FOOLという名のBAR

第3夜 THE STRANGER

『いつか、スタレビのいる街で会えたらいいね』と自分で打ち込んだメールにキュンとなったよ」
 と恋次郎は言った。

カシャ
 氷が溶けてグラスに当たる音が響いた。

「お別れに、そんなメールを打ったんだよ」
 恋次郎は、照れ臭くなって苦笑いを浮かべた。
「ふうん、会社の業務用のパソコンからかい?誰かに見られることはないのかい?会社を辞めるのだろう?」
 あたしはグラスの汗を拭いながら言った。
「システム管理の連中にかい?それはないとは思うけど・・・でも、送信してすぐに消したよ。業務内容だけしかメールボックスには残してない」
 カウベルが鳴って客が一人入って来た。
 スリーピースに身を包みベレー帽を被っている。
 細面で唇には菩薩のような笑みを浮かべた男だ。
「すみませんね、折角、ママさんと水入らずのところ、お邪魔してしまったかな?」
 恋次郎は、苦笑して隣の席を進めた。
「あたしと水入らずで、何が楽しいのさ。探偵さん」
「私の調査では、この店のお客様は、ほとんどがママさん目当てのママさんの“しもべ”だということですよ」
「しもべ、ですか?面白いですね」
 恋次郎は、くっくっと笑った。
「ウケて下さいましたか?」
「何、言っているのだい、探偵さん。みんな、この店の居心地がいいってだけだよ」
 あたしは探偵のボトルを用意しながら笑った。妙に人を和ませる男だ。用意したボトルは、Ballantineだ。
「キザだろう?英国紳士を気取っているのさ。だからスコッチ・ウイスキー」
 あたしがグラスにBallantineを注ぐ。
「シャーロック・ホームズに憧れておりまして」
 探偵はベレー帽に手をかけた。
「坊主を辞めて探偵になりました」
 ベレー帽を脱いだ。
 恋次郎は、口があいたまま探偵の頭を見つめていた。
 あたしは声を出して笑った。
 探偵の頭は綺麗に剃られたスキンヘッドだ。
「元、坊主の探偵、七尾探偵社の所長さんだよ」
「七尾霊四郎です」
「恋次郎です。似た名前だけど」
 恋次郎も名乗ってグラスを合わせた。恋次郎は本名ではない。
「菩薩のような笑みが常に口元に浮かぶ理由がわかったような気がしますよ」
 探偵は、スキンヘッドだと言っても凄味があるわけではなく、菩薩のような笑みが似合う優男だ。
「探偵さん、彼は恋話(こいばな)聞かせの恋次郎。いつも切ない恋をしてはここで語るのさ」
「もちろん、恋次郎は 源氏名です。僕は夜の街に出る時には恋次郎と名乗って歩いているのですよ」
「おもしろい、お客の方が源氏名とは、私も最初にそうすれば良かった」
「元坊主の探偵で十分別の顔があるだろう?」
 と言ったあたしに向かって七尾は肩をすくめてみせた。
「ところで、スタレビってなんだい?」
 あたしは勝手に探偵のボトルで自分の分の水割りを作りながら言った。

 グラスを合わせる。
♪ ピアノの音・・・

♪ THE STRANGER

 いつものようにマリアが黒い服でアップライトのピアノを弾き始めた。
 ビリー・ジョエルの名曲。誰だって別の顔があると言う詩がついていることはあまり知られてない。
「スターダスト・レビューというバンドだよ。僕らはそのバンドのファンなんだよ。風の噂で知ったんだ、お互いスタレビのファンだと」
「同じ会社なのだろう?」
「僕がいる街の事業所と彼女の所属する事業所は別の土地で僕らは一度も会ったことがないのさ。仕事上での電話やメールのやり取りもあまりなくて、月に一度位かな、連絡するのも」
「大きい会社だこと」
「寂しいと言えば寂しいね、中途半端な規模の会社は」
「遠距離恋愛ですか?」
 探偵が恋次郎の顔を覗き込む。
「違うのさ、探偵さん、彼は彼女の顔さえ知らないのだよ、恋愛にまで発展してないのさ」
 あたしのツッコミに恋次郎は肩をすくめてみせる。
「ママさん、夢がないことをさらりと言うのですねぇ・・・」
 探偵は静かにBallantineを飲む。
 あたしも肩をすくめて笑う。

♪ THE STRANGER

 いつものようにマリアが黒い服でアップライトのピアノを弾く。
「その愛しい人の調査、七尾探偵社でお引き受けしますよ」
 探偵は、パイプをくわえながら恋次郎に微笑みかけた。
「営業かい?あたしの店の中で?」
「ママさんの紹介なら特別な低料金でやりますよ」
「パイプくわえた、英国かぶれの元坊主の探偵なんて、胡散臭(うさんくさ)いだけだよね?」
 探偵はパイプを持て遊ぶだけで火を付けるつもりはないようだ。
「あの、そのパイプは?もしかして飾りでしょうか?」
 恋次郎は、勧誘には答えずパイプを指さす。
 探偵は満面の笑みを浮かべた。
 あたしは結末を聞く前から声を出して笑ってしまう。
「はい、その通りです、ちょっと探偵らしく見えるかな?と思いまして・・・」
 探偵は頭を撫でた。
 恋次郎も、ついに吹き出してしまった。
「人間、素直が一番です」
 探偵はまた、菩薩のような笑みを口元に浮かべる。
「人間、素直が一番です・・・元坊主という感じだろ?」
 あたしは探偵のアクセントを真似しながらちゃかす。
「私は忍耐に疑問を持ちましてね、素直に生きたいと考えたのですよ」
「心のままに、生きられたら楽ですよね」
 恋次郎は、グラスを傾けてから息をつく。いつも素直な回答をする男だと思った。
「心に嘘をついて生きていると歪みが生じます。結果、少しずつ不満が蓄積され、禍いに繋がる場合がある」
「そうやって愚か者達が道を外れて行くんだよ。探偵さん」
 と言ってあたしは遠くを見る。冬木の顔が浮かんだ。
「でも、彼は後悔してないと思います」
 と、言われたのは恋次郎のことではない。あたしの視線と探偵の視線がぶつかっていた。
「このバーには昔、冬木と言うバーテンダーがいたのですよ」
 探偵はあたしの視線から逃げるように恋次郎に顔を向けた。
 あたしの視線に追い駆けられて恋次郎は軽く咳払いをした。
「聴いてはいけない話のようだなぁ」
「愚か者さ、ただの愚か者なバーテンダーがいたってこと」
「ただ、心のままに愛するママを守っただけだと思います」
 沈黙・・・
 沈黙の中でマリアのピアノ。
 誰のために弾いているのか。

♪ THE STRANGER

 どこか気だるく、そして愛しく、甘く・・・
 マリアのピアノがあれば、これ以上、言葉はいらない。
 探偵も、それ以上は何も語らず、あたしも目を閉じてピアノの音に身を委ねだ。

♪ THE STRANGER
 があまりにも心地よく心に流れ込む夜だ。

カシャ
 氷とグラスが触れる音。

「想う・・・だけでもいいんじゃないですか?」
 と恋次郎は、思わず口にしていた。やはり素直な男だと思った。
 あたしと探偵が顔を向ける。
「そうだね」
 あたしが優しく笑うと、
「なるほど・・・」
 と探偵がうなずく。

「♪会えないよ、今も君が好き・・・だから・・・スタレビの曲なんですよ」
 と恋次郎が、鼻歌混じりに口ずさむ。
 すると、マリアのピアノが恋次郎のハミングに重なって行く。

♪ 会えないよ
 に変わった。マリアのレパートリーはどれだけ広いのだろう。
 マリアのピアノは心を映す。誰かが呟いた。

カシャ
 氷とグラスが触れる音。
「あんたは会社を辞めてしまったから、もう彼女に連絡取れないってことかい?」
 とあたしは氷が溶けてしまった恋次郎のグラスを新しいグラスに変えながら言った。
「会社の業務用パソコンでスタレビファンにしか分からない歌詞を織り混ぜながらのメール会話はまるで暗号だったなぁ・・・」
「会えないからいいってこともあるさ」
 とあたしはため息のように言った。
「風の噂では、とっても美しい人だという」
 恋次郎は、グラスを傾ける。
「会えないから、いい・・・か」
 探偵は、菩薩のような笑みを浮かべながら呟いた。
 マリアのピアノは誰のために弾いているのか?恋次郎なのか、あたしのためなのか?
 誰かのケータイが震えた。
「着信音がなく、バイブだけなのは、その他の一般メールの設定なんです。未登録の。何かの広告だろう」
 と言いながら恋次郎はケータイを開いた。

『スタレビの居る街で・・・会えたら、なんて素敵なの』
 とメールを読み上げる恋次郎の声が弾けた。
「あっあの人からメールが届いた」
「えっ?あんたのケータイのアドレスは知っているのかい?」
 あたしがキョトンとした顔で聞く。
 探偵は、探偵らしくこの状況を分析しようとパイプをくゆらせる振りをする。
「僕は、会社からの最後のメールに、『スタレビのいる街で会えたらいいね』と書いて、最後の最後の行に、僕のケータイのアドレスを入れておいたんだよ」
「キザだね、あんたも」
「ケータイで繋がってしまったのでは探偵の仕事はありませんね」
 探偵はスツールを降りた。
 ベレー帽をしっかり被ると、また会いましょうと言って帰って行く。
「なんて返事をするのだい?」
「『どこかの、スタレビの居る街で』と返信したよ」
「不器用な男だねぇ」
 恋次郎は、肩をすくめて見せた。
「そういうママだって・・・あてもないまま、待つのだろう?それも不器用と言うのさ」
「生意気だねぇ」
 今夜の最後の曲は

♪ THE STRANGER

 誰にだって他人には見せない顔がある。冬木を待つと決めたあたしの顔は表の顔なのか、それとももうひとつの顔なのか?


 ここは、FOOLという名のBAR
 愚か者が静かに酔い潰れるための店

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