竜帝陛下と私の攻防戦
 居間の襖を開き、椅子へ座る佳穂の背中へ声をかけようとベルンハルトは口を開き、閉ざした。

 襖に背中を向け椅子に座っていた佳穂は、テーブルに突っ伏して寝入っていたのだ。
 よくこんな姿勢でよく寝られるものだと呆れつつ、佳穂の着ているパジャマの襟首を掴み後ろへ引っ張り体を起こさせる。

「んっ」

 息苦しさに顔を顰めた佳穂を椅子の背凭れへ凭れ掛からせると、彼女はむにゃむにゃと口を動かし再び穏やかな寝息をたて始めた。

「鈍い上に脆い体だ。所詮、只人か」

 自分に危害を加えるかもしれない男が側に居るのに、全く気付かないとは。
 しかも、触れた首は片手でへし折れそうなくらい細くやわらかい。
 眠る佳穂の肩と腰へ手を回し抱き上げる。華奢だと感じていたとはいえ、抱き上げた彼女は驚くほど軽かった。

「こんな弱い女に心臓を握られる羽目になるとは」

 片手で顔を覆ったベルンハルトの口から、クククッと笑い声が漏れた。

 魔力を持たず、武力も無しに等しい戦う術を全く持っていない女。
 元の世界だったならば、反意を持つ者達に知られぬように強固な結界を幾重にも張った牢獄の奥へと永遠に閉じ込めておくか、ヒトの寿命に振り回されないよう生きたまま魔石に閉じ込めて、女の時間を止めておかなければならなかった。
 抱き上げて間近で観察していた佳穂をソファーへ下ろす。

「厄介だが……これはこれで面白い」

 竜王の血と力を継いだ自分は、大概のことは難なくこなし手に入らないものなど無かった。
 謀反を企んだ割には、大した反乱も起こせなかった兄には期待を裏切られ物足りなさを感じていたが、この世界は自分の知らない未知のもので溢れている。

 心臓がつながったことは厄介だと口に出しつつ、後宮に居る媚び縋り寵を強請る女達とは全く違う、香水も化粧も纏わない地味で平凡な女。
 自分が近くに居ても全く気付かず、無防備に寝入るこの女はどこまで自分を愉しませてくれるのかと、ベルンハルトは口角を上げて笑った。



 ***



 正午近い時間まで思いっきり爆睡していた佳穂は、小さく呻いて目蓋を開いた。
 窓から射し込む陽光の眩しさで開きかけた目蓋を閉じ、自分が眠っていたのが居間のソファーの上だと気が付く。
 ソファーで横になった記憶は無く、不思議に思いながら起き上がると顔を洗いに洗面所へ向かう。

(はぁ、こんな時間まで寝ちゃうとはなー。今日が夏休み中で良かった。休みじゃなければ午前中の講義が全て欠席になるところだったな)

 ドンッ!

 欠伸をしながら洗面所へ行く途中の廊下に、急に現れた壁に顔面を強かぶつけてしまい佳穂は痛む鼻を片手で押さえる。

「ぎゃっ、」

 ぎゃあっと、上げかけた悲鳴は何とか喉の奥へ押し込めて飲み込む。
 ぼんやりして歩いていた佳穂の前へ、浴衣を着た銀髪蒼眼の絶世の美形が空き部屋から現れたのだ。
 何で男が此処に? と、混乱しかけた佳穂は数秒考えて、ようやく昨夜のことを思い出した。

 銀髪の彼は、何故か佳穂と心臓が繋がったらしい異世界の皇帝陛下。
 陽光に輝く銀髪と、はだけた浴衣の胸元から覗く肌色が眩し過ぎて直視出来ない。

「お、おはようございます? こんにちは? お腹空いています? それとも、わた、はっ!」
「ああ?」

 寝起きでも完璧、髪が乱れているのも綺麗だと思える男性に寝ぼけた顔を見られて焦り、佳穂は支離滅裂なことを口走りそうになって口を嗣ぐんだ。

 慌てて自室へ戻り、寝間着から少しは見られる服へ着替えて身支度を整えた佳穂は、簡単な昼食として素麺とたっぷりの薬味を用意してテーブルへ並べた。

「なんだこれは」
「素麺という、茹でた麺です。とりあえず食べてください」

 素麺と大量の薬味を見て怪訝そうな顔をするベルンハルトは、箸の使い方を一回教えただけで完璧な箸使いを見せてくれた。
 叔父の作務衣を着たベルンハルトは、洗面所の使い方もテレビの説明も直ぐに理解してリモコンを使えるようになるし、異世界の皇帝陛下は多方面でチート能力をお持ちらしい。

(綺麗な容姿、地位も権力もある皇帝陛下か。どうして私がこの人と繋がっちゃったんだろう)

 この国では一般的な黒髪黒目の可もなく不可でもない平凡な顔立ちをした自分。
 身長も平均的、スレンダーとは名ばかりで悲しいことに胸は平均以下というのに。
 眩しいくらいの美貌と非凡な力と権力を持つ、皇帝陛下が異世界転移してくるような存在でもないのに。

 昨夜からの非現実的な出来事を、頭では理解しようとしていても心が受け入れきれずに、卑屈な気分になってきた佳穂は深い息を吐いた。
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