竜帝陛下と私の攻防戦
「ちょっ、観光する気満々ですか? ベルンハルトさんは皇帝陛下でしょう? 国を離れて臣下の人とかお仕事は大丈夫なの? それに、家族が心配しているじゃないですか? えっと、奥さんとか恋人とか」

 パチンッ
 ベルンハルトが軽く片手を振り、虹色の玉は一斉に弾けて消えた。

「俺の不在程度で崩れるほど帝国は脆弱ではない。それに、心配する家族など、妃と呼ぶ女はいない」
「そうなの? 皇帝陛下っていっぱい女の人を囲っているのではないの?」

 心底意外だと、目を瞬かせる佳穂が気に食わなくてベルンハルトの機嫌は急降下していく。
 このような反応を見せた者達が次に考えることなど、手に取るように分かるからだ。
 予想通り、佳穂は顔をひきつらせて後退った。

『男色趣味は無い』

 殺気を込めて佳穂を睨むと、彼女は眉尻を下げた今にも泣き出しそうな情けない顔になった。

「後宮には妃候補を狙っているらしい多数の女達が暮らしているが、俺にとっては後宮の女は性欲処理か義務で抱くだけ、それだけの相手だ。皇后になるという欲を持ち、媚びて近付いて来る女達には食指は動かん。後宮に一定の女が必要だからは置いているだけだ。それ以外は、俺に叛意を持つ者の炙り出しには使えるか」
「ちょっ、性欲処理とか最低発言!」

 妃にはなれない女達の役目を伝えただけなのに、佳穂は嫌悪感を露にして思いっきり嫌そうな声を上げた。

 心臓が繋がってしまっても、お人好しなこの女よりも優位に立てるだろうと思っていたベルンハルトの感情が僅かに揺らぐ。
 何故だ、と考えて直ぐ答えは見つかる。
 今まで、皇帝であるベルンハルトへ真正面から嫌悪の感情をぶつける女など、側には居なかったせいで扱いがわからないのだ。


 気まずい空気が二人の間に流れ、どうしたものかとベルンハルトが内心舌打ちした時、意を決したように佳穂は口を開いた。

「あの、ベルンハルトさん。この後、買い物に行こうと思います。一緒に来てもらってもいいですか?」
「買い物?」

 恥ずかしそうに「ベルンハルトさんの服を買いたい」と宣う佳穂に対して、何故そこまで自分の世話を焼こうとするのだと呆れてしまい何も言えなくなった。
 佳穂の言動には裏があるのでないかと警戒しながらも、ベルンハルトがこの世界を知るためにお人好しで警戒心の緩い女を利用すればいいという結論に達し、彼女の申し出を了承するのだった。



 ***



 和装というガウンの様な服に着替えさせられ、佳穂の支度が終わるのを待つ。
 生れてから今までの間、誰かの支度を待つことなど初めての経験だった。待つという行為は時間が長く感じられて、何度も壁にかけられた時計を見る。

「お待たせしました」

 買い物へ出掛けるために髪を整え、小花柄のワンピースを着て化粧を施した佳穂は一瞬別人に見えた。
 幼い顔立ちは化粧によって可愛らしいと言えるものに、小柄な体の線を強調するワンピースの裾はふんわり広がり、スカートから覗く白い太股が妙に艶かしく見え、触れて感触を確かめたくなる。

(色気の無い女だと思っていたが、女とはこうも化けるものなのか)

 化けたところで、性的対象には成り得ない佳穂には食指はさほど動かない。だが、ベルンハルトの側に寄ってくる女は化粧とドレスで装飾された状態だったため、佳穂の変化には少しだけ興味を抱いた。ただそれだけのことだ。



 家の外へ出れば、テレビやタブレットの映像で見た異世界の風景と色とりどりの建物が並び、ベルンハルトの気分は弾む。

 冷酷だ、酷薄だと畏れられている皇帝の姿は消え失せ、未知の世界への期待から心が弾み感情は表情にも表れていく。
 長年彼を知る側近が今のベルンハルトを目撃したら、あまりの上機嫌ぶりに顔面を蒼白にして震え上がってしまっていただろう。
 そのおかげで、道行く女性達から熱い視線を向けられても、自転車に乗った中年女性に勘違いされ馴れ馴れしい態度をとられても、ベルンハルトは特に気にはならずあっさり受け流せていた。

「おばさんはいつもあんな感じで、その、悪気は無いから許してあげてください」
「許す? 特に不快ではないが? 俺が皇帝だと知らぬ世界というものは、中々面白いな」

 申し訳なさそうに言った佳穂は、ぽかんと口を半開きにしてベルンハルトを見上げた。
 馴れ馴れしい態度だった中年女性よりも、カラフルな光を点滅させる自動販売機への興味の方が強い。
 構造がどうなっているのか気になり、ベルンハルトは自動販売機の背面へ回り触れてみたり、身を屈めて購入した飲料の取り出し口を指で押し上げて内部を覗く。

「何かキャラが違う」と呆然と呟く佳穂の声は、上機嫌でいるベルンハルトの耳には入って来なかった。
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