竜帝陛下と私の攻防戦
 電灯が照らしていた公園は、突然闇に覆いつくされたかのように暗く、聞こえていた虫の声もしなくなっていた。

 互いの荒い呼吸音しか聴こえず、動こうにも異様な雰囲気に飲み込まれて身動き出来ない。
 正に、蛇に睨まれた蛙状態。
 ただ前に立っているだけのベルンハルトと視線を合わせるだけで、彼等の全身から大量の汗が吹き出してくる。

「どうした? かかってこないのか?」
「あ、うっ……」

 威勢の良かった作業着の青年は、ベルンハルトの殺気を一身に浴び恐慌状態に陥っていた。
 恐怖で震える青年の歯がガチガチと鳴る音が夜の公園に響いた。


 立ち尽くす作業着の青年から興味を無くし、ベルンハルトは恐怖で涙を流す聡には目もくれず佳穂を抱える大毅の前で立ち止まる。

「お前が、この娘を泣かせた男か」
「ひ、ひぃ!」

 大きく体を揺らした大毅が抱く、意識の無い佳穂の二の腕へ手を伸ばして掴むと自分の方へ引き寄せた。

「触るな」

 抑えていた殺気全てを大毅へと向ける。帯刀していたら確実に彼の首を落としていた。

「がっ」

 殺気に混ぜれたベルンハルトの怒りにより、首を斬り落とされる倒れる幻視を見た大毅は、涙と鼻水を流し白目を剥いて気を失った。

「ふん、口だけか」

 殺せないのならば顔か局部を潰し、一生拭えない恐怖をうえつけてやろうと、今まで自分が見下していた者達から憐れまれるようにしようと思っていた。
 怒りの感情は、腕に抱いた佳穂の温もりを感じているうちにベルンハルトの内から凪いでいく。

「お前達も眠れ」

 硬直する聡と作業着の青年の下へ魔法陣を展開し、ベルンハルトは強制睡眠魔法を放った。


 ***


 未だ眠る佳穂をベルンハルトは背負って夜道を歩く。

 以前のベルンハルトならば、背中で穏やかに寝息をたてる佳穂を背負うことはせず叩き起して、嫌味の一つは言っていた。
 酔い潰れるまで酒を飲まされた佳穂に対して危機感が薄すぎると呆れた以上に、元彼とやらに肩を抱かれている彼女を目にした瞬間、自分以外の者が彼女に触れることへの怒りと独占欲が湧き上がったのだ。

「俺も甘くなったな……」

 魔法を使えばさして時間もかからずに家まで着くだろう。
 体調不良の元となっている佳穂の毒抜きをして、嘔気と目眩は楽になってきたがまだ頭痛は残っており、完全に酒は抜けきっていない。
 なるべく振動を与えないで歩いているのは、背負っている佳穂が思いの外華奢で軽く、柔らかかったからだ。

「う、ん……ベルンハルト、さん……?」

 寝ぼけているのか、むにゃむにゃと口元を動かしながら佳穂が自分の背中に頬を擦り寄せるのを感じて、ベルンハルトは苦笑いを浮かべる。

「本当にお前は無防備だな」

 だからこそベルンハルトが過保護になるのかもしれない。
 弱く無防備な存在。
 柄にも無く、腕の中へ抱え込んで守りたくなってしまう。
 そして、このまま彼女と共に居たら自分の価値観から魂の色まで全て変わる、そんな気がしていた。

(この娘が、俺の……まさか、異世界で見つかるとはな)

 これ以上はもう誤魔化せない。
 ベルンハルトの本能が佳穂の存在を認めてしまっていた。


「はぁ、気持ち、悪い……」

 急に聞こえた背中からの苦しそうな息遣いと、込み上げてくる嘔気でベルンハルトは背負っている彼女の緊急事態を悟る。

「待て……!」

 背中にぶちまけられたら大惨事だ。それ以上に、自分が吐瀉物にまみれるのも感覚を共有している佳穂につられて嘔吐するなど、考えたくもなかった。

 ドサッ!
 間一髪、投げ捨てるようにベルンハルトは佳穂を背中から降ろした。

「おぇー」

 道路へ下ろされた衝撃で一気に嘔気が込み上げた佳穂は、蹲り胃に残っていた物を電信柱の影にぶち撒けた。

「ぐっ」

 口元を手で覆い、状態回復魔法を自分にかけてベルンハルトは襲い来る嘔気を必死で堪えた。


「うう……路上でゲロ吐くなんて恥ずかしすぎる……目撃者がベルンハルトさんだけで良かった」
「……そういう問題か?」

 涙を流す佳穂へ洗浄魔法をかけて、吐瀉物の汚れを綺麗にする。
 必死で堪えて嘔吐は何とか免れたものの、ベルンハルトは口腔内に残る胃液の味と匂いを洗浄魔法で誤魔化した。
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