お転婆姫は命がけ。兄を訪ねて三千里!
 本来ならば、ただの使者ではなく、王太子自らが使者としてやってきている以上、国王との謁見となるところだが、アイリーンは深呼吸すると謁見の間に足を踏み入れた。
 当然、国王が姿を見せるものと思っていたダリウスは、アイリーンの登場に驚きながらもいつものニヤケ顔でアイリーンの事を見つめた。
「これはこれは、アイリーン王女。私の為にわざわざ姿をお見せくださるとは、光栄としか言いようがありませんな」
 ニヤケ顔には全く似合わないまじめな言葉を並べたダリウス王子に、アイリーンはため息をつきそうになるのを必死に堪えて笑顔で対応した。
「ダリウス殿下、この度は、陛下の使者として殿下自らお運び戴き、突然の事に歓迎の準備もお出迎えの支度も整える暇がなく、申し訳なく思っております。なにぶん、陸の交易ルートが閉鎖されておりますので、ダリウス殿下のお好きな肉料理の用意は難しいかと思いますが、魚介類での歓迎をさせていただくよう準備をさせていただいております」
 実は、肉の在庫はあるのだが、わざと嫌味を言ってダリウスの苦手な魚介類という言葉で、さっさと書状を置いて帰ってくれればいいのだけれどとアイリーンは考えていた。
「それは残念ですな。魚介類はあまり得意ではないのですが、とは言え、これからの事を考えれば、まあ、それも慣れるしかありますまいな」

(・・・・・・・・これからのことって、いったい何を考えているのかしら。まさか、降伏勧告でもして、デロスを併合したら魚介類の料理が増えるとでもいうつもりなのかしら・・・・・・・・)

 顔が引きつりそうになるのを必死に堪えてアイリーンは笑みを浮かべ続けた。
「ところで、陛下は?」
 当然のことながら、ダリウスはアイリーンが自分に敬意を払って会いに来たものと思い込んでいるので、国王が謁見の間に姿を見せないことを訝しむように問いかけた。
「申し遅れました。陛下は、風邪をこじらせておりまして、咳が止まらず、とても殿下にお目にかかれる状態ではございません。そのため、本日は、父の名代として、殿下がご持参くださったパレマキリア国王陛下からの親書を預からせていただき、私から父に手渡すようにさせていただきたいと存じます」
 アイリーンが説明すると、ダリウス王子は目を細めてアイリーンの事を見つめた。
「なんと! 兄王子が名も知れぬ奇病を発症されて二年。その上、父王まで病でお倒れになるとは、姫も災難続きでございますな」
「お心配り、誠にありがとうございます。兄の具合は一進一退、まったく治療のめども立たない状態ではございますが、父は、ただ風邪をこじらせ咳が止まらないだけでございます。パレマキリア国王陛下の名代として来訪くださったダリウス殿下に、万が一、風邪を移すようなことになりましたら、大変でございますから、あくまでも、大事を取っての事でございます」
 アイリーンは平静を装って答えた。
「左様でございますか。それであれば、一日も早いご快癒をお祈りいたしましょう」
「お心遣い、痛み入ります」
 アイリーンは軽く一礼した。
「陛下ではなく、姫ご本人が謁見の間にいらっしゃるのであれば、いちいち書状を手渡してなどという回りくどいことをする必要はなくなったと、私の方も気が楽になりました」
 ダリウスが何を言い出すのかわからないアイリーンは、不安が顔に現れないように注意しながら、笑顔で取り繕った。
「父からの親書は、此度の両国の国境線での小競り合いを円満におさめる為、パレマキリア王国とデロス王国との間に恒久的な平和をもたらすための提案でございます」
 ダリウス王子は堂々と得意げに言うが、アイリーンにしてみれば、勝手に軍を展開し、他国の領土に攻め入って来たのはパレマキリアの方で、本当に悪いと思っているなら、とっとと兵を退いて国境の陸路を使用できるようにしてくれればいいだけなのにと、今にも言葉が口からこぼれそうだった。
「さすが賢王と名高いパレマキリア国王陛下、両国の恒久的な平和は両国の民にとって何物にも代え難いもの。心より感服いたします」
 内大臣がアイリーンの忍耐が切れないうちにと、会話に切り込んできた。
「そう致しましたら、書状を戴いてもよろしいでしょうか?」
 アイリーンは顔が引きつる寸前のところで我慢してダリウス王子に歩み寄った。しかし、ダリウスは書簡を出そうとはしなかった。
「ここにいる全員が書簡の内容の証人となることをお忘れなく」
 意味深に言うダリウスに、アイリーンは嫌な予感しかしなかった。
「私、パレマキリア王国、第一王子にして、王太子であるダリウスは、国王陛下の名代として、両国の恒久的な和平条約締結のため、デロス王国第一王女、アイリーン姫との結婚をここに申し入れる。これは、父王の意向であり、アイリーン王女がパレマキリアに嫁ぐことにより、両国は恒久的な不可侵条約を締結する事とするものである」
 その場にいた全員の顔が一瞬のうちに引きつり、さすがのアイリーンに至っては表情が固まり全身に嫌な汗をかき始めた。
「ダリウス殿下と姫の婚姻でございますか?」
 さすがの内大臣も素っ頓狂な声を上げた。
「ダリウス殿下、既にご存じとの事と存じますが、アイリーン王女は既に婚約されております」
 内大臣の言葉に、ダリウスが不敵な笑みを浮かべた。
「そのことは存じておる。父王より、再三にわたり、私と姫との婚約を申し入れているにもかかわらず、それを無視するかのように姫の降嫁を決定され、国内外に婚約の発表をされたことに、父王は苦渋を飲まされたような気がすると漏らしていらしたほどだ」
 さっきまで被っていた猫が脱げ落ちたのか、ダリウスの気配が剣呑になり、言葉遣いもアイリーンの嫌いな独善的な響きを多く含むように変わりつつあった。
「そこらの小国ではなく、多少とはいえ、国境を接する大国であるパレマキリアから和平条約の締結と姫との婚姻の話を申し入れているにもかかわらず、もとはと言えば、パレマキリアの一半島に過ぎない土地に仰々しく神殿を立てた挙句、王国を名乗るなど、片腹痛いにも程がある。本来であれば、デロスの方から頭を下げて姫を差し出し、和平を願い出るのが筋であろうに」

(・・・・・・・・はじまった。この自国至上主義のナルシスト王子。イエロス・トポスにある神聖なる歴史書にも、デロスは海に浮かぶ島で、半島ではないと書かれているのに。イエロス・トポスの使者たちは、海を渡りデロスに海の女神の神殿を建設したと書いてあるのを無視するのはパレマキリアくらいだと知らないのかしら、この井の中の蛙! どっちかって言うと、カエルというよりは、バッタ顔な気はするけど・・・・・・・・)

 心の中で精いっぱい悪態をついていたアイリーンは、いつの間にか話の矛先が自分の方に向いていることに気付かなかった。
「聞けば、姫の婚約者は近衛の隊長風情とか・・・・・・。このパレマキリアの王太子と比べるのも烏滸がましいとは、思いませぬか、姫?」

(・・・・・・・・えっ? 私? しまった、聞いてなかった・・・・・・・・)

「それも、病に伏した第一王子の親友だとか・・・・・・。明日にも、その婚約者が奇病を発しないと、誰が保証できるというのです? もともと、狭い半島の中で、ちまちまと近親婚を続けていたことによる奇病ではないとも言えなくはあるまい?」

(・・・・・・・・あ、駄目だ。このまま行ったら、本当のことを言ってしまう・・・・・・・・)

「失礼ながら、ダリウス王太子殿下。私への誹謗中傷は聞き流させていただくが、ご病気のウィリアム王太子殿下を愚弄するようなお言葉は、聞き流すわけには参りません!」
 アイリーンが切れる前に、アルフレッドが言葉を挟んだ。
「黙れ! 誰の許しを得て、たかが近衛風情が王族の会話に口を挟むつもりだ!」
 ダリウス王子はピシャリとアルフレッドの存在を消し去ろうとした。
「自分は、陛下の名代として、パレマキリア王国勅使として訪問されたダリウス王太子殿下との謁見を行われるアイリーン殿下の婚約者として、本日の会議に出席しております。失礼ながら、近衛の隊の隊長として出席しているわけではございません」
 アルフレッドは一歩も退かずにダリウスと睨み合った。
「ダリウス殿下、念のために確認させていただきますが、和平への条件はただ一つ、アイリーン殿下との婚姻で間違いございませんか?」
 火花を散らせる二人の間に内大臣が割って入った。
「如何にも。姫との婚姻による和平条約の締結に関しては、再三、パレマキリアより申し入れていること。初耳でもあるまい!」
 今まで何も聞いたことの無かったアイリーン一人が、会話に取り残されている気がした。
「既にお話しさせていただきましたとおり、姫は既に、そこにおりますレザリヤフォード伯爵家の嫡男、アルフレッド・ミケーレ・フォン・ブラウンと海の女神の前で正式に婚約致しております。万が一、ダリウス殿下と姫の婚約、並びに婚姻が成らなかった場合、両国間の関係をどのようにお考えでございましょうか?」
 内大臣の問いに、ダリウス王子が加虐的な笑みを浮かべた。
「そのようなこと、今更、確認するまでもあるまい?」
 ダリウス王子の言葉に、内大臣の背中を冷たいものが流れていった。
「速やかに海路を封鎖の上、全軍を以て武力にてデロスを併合する。立ち向かうものは、女子供、動物であろうとも、捕らえ次第、速やかに処刑する」
 アイリーンは目の前が暗くなるような気がして、一瞬、よろけそうになったのを素早くアルフレッドが支えた。
 しかし、ダリウス王子は無遠慮にアイリーンに歩み寄ると、アルフレッドから奪うようにアイリーンを抱き寄せた。
「デロスが国として残る道はただ一つ。姫が私の妻になることだ」
 ダリウス王子にしてみれば、甘く囁いているつもりなのだろうが、アイリーンには死刑宣告にしか聞こえなかった。
「どうする? そなたが、この話を断れば、地図の上からデロスが消えてなくなるだけではないぞ。反抗的なデロスの民の殆どが処刑されることになるだろうな。そうなれば、もはや海の女神の神殿ではなく、元デロス国民の霊廟とでも名を変える必要が出てくるのではないか?」
 面白くもない冗談なのに、ダリウス王子は楽しそうに笑身を浮かべて見せた。
「そのような非道なことをイエロス・トポスが許すはずはありません」
 アイリーンは必死に虚勢を張って言った。
「イエロス・トポスが許さない? どこの国にも属さぬ非武装の民が何をしてくれると言うんだ?」
 ダリウス王子は鼻で笑うように言った。
「イエロス・トポスには、列強六ヶ国がついています」
「確かに。イエロス・トポスが侵攻されたのなら動くだろうな。だが、ここはデロス。イエロス・トポスではない」
「海の神殿での務めが疎かになれば、海が荒れ、沿岸の国々には被害が及びます」
「ただの言い伝えだ」
 アイリーンはダリウス王子の本気を悟った。
「おはなし下さい。私は婚約者の有る身。このような公の場で、婚約者以外の殿方の腕に抱かれていては、醜聞に成りかねません」
「強気だな。声を上げて泣き出すかと思ったが・・・・・・」
「これでも王族の端くれ、王族が涙を流すのは国葬の時だけです」
 アイリーンはダリウス王子を押しのけるようにして言った。
「その強い鼻っ柱を力ずくでへし折り、我が物とするのが楽しみだ」
 言うなり、ダリウス王子はアイリーンをアルフレッドの方へと突き離した。
「一切妥協はない。覚悟して答えを決めるのだな!」
 ダリウス王子は言い放つと、案内も請わずに謁見の間から出て行った。
 今にも、足下の床が崩れるのではないかと言うくらい、アイリーンの足元はおぼつかず、その場に座り込みそうになるのをアルフレッドが必死に背後から支えていた。
「姫様、如何なさるのです?」
 内大臣がアイリーンに向き直り、アルフレッドに支えられているのを確認すると、内大臣は一旦場所を閣議の間に移すと宣言し、アルフレッドにアイリーンを部屋に連れて行くように指示した。
 しかし、アイリーンは一緒に閣議の間に移動することを望み、アルフレッドに支えられて閣議の間へと移動した。

☆☆☆

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