。

「何だ?」
「スリか?」

周囲の人々がただならぬ様子に気付き始め、視線が集中する。

「退け! ガキ!」
「うわっ」

 突き飛ばされて地面に身体を打ち付ける。

「いってて……」

 身体を擦りながら顔を上げると男は顔を隠すように人混みの中へと消えていく。
 あっという間にその背中は見えなくなる。

 突き飛ばすのはあんまりじゃないか?

 身体が痛む。疲労が溜まった状態で今の衝撃が更に身体の負担になった。

「大丈夫か?」

 身体を起こせずにいると財布を狙われていた男が身体を持ち上げ立たせてくれた。

「ありがとうございます」

 少しだけ宙に浮いた足が地面に着く。

「こちらこそ助かった。礼を言う」

 片膝を着き蒼子の目線に合わせて男は言った。
 蒼子が思っていたよりも男はずっと若かった。整っていると思われる顔は右目が眼帯で覆われていて黒く艶のある長い髪を頭の上で結い上げ、質の良い衣を纏っている。

「人として当然の事をしたまで」

 男は蒼子を凝視すると怪訝そうな表情を作る。

「……礼をしよう」
「金ならいらない」

財布から金を取り出そうとする男を蒼子は止めた。
薄汚れた格好の蒼子を見ればどこからか流れ着いた浮浪者のように思っても仕方ない。

「できれば宿を紹介して欲しい。高くても安くても良いから安全な宿が良い」

 一刻も早く身体を休ませなければ倒れてしまう。
 若くてこの身なりの良さは貴族か繁盛している商家の息子だろう。
 その辺で適当な人に宿を訊ねるよりはいい宿を知っていそうだ。

「宿を探しているのか?」

 頷くと男は屈んだまま首を捻る。そして立ち上がり、辺りをきょろきょろと見渡して再び屈み込む。

「親はどこだ? はぐれたか?」
「親はいない。一人で来た」
「どこから来た?」
「王都、火露」
「何をしに?」
「人探し」
「もう一度聞くが誰と来たんだ?」
「一人で来た。正確には途中ではぐれた。はぐれた時はこの町で落ち合う約束になってる」

 そう言うと男は呆れたように大きく息を吐き出した。
 眉間に寄ったしわを指でほぐしながら言う。

「冗談を言うな。名は何という? 親を探してやる」
「……もういい」

 めんどくさい。

質問の応酬に疲れた。時間の無駄だろう。
悪い人ではないのだろう。
本気で蒼子を心配してくれている、というよりどう対応するべきか困惑しているようだ。

 蒼子は男に背を向け小さな歩幅で歩き出す。
 身体に力が入らず足元がおぼつかない。

「おい、待て」

 後ろから肩を掴まれそのまま後ろ身体が傾く。
青空を映したのを最後に蒼子の意識は沈んでいった。
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