公爵閣下、わたしたちの契約結婚は終了を迎えるのですね。わたしは余命わずかですが、あなたがほんとうに愛する人としあわせになれますよう心よりお祈り申し上げます

ベリー狩り

 パウエル公爵家の二頭立ての馬車は、王都を出て王都から一番近い湖グリーン・アップル湖へと続く街道を進んでいる。

 グリーン・アップル湖は、その名の通りリンゴの形をしていて湖水が青緑色に見えるところからそう呼ばれている。

 その湖の近くにパウエル公爵家の別荘がある。

 子どもの頃に何度か訪れ、湖で水泳をしたりボートに乗ったり魚釣りをした。

 いつものようにマークが馭者を務めてくれている。

 今日は、馭者台に彼だけでなくベッキーも乗っている。

 どうやら、二人はどこに行くのかを知っているみたい。

 ということは、わたしだけが知らないのね。

 窓外に流れていく景色を眺めながら、アントニーと話が弾んだ。

 彼は、ほんとうに元気だし上機嫌である。これまでにないほどわたしに気を遣ってくれている。

 うれしい反面、これはベッキーとマークがいるから演技なのよ。勘違いしてはダメ、と何度も自分に言いきかせてしまう。

 アントニーは窓外に見える何かについて蘊蓄を述べたり、あるいは冗談を言ったりしている。それを、わたしが茶化したり生真面目にきいたりする。

「旦那様、見えてまいりました」

 馭者台でマークが叫んだ。

 馬車の窓から頭を出してみた。

 すると、右前方に森が見えてきた。グリーン・アップル湖に行くまでに通過する森の一つである。

「甘酸っぱいにおいがするわ」

 今朝も快晴で、すでに太陽がこれでもかというほど地上を照らしている。陽射しはきついけれど、湿気はほとんどない。爽やかな風が顔に当たって気持ちがいい。
 甘酸っぱい香りが爽やかな風にのってくる。

「さすがは食いしん坊。はやくも気がついたかい?」
「いやだわ、アントニー様。たしかに食いしん坊かもしれないけれど、甘酸っぱいにおいに気がついただけで、それ以上のことはわからないわ。あっもしかして、このサプライズイベントに関係があるのですか?」
「そうだよ」

 アントニーの美貌には、いたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。

 その子どもっぽい表情にドキッとしてしまった。

 馬車が停止したのは、森に入ってすぐだった。

 小屋があり、老夫妻が出迎えてくれている。

 馬車から降りるまでもなく、甘酸っぱいにおいが体全体にまとわりついている。

 アントニーが先に馬車から降り、手を貸してくれた。

「もうわかったと思うけど、この辺りはブルーベリーとブラックベリーの宝庫でね。もともとはパウエル家が所有しているわけじゃなかったんだが、さる貴族が売りにだしたんで買い取ったんだよ。ちょうどいまが収穫の時期だからね。ベリー類も大好きなきみに、ベリー摘みと食うのを堪能してもらいたいんだ」

 馬車から降りながら彼の説明をきき、不覚にも泣いてしまいそうになった。

 どうして?愛していないわたしに、こんなにやさしくしてくれるの?もう間もなく離縁するはずのお飾り妻の為に、どうしてこんなことをするの?

 こういうのって卑怯で意地悪だわ。

 最悪最低の嫌がらせじゃない。

「アントニー様、とてもうれしいです。素敵なサプライズイベントすぎて感動しています」

 すべての感情に蓋をし、そう演じなければならない。

 声が震えていたのは、うれしいというよりかは悲しみによるもの。リアルに泣きそうなのをグッとガマンしたからである。

「公爵夫人、素敵な旦那様でいらっしゃいますわね。うちの旦那にも見習ってもらいたいものです」
「おい、何を言って……」
「あなた、公爵閣下の爪の垢でも煎じて飲みなさい」
「ったくもうっ」

 ベリー農園の管理人夫妻のやり取りに、ムリして笑った。

 いろんな感情を抱いているものの、ベリー摘みを楽しんだ。

 アントニーとベッキーとマークと四人で競い合って摘み、摘んだ端から口の中に放り込んだ。

 気がついたら、四人とも口の中も口のまわりも手も真っ黒になっていて、管理人夫妻に笑われてしまった。

 当然、持って帰る分も摘んだ。

 ジャムにお酒にシロップ漬け、ケーキやヨーグルトに入れてもいいし、ドライフルーツにしてもいい。

 摘み尽くしてしまったんじゃないかと心配になってしまったほど、四人で摘んだ。

 ランチタイム以外、夕方まで摘みまくった。

 はじめての体験だった。楽しすぎた。

 これが最後の体験になるのだと思うと悲しくもある。

 そして、王都に戻った。

 素敵な思い出を作ることが出来た。

 アントニーとすごした思い出を……。
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