好きとか愛とか
地に足がついていないとは、こういう現象なんだなと改めて思った。
意識だけが体内から離れて、自分を高いところから見てるような感覚。
自分の意思では歩いていなくて、佐竹さんに物みたいに連れ行かれている気がした。
後ろをふりかえると、私を見送る壱矢が見える。
それだけで心強かった。

刑事課の横を通ってそのまま通路へ。
てっきり刑事課のどこかのスペースにあるものだとばかり思っていたので、こんなに奥ばったところまで来るなど考えもしなかった。
不安が一気に加速する。

冷えたコンクリート、さっきまでのざわつきもほとんど聞こえない廊下の角を二つほど曲がり、通路を歩く。
自分の足音と、革靴の音が異様に耳に響いて気持ちが悪い。
無骨なドアが並び、その一つの前で止まった佐竹さんが、「大丈夫かい?」と訊いてくる。
ここなのだと、緊張が走った。

ここに、
ここにあいつが、いる。

体に残る傷も癒え、打撲の跡もすっかり消えたというのに、今さら痛みがよみがえった気がした。
思わず自分の体を抱き締め、小刻みに振動する恐怖を押さえ付ける。

 「無理しなくていいからね」

 「いえ、大丈夫です」

私はこれで最後。
あいつに会うのはこれっきりだ。
訴えとして形に残すのなら、今後もまだあいつの顔を見なければならなくなるだろうが、私はただ面通しだけ。
あいつと長い時間戦わなければいけない人に比べれば、私なんて大したことはない。

 「行きます」

すくむ脚に鞭を打ち、逃げ出したい愚かな自分に渇を入れ、一つゆっくり深呼吸した私は、鉄の扉と向き合った。
佐竹さんがドアに手を掛け、ゆっくりと開く。


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