仮面夫婦のはずが、冷血御曹司の激愛で懐妊いたしました
身代わりの花嫁
 庭の紫陽花が見頃を迎えていた。
 木槿(むくげ)の木の下のこんもりとした黄緑色の葉の株に、濃い紫色の手毬のような丸い花が、いくつもいくつも咲いている。坪井澪(つぼいみお)はハサミを手に口元に笑みを浮かべて、どれにしようかと選んでいる。
 今日の来客時に、リビングに活けるためのものである。

 数日前に急に決まったこの来客は、どこか不穏な空気を感じさせるもので、朝から父の表情が暗い。
 だからこそその場に鮮やかな紫陽花の花でもあれば、少しはその空気がましになるのではと思ったのである。

 ハサミをカチカチとさせながら、澪は視線を彷徨わせ、真ん中に咲く大きな紫色の紫陽花に目を留めた。とびきり綺麗で堂々とした佇まいだ。これにしようと決めかけて花に手を添えてから、澪は少し考える。

 この花を切り取ってしまったら、そこだけポッカリと空白ができて株全体としての見栄えが悪くなるような気がしたからだ。

 植物学者である父は、毎朝この庭を散歩するのが日課で、その際にひとつひとつの草花をゆっくりと見て回る。育てているのは澪だから、澪が好きに取って家に飾ってもいいけれど、せっかくなら美しい形をそのままに、季節いっぱい楽しんでもらいたかった。

 やっぱり目立たない場所のものにしようと、澪は株のすみっこに視線を移す。すると下の方、地面すれすれのところに白に近い淡い水色の紫陽花が咲いていることに気が付いた。

 目立たないその花は、ひっそりと儚げに咲いている。花としては一番いい時期を迎えているはずなのに、自信なさげで寂しそうに見えた。
 紫陽花は土の成分によって色が変わるというけれど、同じ株なのにどうしてこうも違うのか。
 いずれにせよこの花は、今日の来客時に飾るのには相応しくない。どれか別のものを、と澪がまた視線を彷徨わせた時。

「澪」

 後ろから名を呼ばれて、顔を上げて振り返る。父である坪井治彦(つぼいはるひこ)が縁側に立っている。困惑したようなその表情に澪眉を寄せた。

「どうしたの?」

 早足に歩み寄ると、彼は声を落とした。

「急いで準備しなさい。先方がお見えだ」
「え……でも、予定まではまだ一時間あるはずじゃ……」
「ああ。だが先方はいつもそうなんだ」

 さらに声を落として、険しい表情で父は言う。やはり今日の来客は一筋縄ではいかない相手なのだろう。

 そもそも先方からは来訪の用件すら伝えられていない。ただ家に来るという通達と時間が伝えられたのみなのだ。

 それなのになぜか澪も同席するようにと言われている。

 それだけでもなんだか薄気味悪いのに予告もなく一時間も早く来るなんて、まったくこちらの都合など考えていないのは確かだった。

 とはいえ、来てしまったものは仕方がない。あまり待たせるわけにいかないから澪はハサミを縁側に置いて急いで靴を脱いだ。
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