断片集

「へぇ」
「……それで。あなたもきっと、絶対、もう一度歌えます。だから!」
まだ世界は未知が溢れている。
だから。だから。
それでも。
なぜだか、不意に泣きそうになって、堪える。
ぼくが何かを言いかけて、彼女は目を見開いた。
そして、静かに呼吸をすると、目を閉じる。
微笑んでいた。
「ええ、そうね」

時間を持て余して、廊下の隅に、自由に読める本棚があったので、そこにあった小説を開いた。最終巻だったが、特に気にせず開く。平等……と、いうわけじゃないけど、いろんな人が平均的に出てくる話で、そういうのはわりと好きだ。
価値観が平等に偏っているというか。
すごい人、とそうでない人がはっきりグループ分けされる、みたいなのは、なんだかなって思うから、そうじゃないというか、ごちゃごちゃと混ざっている話は好きだった。
なんだか。
ありふれたみたいで。
嬉しいから。
この辺、上手くいえないけど。
だから、
もしかしたらって。
「おい、一巻、こっちにあるけど」
そういえば居ないなと思っていたら、気付いたら、ナツがそばに居て、声をかけてくる。
「それが?」
わからない。
最初に読むのが最後の話だっていう、その程度のことがなんなのだろう。
首を傾げると、それ、読んだことあるのか、と聞かれた。何回も読んだ。
3回くらいで頭の中で読めるようになったので、脳内書籍というものが出来そうだ。
「でも、何巻から読んだって、それは読者の自由じゃないのかな」
この話だって、途中から読んでも、つまらないと思って途中でやめても、ぼくはいっこうに構わないし、事実には勝てないから事実とは戦わない。
「そうだけど」
そいつは、解せないという表情で眉を寄せる。
「設定を忘れないように、最終回を読んでから、1巻に戻ったりしてもいいじゃない。この話だって、ちゃんといつも前回の前フリをしていたよ。語ることを忘れるからなんだ。だからあの人や、あのひとが登場しているわけ。なんで、そんなことで不満そうなんだよ……意味わかんない」
「お前がわかんねえよ。ネタバレとかは」
「え? そんなのどうせバレるじゃん。別に、順番とか気にしないよ、なんなら、最終話の後で、第5話を始めても、余裕だし。ただ並び替えれば良いだけじゃないですか」
「そうだけど……」
なんだか、がっかりしたような目をされた。
なんでだよ。
「それにしても、良かった。普通に話してくれるんだな」
そいつは言う。
ぼくは、何の話か少し考えて、やがて思い当たる。
「ああ。それで?」
「いや、嫌われていると、思っていたから」
「は?」
こいつは何を、言っているんだろう。
本当は好き嫌いなんて、別に持ってさえもいない。
混乱する。
ナツは、固まる。
「だって、似ている人が……居るって」
そう言って、ナツは少し昔の話をした。
そういえば、言ったのだったか。
そんなことを。
「いや……でも、それはただの、言葉だろう? 意味わかんない」
心外だった。「え」
ナツが固まる。
「ぼくが何か言ったってさ、そもそも、そんなの別に占いみたいに、誰にでも当てはまる言葉だろ? どうしてそんな、逐一、気に出来るんだよ。自分を苦しめて何か楽しいのか。お前は、ぼくが適当に言った言葉で死にでも行けるのか? もっと都合よく捉えろよ」
なんだか、頭が痛くなってきた。
どうしてこう、こいつは悪い方にだけ自意識過剰なのだろう。
いいことや、面白いことについては、前向きに考えてくれないのだろうか。
「誰に似ていたんだ?」
「××。少し、喧嘩していた時期だったな、別にだからって消えろと言ってるわけでもない」
曖昧だった。なんだか、ところどころ、霞がかかっている。
「ただ単にその人が、似ているだけだし。きみとは本当に何も関係ないんだ」
「『このお話はフィクションです、実際の人物、企業、団体とは何の関係もありません』の重要性を、これほど再認識するとは思わなかった」
「あれ、小さい子には『フィクションってなんだよ!』ってなりそうだよな」
「その人が、嫌い、なのか」
「わかんない。でも。寂しかったな」
「なんで」
「いつも大好きでないと、いけないから、だよ」
「え」
「ぼくは、家族なんて、よくわかんないんだ。でも『家族だぞー』っていうノリを、押し付けられて、断れなくてね。一人で、こっそり泣く時間さえもあまり無くてさ。悪い人じゃなかったけど。家族って、こんなベタベタしてるものか? って感じ。断ると怒られるんだぜ『俺が何かしたのか!?』いや、何もしないでくれ。みたいな」

家族って、そんなに、いつもベタベタしてなきゃだめか?
そう思った。
息苦しいな。
人と人との関わりが、たまに、気持ちが悪くて。
気分を害したって意味じゃなく、理解できないのだ。
なんで関わるの。みたいな。
寂しくなって、でも、その寂しさは『誰か』に頼らなきゃいけない。

「そうか」
ナツは、何か言いかけた。
「ほら」
と、遮ってから、ぼくは言葉を区切って、付け足す。
「まるで自分の話みたいに、感じるだろう?」
そいつは、固まっている。
「でも、それだけのことだから」
ぼくは笑う。
そいつは、ただ、目を見開いている。
「誰にだって、当てはまる。なんでも自分だと思うのはやめて欲しい。疲れてしまうよ。言葉は、言葉だ。切り離してくれ」
「…………」
「でも、ごめん。言えばよかったな」
「なに、が」

「本当は嫌だった。いちいち構わないで、って思ってた。苦しくて苦しくて苦しくて、いやだって言ったら傷つけそうで、でも、ぼくはずっと、その弱さに、いつも、毎日、傷付いてた」
「…………」
「平気だって、嘘をついてた。そしたらきみは傷付かないと思った。でも、結局同じだね。だから、言うよ、本当のこと」
「…………」
「ぼく自身のことには、触れないで欲しかった。迷惑だと思った、きみが想像するよりずっと、きみが話しかけてくることに傷付いていた」
「…………」
「それを知られたくなくて、逃げようと思った。もう限界だった。きみは、優しいから誰かが庇ってくれると思う。ぼくは、誰も居ないし、誰も助けてくれないから」
「…………」
「そんなに『おかしい』んだな。って。きみが構ってくるたびに、ぼくは、そう思った。だから、いやだって言ってるのに。きみは自分が傷付いているかどうかってことしか考えてない。ぼくが、何を思っているか、なんて……聞かないとわからないんだね、やっぱりさ。それくらい。違ってるんだね」
「…………」

でも関係ないのに、そう思わせてしまったのだろうか。
変な状況を作ってしまったな。

そう思ったとき、思った。いっそのこと、それでもいいかもしれない。
そうしたら、放って置いてくれる。
ぼくが、傷付いているよ、なんてことを、言わなくって済むよね。
自分の痛みよりも、他人の痛みに傷付くようなやつに、聞かせられないじゃない。

「おかしい、なんて」
そいつは、少しだけ、困ったような顔をする。

「けど、別に、きみ自身には、何も思ってない。何度も言っているよ。ぼくはね、本当に人間には興味ないんだ」
「…………」
「でも、ぼくには近づかない方がいい。いつも、痛そうな顔をしていること、自分では、気付いていないのかな」
「…………」
「そんな目をして、ぼくの近くに居ないほうがいいからさ」
逆に、傷付くよ。
ぼくは、勝手に傷付いていくから。
何気ない優しさも気遣いも全て、異常者って言われているみたいに感じて全てがぼくを追い込んでた、きみはぼくを傷付けまくってたよ、なんて話、とてもじゃないけど、言えないだろう?
だったら、出て行くしかないよね。
傷つけてでも、遠ざけるしかないのだ。
だって、そうしないと、わからない。

「寂しくは、無いのか」
聞こえたのは戸惑っている、弱弱しい声だった。
少しも迷わずに、はっきりと言った。

「無いよ」

「なんだか、ややこしくしてしまったな。結局、嘘を付く方が、混乱するだけだよね」
でも、ぼくに万が一嫌われたところで、そもそも、別に死ぬわけでも無い。
それほど価値のある人物でもないので何か差し支えるわけでもないだろう。
ふーんって感じで、それほど気にする価値がない気がするんだけど。
「あなたなんて嫌いよ!」
「え、そう? じゃ、いいやー! まったねー!」って。
ほら、それで、一瞬で片付くじゃない?
別にそれでも、必要があれば関わることはあるだろうけど、それはたったそれだけで、そのとき仲直りでもなんでも出来るし。


そいつを残して、ぼくは歩いた。
床に、何か、四角の中を横切ってゴールする感じの白い迷路みたいなものが落ちていたので拾ったけど、なんだか、もう解いた後みたいな感じだ。
矢印が、ぐにゃぐにゃと四角の中に描かれている。
こんなところで、誰か迷路でもやっていたのだろうか。
ポケットに入れて、それから、ぼんやり、空をみた。青い。
「…………」
なんだか、胸が痛い。何度も言っている。何にも、誰にも、関係ないのに。
どうして勝手に判断して、勝手に傷付くんだろう。
逐一、そんな風に、捉えられるなら、何も言えなくなる。
もう一度、プレルームに足を向ける。
ビリヤードの台の横をすり抜けて、もう一度、モグラ叩きの場所までやってきた。


「じゃじゃーん」
と。
廊下の途中で、お団子頭を見かけたと思ったら、ユキとすれ違った。
「ああ、久しぶり」
「朝会ったじゃろう」
「そうだったね」
そいつは、やがて提げているポシェットから、なにやら取り出す。
「何、それ」
四角い、細長い筒と、小さな丸いバッジみたいな……
「これは、盗聴するものと、受信機じゃ」
「はぁ」
なんで、持ってるんだ?
「スパイ映画に憧れてな、この前買った、それなりなやつなのだが、使い道が無くてのぅ」
「へー」
「何かにつかえないかと思って」
得意げである。
「それ、使っていい?」
聞くと、ユキは目を丸くした。
「え?」


モグラ叩きをするのを中止して、地下に向けて階段を降り、ボイラー室とかあるほうへ歩いていくと、道の途中に二人組の片方を見つけた。
やっぱり、人気の無いこの辺にいるような気がしたんだ。
しかしもう片方はどこだろう?
男がこちらに背を向けてなにやら電話していた。
「3が、どうにも見当たりません」とか、「鍵は持ってきてると思いますが」とか、「本当にここに隠したんですか?」とか言っている。
いや、電話、だろうか?
四角くて、大きくて、なんか今時見たことの無い形だけど、電話の一種かな。
チャンスとばかりに、ぼくはそいつの持っていた手提げの鞄の前ポケットに、すれ違いざまにさりげなく盗聴器を入れておいてから、それとなく「あれー道に迷っちゃったー」的なこどもを演じておいたが、特に怪しまれなかったし、実際、上にどう戻るんだったか本当に忘れかけてしまったので焦った。

バレないように離れるのは勇気が必要だったけれど、どうにか上手くいったみたいで、まだ心臓がどきどきしている。
階段を上ると、地上(?)でユキが待っていた。
「やあ」
「ああ、ただいま」
「お帰りなさい。何をしていた?」
「道に迷った」
「……相変わらずじゃの」
「ライブは?」
「少し前に再開しておるが。でも、質問コーナーとやらで、退屈だから。こちらに来た」
「そうなんだ」
受信機のスイッチを入れて、自分の衣服の中に隠しておく。
今のところ、何も拾えていない。
階段を上って降りている音くらいだ。

「んじゃ。暇だから、遊ぼっか」
言うと、ユキは大きく頷いた。
二人でしばらくモグラを叩いた。
ユキが400点を出したあたりで一度休憩。
近くにあった自販機で、トーストを購入して二人で食べた。
アルミ箔をめくって、熱々のパンを齧る。
どこか、奥のほうから、リズミカルな振動が、縋っている壁を伝ってくる。
恐らくステージで歌っている古里さんの声を聞いて、ああ、アイドルだなーと思う。
普段は、ただのお姉さんって感じだけどね。
あるようないような、でも別に斬新って感じでもない、そんな恋愛ソングが聞こえる。
二人で出会った浜辺、懐かしいあの陽射しに照らされて。見つめあう……

二人で自販機で出会ったトーストに齧りつきながら、バターの味に魅了されて、二枚目を購入。
いただきます……

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