聖女といえど六度の死亡エンドはうんざり。だから七回目は生き残った上で人生も恋も謳歌する予定です。追伸 暗殺者を憑依させましたので関係者はそのつもりでいて下さい

五度目の人生の死亡地点

「この先に、崖から崖へ渡る橋があってね。その下は川なんだが、どうも川が増水していてその音がすごすぎて馬が怯えているんだ」

 なんてこと。わたしの予想を裏切る斬新な言い訳だわ。

 でも……。

 ガタついている窓を開けてみた。

 たしかに、すさまじい音がしている。先程は、まだ距離があったからそれほど感じられなかったけど、近くできいたらすごい音がする。

「たしか、ウンガロ川ですよね?」
「ああ。この国の重要な川だ。そのウンガロ川の上流地方で、昨夜から大雨が降り始めたらしいんだ。それがいまでも続いている。もしかすると、大雨なんてかわいいくらいの雨量かもしれない。おそらく、その為に川が増水しているのだと思う。上流地域で大雨が降るなど、まずないはずなのだが……」

 彼は月明かりの下、右頬に傷のあるワイルドな美形の眉がひそめられた。

 そう。ウンガロ川は、プレスティ国の六割以上の地域の人々の飲み水を提供してくれている。だから、その上流にある水脈は、厳重に護られている。それなのに、大雨?

「あっ……」

 思わず、声に出してしまった。
 とんでもないことに気がついたからである。

「えっ、なに?」
「ご、ごめんなさい。なんでもないの」

 すぐに謝ったけど、心の中ではそれどころではない。

 水脈は、護られている。では、その水脈を護っているのはだれか?

 聖女、である。つまり、わたし。厳密には、アヤの力を継いでいるわたし。
 昨夜、偽聖女の烙印を押された瞬間から、聖女の結界と守護の力の行使をすべて停止した。

 本来なら、もう一人の聖女が引き継いで引き続き守護するのである。その為に、この国にはつねに二名の聖女がいるのである。

 通常は、二名の聖女はおなじだけの力で行使する。だけど、聖女も人間。女性である。女性としての心身の不調のときもあれば、聖女としての不調もある。そういう場合は、もう一人の聖女が二人分の力を行使する。
 それだけの力を、二人の聖女は持っているのである。

 だけど、もう一人の聖女であるはずの義姉のミーナにその力はない。

 そもそも、彼女こそが偽聖女なのである。彼女は、聖女でもなんでもない。

 これまで、アヤが彼女の分までがんばっていたのである。アヤは彼女を傷つけたくなくって、だまって彼女の分を肩代わりしていたのである。

 もちろん、わたしがアヤに憑依してからはわたしが、であるけれど。

 それを、ミーナは勘違いしている。自分に聖女の力が宿っていると思い込んでいるのだ。

 わたしとしては、こんなまわりくどいことをしなくっても、ミーナとその母親をどうにかすればよかったのに、と思わざるを得ない。

 アヤの父親、つまりクレメンティ公爵がミーナの母親であるマリカ・フィオリーナと出会わなければ、王太子がミーナと浮気をすることはなかったし、舞踏会のときのような茶番もなかったはず。

 とはいえ、クレメンティ公爵は、正妻であるアヤの母親と結婚する前からマリカと付き合っていて、正妻を迎えたと同時に屋敷にマリカと生まれたばかりのミーナを住まわせたらしい。アヤは、そのときにはまだ産まれていなかった。だから、彼女にそれを阻止出来るわけもない。

 それでも、ミーナさえどうにか出来たら、アヤの死亡エンドは簡単に回避出来そうなものだけど。

 もっとも、どうにかしなかったからこそ、わたしも人生をやり直せているのだから、その点はビミョーなんだけど。

 それはともかく、現在は聖女のあらゆる加護や結界がなくなっている。川の上流でありえない大雨が降っていることだけじゃない。今後、この国は様々な災厄に見舞われることになる。

 さて、王太子殿下。荒れに荒れまくる国を、いったいどうするつもりなのかしらねぇ。

 聖女の加護も守護も癒しもないままに……。

「馬たちがあの音に慣れるまで、しばらく休憩をしたい。馬車なんて慣れていないだろう?ずっと起きていたみたいだし、いまのうちにひと寝入りするといい。あ、ちょっと待って。肌寒いかもしれないから、これを使ってくれ」

 彼は、馭者台に戻ると毛布を持って来た。

 扉を少しだけ開けると、それを押し込んできた。

「ありがとうございます」

 意外にも、毛布は洗濯したてのようである。受け取った瞬間、石鹸のにおいが鼻をくすぐった。

 もしかして、これを敷いてその上で楽しんだ後、そのまま死体を包んで川に放り込むつもりかしら?

 彼は、無言のまま扉の前から去り、馬の手綱をひいて馬車を道の端に寄せた。ちょうど林が終わって前方に崖を臨む場所である。馬車の窓からうしろを見てみると、暗闇に木々の暗い影が浮かんでいる。

 いますぐ襲ってこないのかしら?

 気合いを入れて備えていただけに、拍子抜けしてしまった。

 だけど、彼がいつ行動を起こすかわからない。だから、気を抜くつもりはない。

 いま自分がいる地点と周囲の状況を、しっかりと頭に叩き込んでおいた。
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