虜にさせてみて?
「嘘ウソ、泣かないでよ? 今日みたいに無理矢理、連れて行ったりしないから。……せめて、ひよりは幸せになって。な?」

駿は私の頭をポンポンッと軽く叩きながら、悲しそうに笑った。

口元は笑っているのに、目は笑ってなくて、その後はしばらく黙っていた。

チラッと見る駿の横顔。

駿とは、あのバーで出会ったんだ。

仕事にも慣れて来て、同期の皆で仕事終わりに行ったのがきっかけ。

駿は若いのにマスター(経営者)らしく、気さくで皆に話しかけていたよね。

――あの日を境に私と駿の関係が、お客様とマスターから”恋人”に変わったんだ。

実際には私にとっては恋人でも、駿にとっては都合の良い女だったんだけれど。

「バス待ってるの?」

雪の日だった。

「乗せてってあげる」

オーベルジュに勤務して、初めての冬。

夏は過ごしやすい気候だが、冬は雪深い。

雪の量が多いので、除雪車が雪を掃いても、掃き切れずに次の日はガチガチに凍ってしまう。

免許を取って一年も起たない私が、そんな雪道を運転出来るハズもなく、1時間に一本程度のバスを待っていた。

「あっ、有難うございます。でも……」

「俺は街まで降りるよ。だから遠慮しないで大丈夫だよ」

「じゃあ、遠慮なくお願いしようかな。では、お、お願いしますっ」

バーに行く度に駿を見てはドキドキしていた私は、更にドキドキしている。

ドキドキしながらドアを開けようとしたら、手がかじかんで開かない。

力を入れたら、「きゃあっ!」と甲高い声を出しながら氷の上で転んでしまった。

「大丈夫?」と言って、すぐに駿は駆け付けてくれたけれど恥ずかしさで顔があげられなかった。
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