公爵閣下、わたしたちの契約結婚は終了を迎えるのですね。わたしは余命わずかですが、あなたがほんとうに愛する人としあわせになれますよう心よりお祈り申し上げます

二人でカーリーの所へ

「ユイ、ちょっと待っていて」

 アントニーは窓のすぐ前にある執務机に向き直り、しばし何かをしていた。

 それからまた、こちらに向き直った。

「そこをどいて」

 アントニーに言われ、反射的に窓の前から飛びのいた。

 彼は身軽に窓を乗り越え、音もなく地面に着地した。

「こんなこと、子どものとき以来だよ。さあ、我が愛しのお姫様。参りましょうぞ」

 彼が手を差し出してきた。

「こんなことなら、白馬を準備しておくんだった。悪者に追われるお姫様を救う、白馬の王子様になりたかったのに」
「白馬など必要ありませんわ。そもそも、今回は悪者に監禁されて尋問されそうな王子様を救う、ちょっと行動的なお姫様という設定になりますし。それに、白馬だと蹄の音で気がつかれますが、自分の足だと小さくて気付かれないでしょう?というわけで参りましょう、王子様」

 彼の手を取ると、同時に駆けだした。

 あとで彼からきいたけど、彼は「王女様のわがままに振りまわされてくる」と、執務机の上に書き置きを残したらしい。

 それをきき、アントニーらしいと笑ってしまった。

 というか、「王女様のわがままに振りまわされてくる」?

 微妙すぎるわよね。


 石畳の歩道を足早に歩きつつ、彼にどこまで話をしたらいいものかと悩んでいる。

 この辺りは、貴族の屋敷が多い。そのほとんどが馬車を使う為、歩いている人の姿はまったくない。

 公爵夫妻が自分の足で歩道を歩いているだなんて、貴族たちからすれば滑稽でしかないでしょう。

 だけど、わたし自身にしてみれば、彼といっしょにいられるというだけでしあわせなのである。

 もっとも、いまはそんな流暢なことはいっていられないのだけれど。

「ユイ、大丈夫かい?」

 彼に問われていることに気がつかなかった。

「ユイ?」
「えっ、ご、ごめんなさい。考えごとをしていたの」
「陽射しがきつい。暑気あたりだったんだろう?」
「あ、そうですね。ほんとうに、今年の暑さは異常だわ。大丈夫です」
「ああ、たしかに。きみが大丈夫ならいいんだ」

 彼は、わたしから前方に視線を移した。

 奇行ともいえるわたしの誘いを、彼は何も尋ねてこない。わたしだったら、どういうことなのか根掘り葉掘り尋ねたくなるのに。

 それとも、細かいところにはこだわらない彼らしく、心の中で尋ねたくてもグッとがまんしているのかしら。

 もっとも、彼はおおらかすぎるところがある。

 じつは、なーんにも気にしていないのかもしれない。

「その、アントニー様。突然の誘いで申し訳ありません。詳しくは、マークのお姉様、カーリー・サクソン医師といっしょに説明いたします」
「医師?ああ、そうだったね。マークのお姉さんは医師だった」

 歩調をゆるめることなく歩き続ける。

 頭上の太陽は容赦なく石畳とわたしたちを照り付けている。

 そういえば、マークを置き去りにしたことに思いいたった。

 わたしたちが屋敷を抜けだしたことに気がついたら、うまく取り繕って追いかけてくれるに違いない。

「いまから、カーリーの診察を受けて欲しいんです」

 アントニーにそう切り出してから、そうなるに至った経緯を簡単に説明をした。


 カーリーは驚いた。

 アントニーと二人、歩いて戻ってきたからである。

 すぐに状況を説明した。

 パウエル公爵家に伯父が尋ねて来ていたので、とっさにアントニーを連れだし、その足でここに来たことを。

 すると、カーリーはお腹を抱えて笑いだした。

「ユイ。あなたは馬車を飛び降り、茂みをかき分けてこっそり公爵閣下に会い、公爵閣下は窓を飛び越え、二人して歩いて街の診療所にやって来たわけね」
「カーリー、笑い事じゃないわ。まさか伯父が屋敷にやって来ているなんで思いもしなかったんですもの。あと数分遅かったら、アントニー様と対面していたはずよ。とにかく、必死だったの。二人を会わせてはならないってね」
「ごめんなさい。ええ、わかっているわ。ありがとう、ユイ。さあ、公爵閣下」

 彼女は、目尻にたまった涙を指先で拭うと診察室に通してくれた。

 すぐに紅茶を準備してくれたけど、熱い紅茶ではなく冷たい紅茶だった。

 炎天下をずっと歩き続けた体と喉にはありがたい。

「公爵閣下……」
「サクソン医師、どうかアントニーと。堅苦しいのは苦手ですので」
「では、アントニー。わたしのことは、カーリーとお呼びください。サクソン医師だなんて、強面おばさん医師と思われているのかと勘繰ってしまいますので」

 ユーモアのある彼女の返しに、アントニーは小さく笑った。

 どうやら、アントニーもわたし同様彼女のことを気に入ったようである。
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