異世界にタワマンを! 奴隷少年の下剋上な国づくり ~宇宙最強娘と純真少年の奇想天外な挑戦~

1章 根源なる威力の猛威

1-1. 神秘をまとう少女

「うひゃぁ! な、何これ……」

 いきなり渋谷のスクランブル交差点に転送された異世界の少年レオは、目の前に展開される煌びやかな巨大スクリーンの映像に圧倒され、四方八方から押し寄せる群衆に翻弄(ほんろう)された。

「これが……日本?」

 異世界の王女は美しい金髪をゆらしながらレオの手を握り締め、圧倒されながらつぶやく。

 やがて信号が赤になって人がはけていき、車がパッパー! とクラクションを鳴らす。

「はいはい、危ないよ!」

 青い髪の少女は二人を引っ張って歩道に上げた。

 鉄橋の上を轟音を立てながら山手線が走り、続いて逆方向から成田エクスプレスが高速で通過していく。

「うわぁ!」

 レオは目を真ん丸にして後ずさりする。

「ここが日本、レオの理想とする貧困のない国だよ」

 青い髪の少女はニヤッと笑って言った。 

「これが……日本……」

 レオは唖然(あぜん)として渋谷の雑踏の中で立ち尽くす。

 物心ついた時から奴隷として朝から晩までこき使われ、まともな食事も与えられず苦しんできた少年は、想像を絶する光景に言葉を失っていた。


       ◇


 それは少し前、午前中の事だった――――。


「はい、どうぞ」

 十二歳の少年レオは山菜採りの帰り、道端の孤児に野イチゴを手渡した。

 孤児は何も言わずに野イチゴをひったくり、一気にほお張ると軽く頭を下げる。

 道の脇のさびれた小さな(ほこら)には身寄りのない子供たちが住み着き、雨露(あめつゆ)をしのいでいるのだ。

 レオは彼らの身を案じつつも、自分も奴隷として過酷な肉体労働の日々を送っていることにウンザリし、大きくため息をついた。

「お前! 何サボってんだよ!」

 レオはいきなり後ろから首輪を引っ張られる。

 オエッっとえずきながら、首輪を押さえ振り返ると、ボロをまとったアルとは対照的に煌びやかな衣装の小太りの若い男が、二人の手下を引き連れて立っていた。

 彼はジュルダン。アルの所有者で、大きな商家の坊ちゃんだった。

「こ、これは、ご主人様、サボってるのではありません、ご命令の山菜摘みの帰りです」

 ジュルダンはそう言うレオの身体をジロジロと見回す。

「お前! 何だこれは!」

 レオの腰の短剣を引き抜くと、品定めをする。それは(つか)の所に綺麗な赤い石がはめ込まれた立派な短剣だった。

「それは父の形見の短剣です。返してください!」

 レオは取り返そうとするが、手下たちが身体を押しとどめ、手が届かない。

「形見? 盗んだんじゃねーのか? 奴隷が持つには贅沢すぎる」

 そう言うと、ジュルダンはビュンビュンと短剣を振り回した。

「返してください!」

 レオが手下を振り切りながらジュルダンに迫ると、ジュルダンは、

「おっといけない!」

 そう叫んで、短剣を後ろに放り投げた。

 えっ!?

 短剣は青空をバックに大きな弧を描き、後ろの池にボチャン! と音を立てて消えていった。

 あぁっ!

 呆然(ぼうぜん)とするレオ。ずっと大切にしてきた父の形見、それを捨てられてしまったのだ。

「お前が手を出してくるから危ないと思って手を離したんだぞ! お前らも見てただろ?」

 ジュルダンは手下たちに聞く。

「その通りです!」「コイツのせいです!」

 手下たちはいやらしい笑みを見せながら言う。

 レオの奥底でガチッと何かのスイッチが入った。

 短剣は亡きパパとの絆、それはレオにとって決して失ってはならない心のよりどころだった。それを捨てるものは誰だろうと許せない。

 レオは体の奥底から湧き出す激しい怒りで我を忘れ、ジュルダンに殴りかかった。

 ぐぁぁぁ!!

 痩せた躯体からは想像もつかない素早さでジュルダンにせまり、右パンチを繰り出すその刹那、レオの首輪がギュッと締まる、

 ぐっ……、ぐぉっ……。

 レオはゴロゴロと地面に転がり、もがき苦しむ。

 奴隷に付けられた魔法の首輪は、主人に危害を与えようとすると自動的に締まるようにできていたのだ。

 それを見たジュルダンは、

「奴隷のくせに主人にたて突くとはふてぇ野郎だ!」

 そう叫びながら、苦しむレオに何度もケリを入れた。

 手下たちも、

「ふてぇ野郎だ!」「ふてぇ野郎だ!」

 と、真似しながらレオを蹴り、顔を踏んだ。

 なんという理不尽、しかし、奴隷のレオにはどうにもできなかった。

「いいか、奴隷は人間じゃない。よく覚えとけ!」

 ひとしきり暴行を加えると、ジュルダンはそう言って、笑いながら街の方へと歩き出す。

「覚えとけ!」「覚えとけ!」

 手下たちも笑って復唱した。

 レオは血の味がするくちびるをキュッとかみしめ、ギュッと目をつぶる。頬にはとめどなく涙が伝った。

 くぅぅぅ……。

 一体なぜ、こんな仕打ちを受けねばならないのか? 生まれが不運だっただけで奴隷として売られ、毎日過酷な労働と理不尽な扱い。レオは全く納得がいかなかった。

 なぜみんなが笑顔で暮らせないのか……。いつかこの理不尽を変えてやる。

 レオは奥歯をギリッと鳴らし、心に誓ったのだった。

       ◇

 レオはよろよろと立ち上がって池のほとりまで歩き、しばらく呆然として池を見ていた。

 短剣はこの世に一つしかないパパとの絆、命の次に大切な物だ。潜ってでも探すしかない。

 レオは大きく息をつき、服を脱ごうとした。

 その時だった。

 いきなり青空がかき曇り、暗くなったかと思うと、鮮烈な閃光が空いっぱいに走った。

 え……?

 いきなりの異様な事態にレオは怪訝そうな顔で空を見上げる。

 直後、激しい衝撃波を伴いながら流れ星が目の前の池に突っ込んできた。

 地面を揺らす轟音と共に、百メートルはあろうかという巨大な水柱が上がり、激しい水しぶきがレオを襲う。

 うわぁぁぁぁ!

 驚き、腰を抜かすレオ。

 一体何が起こったのか混乱しているレオの目の前で、青い髪をした少女が水中からピョンと飛びあがる。そして、水面を軽やかにトントントーンと駆けてきた。

 少女は波紋を点々と残しながら、楽しそうに短剣が落ちた辺りまでやってくると、ドボンと潜った。

 レオは唖然(あぜん)としながら、ブクブクと湧き上がってくる泡を眺める。

 しばらくすると少女はゆっくりと浮かんできて、

「少年! 君が落としたのは金の短剣? それとも、鉄の短剣?」

 そう言いながらうれしそうな顔で、金色に光り輝く短剣と、レオの短剣を見せた。

 レオは驚き、とまどう。

 少女は水から上がってきたのに濡れた様子もなく、短く青い髪を風に揺らしている。透き通る白い肌に整った目鼻立ち、そして美しく澄んだ水色の瞳をしていた。

「どっち?」

 首をかしげ、少しおどけた感じで楽しそうに聞いてくる。

 少女は胸元の開いたシルバーのホルターネックのトップスに黒のショートパンツ、マントのような前が開いたスカートという、この辺では見ない服を着ている。

 レオは意を決し、答える。

「落としたのは鉄のです。でも……金のも欲しいです……」

「きゃははは! 正直だねっ。いいよ、両方あげる」

 少女は屈託のない笑顔でそう言うと、また水面をトントンと駆けてレオの前にやってきて、

「はい、どうぞ!」

 と、首を(かし)げながら二本の剣をレオに差し出す。

「ほ、本当にいいんですか……?」

 レオは少し伸ばした手を止め、少女を見て聞いた。

「ふふっ、この短剣……、君にはちょっと縁を感じるんだよね。どうぞ」

 少女はうれしそうに言う。

「ありがとうございます! これで奴隷を抜け出せるぞ!」

 レオは剣を受け取ると、ずっしりと重い黄金色に輝く剣をじっくりと眺め、

「くふぅ……、やったぁ!」

 と、こぶしを握ってガッツポーズを見せた。

 少女は優しくうなずきながらその姿を眺める。

 そして、恍惚とした表情のレオに聞いた。

「奴隷抜けたらどうするの?」

「どうしようかな……。奴隷や貧困のない世界でゆったり暮らしたいなぁ……」

 レオは青空にぽっかりと浮かぶ白い雲を眺めながら言った。

「うーん、奴隷も貧困もないところ?」

 渋い顔をする少女。

「きっとどこかにある気がするんです」

「残念だけど……、この星には無いよ」

「えぇ――――……」

「権力者は格差大好きなんだよ」

 そういって少女は肩をすくめた。

 レオはしばらく考え込み、そして、振り返る。視線の先には寂れた祠、そして飢えた浮浪児たち。

 レオは目を閉じ大きく息をつく。

 そしてうなずくと少女を見て、

「じゃあ……、作ります……」

 と言って、こぶしを力強く握って見せた。

「え?」

 少女はポカンとした表情を浮かべる。

「なければ僕が作ります!」

 レオはしっかりとした目をして少女を見据えた。少女は最初困惑した様子を見せたが、ニコッと笑うと、

「いいね! それ、最高! きゃははは!」

 と、嬉しそうに笑った。

「どこか、人の住んでいない所に新たな国を作ります!」

「いいね! いいね!」

 少女はノリノリだった。

「手伝ってもらえませんか?」

 レオは少女にお願いする。

 少女は動きをピタッと止め……、水色の瞳をキラッと光らせ、鋭い視線でレオを見た。

「本気……?」

 低い声で聞く。風がそよぎ、少女の青い髪がふわっと泳いだ。

「もちろん!」

 レオは曇りない眼で少女を見た。

 すると、少女は両手で少年の頬を包み、そっと額をレオの額に当てる。

 直後、レオは青と白の世界に浮いていた。

「えっ!?」

 下半分は真っ青、上半分は真っ白、青と白しかない世界……。

 でも、下を見て気がついたが、それはただの青の地面ではなさそうだった。

 レオはかがんでそっと触れてみる……。波紋がフワーっと広がっていく。

 それは水だった。どこまでも透明な水が、どこまでも深い深さで青に見え、静かに鏡面のように世界に広がり、水平線を作っていたのだった。

 とんでもない清浄な世界にレオは思わず息をのむ。

 見ると、隣で少女も浮いている。

「ここは……、どこ?」

 レオが恐る恐る聞くと、

「ここは僕の中だよ」

 そう言ってうれしそうに少女は答えた。

「えっ……?」

 レオはどういうことか全くわからなかった。

 少女はクルクルと楽しそうに舞いながらレオの前に来ると、

「僕はシアン、深淵より来た根源なる威力(オールマイティ)……。いいよ、手伝ってあげる」

 そう言ってにこやかに笑った。

「あ、ありがとう!」

 レオはニコッと笑う。

「ただ……」

 シアンは急にシリアスな表情になると、レオをにらんで言った。

「深淵の力を使う以上中途半端は許されない。途中で投げ出すようなことがあったら……」

「あったら?」

「殺すよ……」

 シアンは燃えるような紅蓮の瞳を輝かせ、射抜くようにレオを見た。それは水色の時とは桁違いの迫力を持ってレオの心の奥底まで貫いた。

「え……?」

「君だけじゃない、この星もろとも全てこの世から消し去るよ?」

 シアンはニヤリと笑みを浮かべた。

 レオは一瞬言葉を失い、口をパクパクとさせる。

 ただ、シアンの瞳の輝きには純粋で鮮烈な力は感じるものの、悪意はみじんも含まれていなかった。

 レオは大きく息をつくと言った。

「この星って……、この大地も街もみんなも全部……ですか?」

「そう、一切合切全部この世から消えるよ。それでもいい?」

 レオは多くの人命を背負う重大な責任に一瞬気圧(けお)された。

「今まで……、そういうことはあったんですか?」

「見てごらん」

 そう言うと、シアンは両手のひらを上に向け、地球儀のような青い惑星を浮かび上がらせた。

「これがさっき消した星だよ……」

 すると、惑星の大きな海の真ん中に鮮烈な光の柱が立ち上った。

「えっ!?」

 レオが驚いていると、光の柱のふもとが真っ赤に光を放ちながら海をどんどん侵食していく。

 やがて浸食された部分が、腐った果物のように焦げ跡のような色になり、落ち込み始める。浸食はどんどんと惑星を蝕み続け、海をあらかた覆いつくした時だった、惑星は全体に真紅のヒビがつぎつぎと走り、ボロボロと崩壊を始めた。

「ああっ!」

 レオが叫び声をあげた直後、惑星は全体がボロボロと粉々になって中心部に吸い込まれていき、やがてすべて消えていった。きっと何億人もの命が失われたに違いない。

 呆然(ぼうぜん)とするレオ。

「なんで……、なんでこんなことするの?」

 レオは涙目になって聞いた。

「新陳代謝だよ。健康な星が元気に繁栄するためには、将来性のない星を間引かないといけないんだ。そしてそれが僕の仕事」

 レオは唖然(あぜん)とした。多くの人の命を奪うことを仕事というこの少女。だが、そう言う彼女の瞳は再び水色に澄み渡り、(よこしま)な影は感じられない。シアンの中だというこの世界も清浄そのものであり、聖なる気配に満ちていた。

「どうする? それでも僕に頼む?」

「この星に……何しに来たんですか?」

 レオは恐る恐る聞いた。

「ふふっ、カンがいいね。そう、この星はブラックリストに載ってるんだ」

 レオは心臓が止まりそうになった。さっきの星のように自分達も滅ぼされてしまう……。

「も、もしかして、頼むのをやめたらすぐにこの星……消されますか?」

「まだ来たばっかりだから何ともだけど……、多分そうなるかな?」

 シアンは首をかしげながら、恐ろしい事をさらっと言った。

「だとしたら選択肢など無いじゃないですか……」

「そうだね、君が救世主になるしか道はないね」

 シアンは微笑んで言った。

 レオは目をつぶり大きく息をついた。

 なぜこんな大量虐殺が許されるのかレオにはさっぱり分からなかった。レオには全く理解が及ばない、はるか高みにある世界の営みなのだろう。

「やります。それが僕の理想だし、他に選択肢などないんですから」

「無理してやってもうまくいかないよ?」

「元々僕が言い出した話です。僕はみんなを笑顔にしたいんです。しっかりとやり遂げます。」

 レオは覚悟を決めそう言って笑った。

「大変だよ?」

 シアンはレオの目をのぞきこむ。

「やりたいことをやるだけです」

 レオはまっすぐな目でシアンを見た。

「ふぅん……」

 シアンはそう言ってしばらくレオの目を見つめる……。

 そして、いきなり相好を崩すと、

「なら契約成立。一緒に国づくりだ――――!」

 うれしそうにそう言うと、レオをぎゅっとハグして頬にチュッとキスをした。

 レオはいきなりふわふわの柔らかな体に包まれ、目を白黒とさせながら言った。

「あ、ありがとう。シアンさん」

「『さん』なんて要らないよ……。シアンって呼んで」

「じゃあ、シ、シアン、よろしく!」

 レオは立ち昇ってくる華やかな温かい香りに困惑しながら言った。

 こうして失敗の許されないレオの理想郷づくりが始まった。それは数億人に及ぶこの星の住民の命が懸かったとんでもない勝負であり、また同時にこの星が新たなステージへ行けるかどうかの挑戦だった。

           ◇

 気が付くとレオ達は元の世界に戻っていた。

 麦畑は風に揺れ、黄金のウェーブを描き、青空にはポッカリと白い雲が浮かんでいる。

 冷静に考えると、なんだかすごい約束をしてしまったとレオは少し怖くなった。それでも物心ついてからずっと奴隷で悲惨な労働に明け暮れていた日々の中で、思い悩んでいたことの出口が見つかった思いがして、どこかワクワクしていた。

「最初はどうするの?」

 シアンが聞いてくる。

「誰も住んでない場所を探したいな。でも……どこにあるかなぁ……」

 国の基本は何と言っても国土である。しかし、奴隷の少年にはそんなもの心当たりもなかった。

「うーん、じゃ、ドラゴンに聞いてみようか?」

 少女は人差し指を立て、ニコニコしながら言った。

「ドラゴン!? ド、ドラゴンって本当にいるんですか?」

「いるわよ。可愛いわよー」

「か、可愛い……んですか?」

「とーっても」

 ニッコリと笑うシアン。

「そしたらドラゴンの所まで案内してくれませんか?」

「敬語なんていらないわ、行きましょ! ドラゴンに会いに」

 シアンは微笑み、レオはうなずいた。

 ビューっと爽やかな風が吹き、黄金色に実った小麦畑がウェーブを作る。まるで二人の挑戦を祝福しているようだった。


































1-2. 襲われる王女



 まずは、レオの奴隷契約を解消しないとならない。二人は街に向かって歩き出した。

「国を作るなら衣食住をどうするか考えないと……」

 レオは首をひねる。

「それだけじゃダメだよ、水道もトイレも、道も畑も、堤防も家もぜーんぶ作んないと!」

 シアンは両手を広げてうれしそうに言う。

「えー! 全部!?」

「レオ? 国っていうのはそういうものだよ! それに、そんなのは簡単な話。僕がパパパッて作ってあげる。でも、人やシステムの問題は大変だよ。住民をどうやって集めるか? 法律や警察や役所や……、裁判所に軍隊をどう作るか? 産業も立ち上げないとだから貨幣や銀行や税金も! もー大変!」

「うわぁ……。人は身寄りのない子供たちを集めようかと思ったんだけど……」

「いい手だと思うけど、子供たちだけ集めたって国にはならないよ?」

「だよねぇ……」

「いっそのこと、この国乗っ取っちゃう?」

 シアンは悪い顔をして言った。

「えっ!? そんなことできるの?」

「レオが望むなら軍隊を無力化してあげるよ」

 シアンはニコニコしながら言った。

「それって……、軍隊相手に勝つってこと……だよね?」

「ふふっ、僕は星ですら消せるんだよ? 軍隊なんて瞬殺だよ!」

 そう言ってシアンはドヤ顔で胸を張った。

「すごいなぁ……。シアンは神様なの?」

 さっきの不思議な世界といい、シアンの存在は人の領域を超えている。

「僕はそんなに神聖じゃないよ。でも、神様よりは強いかな?」

 自慢顔のシアン。

「神様より強いならもう神様じゃないの?」

「そうかなぁ? シアンはシアンだよ」

 そう言ってシアンはニコニコする。

「それにしても国を乗っ取る……かぁ……。それって楽しいかなぁ?」

 首をひねるレオ。

「うーん……、軍隊倒すのは楽しいけどねぇ……」

「僕は楽しく国づくりがしたいんだよ」

 レオはそう言ってニッコリした。

「ふぅん。なんだか君はずいぶんとマトモだね……」

 シアンは首をかしげた。



 奴隷でこき使われ続けてきたレオにとって、神様より強いというシアンの存在は全く別世界の話であり、想像を絶していた。でも、自由の国を作るというただの思い付きが、シアンの圧倒的な力によって現実性を帯びてきてることに、レオはワクワクが止まらず、思わず両手のこぶしをグッと握った。



      ◇



 パカラッ! パカラッ!

 馬が走ってくる音が響いてきた。



「あ、馬車だ! 危ないよ」

 レオはシアンの手を引いて道の脇に避けた。



 豪奢な金属製の鎧を身にまとった騎士が乗った騎馬が四頭、それに続いて馬車がやってくる。豪華な装飾のつけられた馬車には王家の家紋があしらわれ、どうやら王族が乗っているらしい。



 俺たちは馬車を見送り、舞い上がった砂ぼこりを手で払った。



 ヒヒヒーン! ヒヒーン!

 向こうで急に馬たちがいななく。



 何だろうと思ってみると、黒装束の集団がいきなり騎馬の前に飛び出し、交戦を始めた。馬車も急停車すると、黒装束の連中に囲まれ、ドアを壊されていく。



「うわっ! 大変だ! 襲われてるよ!」

 レオは叫んだ。

「ありゃりゃ」

 シアンは淡々と言う。



 騎士たちは健闘したが、多勢に無勢。やがて次々と引きずり降ろされ、倒された。このままだと馬車の中の王族もやられてしまうだろう。



「何とか助けてあげられないかな?」

 レオが眉間(みけん)にしわを寄せながら言った。

「助けると面倒な事になるよ? 割に合わないよ」

 シアンは肩をすくめていう。

 するとレオは真剣なまなざしで言った。

「シアン、それは違うよ。人生は損得勘定しちゃダメなんだ」

「へっ?」

「『いい損をしな』ってママが言ってたよ」

「いい損……?」

(いき)な損が最高だって。人生の本質は『損』にあるって」

 レオはそう言ってジッとシアンを見つめた。

「へぇ……、確かにそうかも……。君はすごい事言うねっ!」

 シアンはすごく嬉しそうに言った。

「へへっ、ママの受け売りだけどね」

 レオは照れ、そして目をつぶってちょっとうつむいた。

「で、損するのはいいんだけど……。僕、手加減できないからあいつら死んじゃうよ?」

 シアンは物騒なことを言う。

「なるべく殺さないように収められる?」

 レオはシアンに聞いた。

「うーん、殺さないようにかぁ……。君は面倒な事を言うねぇ」

 シアンはちょっと考え込む。



 と、その時、馬車の後ろの小さな非常口がパカッと開いて少女が出てきた。少女は美しい金髪を綺麗に編み込み、白く美しい肌が陽の光にまぶしく見える。そして、ピンク色のワンピースで胸の所に編み紐が付いている豪奢な服を着ていた。



「あっ! 王女様だ!」

 レオは叫んだ。レオはパレードの時に、遠巻きに彼女を見たことがあったのだ。

 美しく品のある王女は街のみんなのアイドルであり、話題の美少女である。もちろん、レオも大好きだった。レオはそんな王女の危機に思わず心臓がキュッとなって真っ青な顔をする。



 王女は必死にこっちの方に逃げてくる。

 しかし、黒装束の男たちも見逃さなかった。

「逃げたぞー!」

 という声がして、三人が剣を片手に追いかけてくる。





























1-3. おぞましい漆黒の球



「シアン。助けよう!」

 レオはシアンの手を取って頼む。

「分かった。でもレオもちゃんと損してよ!」

「え? わ、分かった。何をすれば?」

 シアンはニコッと笑うと、レオに両手をかざし、何かをぶつぶつとつぶやく。すると、レオの身体がぼうっと光った。

「これでよし。これで、レオの身体は物理攻撃無効。どんな攻撃受けても無傷だよっ!」

「物理攻撃無効?」

 レオが首をひねっていると、シアンはレオのわきの下を持って、身体をひょいと持ち上げ、

「ちょっと敵の注意を引いておいて!」

 と、言いながらブウンと一回転振り回すと、そのまま追手に向かってすごい速度で放り投げた。

「え――――っ!?」



 レオは手足をバタバタさせ、叫び声をあげながら王女の上を飛び越え、追手の先頭の男に思いっきりぶつかった。

「ぐはぁ!」

 ぶつかって吹き飛ぶ二人は後続の二人にも当たり、全員ゴロゴロと転がる。

「ぐわぁ!」「ぐはっ!」

 まるでボウリングだった。



「シアン、ひどいなぁ……」

 そう言いながら、砂だらけになった体をゆっくりと起こすレオ。

「あれ? 痛くない……」

 レオは自分の身体をあちこち見ながら立ち上がる。



「こ、このガキが! 何しやがる!」

 男はよろよろと立ち上がり、剣先をレオの顔の前に突きつける。

「あ、これは僕がやったんじゃないよ!」

 レオは後ずさりしながら首を振った。



       ◇



 王女は、手招きしているシアンを見ると、走りながら

「助けてー!」

 と叫び、手をシアンの方に伸ばす。

 シアンはニコニコとしながら、王女の手を取ると、

「危ないから、ちょっとこっちで待ってて」

 と、いいながら手を引いて池の上を歩いて行った。

 二人は水面を歩き、足跡の波紋が点々と広がっていく。

「えっ!? 水面……よね!?」

 驚く王女にシアンは言った。

「冬になったら凍って水面歩けるでしょ?」

「ええ、まぁ……」

「だから、歩くたびに『今は冬だよ』って足元の水に話しかけるんだよ。すると歩けるのさ」

 シアンはニッコリと笑って言う。

 王女は初めて聞く話に驚いた。

「え!? 本当ですか?」

「嘘だけどね、きゃははは!」

 シアンはすごく楽しそうに笑い、王女は渋い顔をする。

「じゃ、ここで待っててね」

 シアンは池の中ほどに王女を立たせると、ツーっと上空へ向かって飛んで行った。

「あっ、待って……」

 王女は心細げに手を伸ばしながら、この不可思議な少女をどうとらえたらいいのか困惑する……。そして恐る恐る足元の水面を見つめた。



     ◇



 レオは剣を持った黒装束の男たちに囲まれている。

 『助けて』と言ったのはレオだったが、まさか放り込まれるとは思っていなかった。あまりにも無茶苦茶なシアンの行動にレオは心臓が止まりそうだった。



「ちょ、ちょっと待ってください!」

 おびえながら両手を前にして、何とか説得しようとしたレオだったが、

「問答無用!」

 そう言って男は剣を振りかぶり、一気に袈裟(けさ)切りに刃を振り下ろした。

 とっさに腕でかばうレオ。



 パキィィン!



 甲高い金属音がして剣は割れ、刀身はクルクルと宙を舞って地面に刺さった。

「へ?」「あれ?」

 驚くレオと黒装束の男たち。

「セイヤ!」

 後ろから別の男が剣で斬りかかったが、また剣は割れて刀身は飛んで行った。



 奇妙な沈黙が場を支配する。

 剣が効かない少年。一体、何をどうしたらいいのかわからず、男たちは戸惑(とまど)っていた。



 すると、空からバチバチバチッと激しい破裂音がして、雷のようなまばゆい閃光が辺りを照らす。

 みんなが音の方向を見上げると、そこにはシアンが両手を向かい合わせにして浮いていた。そして手の間には激しい閃光があがり、直視できない程のまぶしさで輝く。



「な、なんだありゃぁ!」

 黒装束の男たちは声をあげながら、本能的に危険を感じ、目に恐怖の色を浮かべた。

 まばゆい輝きはさらに強烈になり、天も地もすべて激烈な輝きに埋め尽くされ、みんな目を覆う。

「うわぁぁぁ!」「なんだこりゃぁ!」

 いきなりやってきた、この世の終わりのような光の洪水にみんな恐怖に震えた。

 直後、輝きはいきなりおさまる――――。



 みんな、恐る恐る空を見上げた。



 そこでは、シアンが何やらおぞましい漆黒の球をかかえ、

殲滅暗黒(ブラックホール)完成! きゃははは!」

 と、響き渡る声でうれしそうに笑う。

 シアンは地球と同サイズの星を約二センチメートルくらいに圧縮し、ブラックホールにしたのだった。地面に落ちないようにコントロールしているが、その強烈な引力は常識を超える力で空間すら歪ませていた。

 殲滅暗黒(ブラックホール)の周りにはドス黒いオーラのようなモヤが渦巻いており、紫色のスパークが時折パリパリっと閃光を放つ。

 その場にいるものは皆、見たこともない恐るべき脅威に戦慄した。

























1-4. 圧倒的な物理



「ま、魔女だぁ!」

 レオを囲んでいた者たちは、馬車の方へと一目散に逃げだした。



 その様子を見ていた黒装束の男たちの頭目は、

「また、怪しい魔術師が出てきやがった……。だが、うちにも先生がいる! 先生! お願いします!」

 そういって、傍らの黒ローブの男に声をかけた。

 だが、男はシアンを見ながら顔面蒼白になっている。そして、

「あ、あれは違う……。あれは魔術じゃない……魔力が一切感じられん」

 と、いいながら首を振って後ずさった。

「え? 魔術じゃなきゃ何なんですか?」

「わからん……。あえて言うなら……、物理?」

「物理……? 何ですかそれ?」

「自然の力だ。だがあんなに桁違いの力、ありうるのか? 信じられん……」

 ローブの男は冷や汗を浮かびながら呆然(ぼうぜん)としてた。

「先生、ごちゃごちゃ言ってないで倒してくださいよ! 高い金払ってるんですぜ!」

 頭目はイライラしながら叫んだ。

「くっ……。知らんからな!」

 そう言うと男は杖を振り上げ、呪文を唱えはじめた。

 すると、シアンに向けて巨大な真紅の魔法陣が高速に描かれ始める。高周波がキィ――――ン! と鳴り響き、周囲の空気も張りつめてくる。

「うほぉ! さすが先生!」

 頭目は上機嫌だ。



 魔法陣が完成すると男は、

灼熱槍(フレイムランス)!」

 と叫んだ。すると、魔法陣からまぶしく光り輝く巨大な豪炎がシアンに向かって一直線に飛んだ。

 周りの男たちも、

「おぉ!」「うわぁ!」

 と、歓声を上げる。



 シアンはすっ飛んでくる鮮烈に輝く炎の槍を見ると、うれしそうに、

「えいっ!」

 と、言いながら、殲滅暗黒(ブラックホール)を槍に向かって投げた。

 殲滅暗黒(ブラックホール)は炎の槍にぶつかろうとする瞬間、ヒュォン! と鈍く響く音を残し、跡形もなく炎の槍を飲み込んだ。



「えっ!?」「はぁ!?」

 頭目も男たちも驚き、言葉を失う。



 殲滅暗黒(ブラックホール)はそのまま一直線に飛び、途中で他の男たちを追い越しながら、追い越しざまに



 ヒュン! ヒュヒュン!

 と、音を立てて男たちを吸い込んでいく。



 それを見た黒ローブの男は焦って叫んだ。

絶対防壁(パーフェクトシールド)!」

 すると殲滅暗黒(ブラックホール)に向けて巨大な黄金の魔法陣が展開し、防御態勢となった。

 だが、殲滅暗黒(ブラックホール)はあっさりと魔法陣をヒュン! と、瞬時に飲み込み、黒ローブの男に迫る。

「だから嫌だったんだよぉ! うわぁぁ!」

 男は断末魔の叫びを残しながら、頭目と共に殲滅暗黒(ブラックホール)に飲まれて消えていった。



「そんなの効かないよ。そもそもその魔法陣、僕が考案したんだから」

 シアンはドヤ顔でそう言った。

 

 殲滅暗黒(ブラックホール)はそれだけでは飽き足らず、さらに周囲を徘徊しながら馬車も他の男も倒れてる騎士も次々と吸い込み始めた。

「うわぁ!」「何だこれはぁ!」

 悲鳴をあげながら逃げ惑う男たちも次々と飲み込まれていく。

 まさに地獄絵図が展開された。



「え……?」

 レオは何が起こったのか良く分からなかった。



 ゴ――――ッ!



 殲滅暗黒(ブラックホール)の吸引力はどんどん強まり、まるで竜巻のように周りの空気が轟音を立てながら殲滅暗黒(ブラックホール)に吸い込まれ始める。



「ヤバい! ヤバい!」

 危険を感じたレオは、どんどん強くなる暴風の中必死に逃げだした。

 シアンが飛んできてレオに追いつくと、

「なるべく殺さないように収めたよ」

 と、ニッコリと笑って言う。

「分かった、分かったからこの風止めて!」

 砂ぼこりが吹き付けてくる中でレオは頼む。

「わかったよ!」

 シアンはそう言うと、殲滅暗黒(ブラックホール)に手を向け、フニフニと不思議なしぐさで動かした。

 殲滅暗黒(ブラックホール)は動き回るのをやめ、吸引力も徐々に落ち、風も収まっていく。

 















1-5. 大地を穿つ大穴



「ふぅ、良かった……」

 レオが胸をなでおろした時だった。小さな渦を巻いて吹き上がった砂ぼこりがシアンの顔を直撃してしまった……。

「ふぇ……」

 シアンが動かなくなる。

「だ、大丈夫?」

 レオは心配した。

「ふぇっくしょん!」

 思いっきりくしゃみをするシアン。

 その拍子に道に落ちる殲滅暗黒(ブラックホール)……。

 すると、殲滅暗黒(ブラックホール)は道そのものをはぎ取り、大地をガンガン吸い込みながら一気に地中へと落ち始めた。



「あっ!」

 レオが驚いている間にも殲滅暗黒(ブラックホール)は加速しながら地中深くへと落ちて行く。ズズズズ! と激しい地響きを伴いながら大地がどんどんと飲み込まれ、巨大な穴が広がっていく。

「ヤバい、ヤバい! 星が消えちゃう!」

 シアンはそう叫びながら、急いで暗く深い穴の底へと飛び降りていった。

 地響きはどんどん激しくなり、レオは立っていることもできなくなる。穴はどんどん広がり、レオの所に断崖絶壁が迫ってきた。

「うわぁ! シアン――――!」

 叫ぶレオ。



 ズン!

 激しい閃光が穴から吹き上がり、激しい衝撃がレオを襲う。

「ひぃ――――!」

 一気に地割れが広がり、レオに迫ってきた。

「マズい!」

 レオが真っ青になって逃げようとした瞬間、地面が崩落し始める……。

「ぐわぁ――――!」

 地面と共に真っ逆さまに穴に落ちて行くレオ。手足をワタワタとしながらレオの身体は深い深い穴の奥へと吸い込まれていった……。

 レオには全てがスローモーションのように見える。崩落していく地面と共にゆるやかに宙を舞い、穴の開口部から見える青空がどんどん小さくなっていく……。



「なぜ……?」

 王女を助けてって言っただけなのに、地獄の底へと落とされる理不尽さに、レオは気が遠くなり、ビュオーという激しい風切り音に身を任せていた――――。



 直後、レオはいきなり身体がふわっと浮き上がる感覚を覚える。そして、ふんわりと柔らかいものに受け止められた。

「え?」

 驚くレオ。

「セーフ! くしゃみは危険だねっ!」

 シアンが苦笑しながら言う。レオを受け止めたのはシアンだったのだ。

 レオは大きく息をつくと、

「……。もう……、死んだと思ったよ……」

 と、眉をひそめた。

「ゴメン、ゴメン!」

 シアンはそう言いながら、レオを抱きかかえたまま深い深い穴を地上へ向けて飛ぶ。

 レオはシアンの体温を感じながら、安堵に包まれた。

 それにしても王女様を助けるのになぜこんな大穴が開くのか、改めてシアンのメチャクチャさにレオは深いため息をついた。



 シアンはどんどんと上昇し、開口部を超えて上空まで一気に飛んだ。

 いきなり明るくなり、ブワッと広がる黄金色の麦畑……。

「わはぁ!」

 レオは生まれて初めて見る上空からの風景に圧倒される。広大に広がる麦畑に、キラキラと日差しを反射しながら流れる川、遠くに見える立派な街の城壁……。それはまるでおもちゃのミニチュアのように現実感を伴わないまま、レオの視界いっぱいに広がった。



 そして下を見ると、ポッカリと開いた底の見えない真っ黒な穴……。美しい風景の中、そこだけ、異様な禍々しさを放っていた。

 シアンは直径百メートルはあろうかと言うこの巨大な穴の周りをぐるっと回って飛んで様子を確認する。

 道は途切れてしまい、池からの水が滝のように穴へと流れ落ちていた。もはや災害である。



        ◇



 王女が池から上がってきて、道からシアンたちを見あげていた。

 シアンは彼女を見つけると、王女に手を振りながら徐々に高度を落としていく……。

 そして、王女の前にシュタッと着地すると、

「悪い奴はとっちめておいたよ!」

 そう言いながらレオを下ろした。

 王女はとまどいがちにシアンに頭を下げてお礼を言った。

「た、助けていただいてありがとうございました」

「無事でよかったね!」

 シアンはニコニコしながら言う。

 しかし、王女は穴の中を恐る恐るのぞき、どこまでも深く底の見えない暗黒の穴におののく。

「この穴は何とかならないでしょうか? 道が切れるのは困るんです……」

 王女は困惑した表情を見せる。



「分かったよ!」

 シアンはニコッと笑うとツーっと穴の上空へと飛んだ。

 そして両手を空へと伸ばすと、漆黒の雲が生まれ、シアンを中心にどんどんと空を覆っていった。



 レオは青くなった。またとんでもない事をやるに違いない。常識の通じないこの少女の行動は一体どうしたらいいのか? レオは混乱しながら少し気が遠くなった。











1-6. 全員生き埋め!?



 レオは王女に、

「ヤバい、ヤバい、逃げよう!」

 そう言って、王女の手を握って駆けだした。シアンが何かをやろうとする時は逃げた方がいいと、レオは学習したのだ。



 やがて辺りは夜のように真っ暗になり、空に巨大な金色の円が描かれた。そして、中に六芒星(ぼうせい)が描かれると、その周囲にルーン文字が高速にびっしりと描かれていき、魔法陣を形成していった。それは神々しさすら感じられる美しい光景だった。



 レオが振り返ると、魔法陣が出来上がり、そこからまっすぐ下に光芒(こうぼう)が放たれていった。

 シアンはその光芒の中で楽しそうに浮かんでいる。青い髪をゆらし、スカートがはためき、その様子はまるで神話に出てくる天使の様だった。

 徐々に光芒は強くなり、目が開けていられないくらいの激しい明るさに達した直後、シアンは両手を穴へと振り下ろす。



 ズズーン!



「うわぁぁぁ」「ひぃっ!」

 激しい地鳴りがして大地震のように地面が揺れ、レオも王女も倒れ込んでしまう。



 揺れが収まり、恐る恐るレオが後ろを振り向くと、大穴だった所には小高い丘が盛り上がっていた。



「えっ?」

 レオはゆっくりと起き上がりながら様子を確認するが、それは土砂が積みあがった工事現場のようになっていた。



「うーん、これじゃ道が引けないなぁ……」

 シアンはそう言うと、再度両手を振り下ろした。



 ズーン!

 激しい地鳴りが響き渡り、道の所だけ一直線に凹んで、切通のように成形された。



 レオも王女も唖然(あぜん)としてその恐るべきシアンの技に圧倒される。



「僕はね、『王女様を助けて』ってお願いしただけなんだ……」

 レオは青ざめながら言った。

「ありがとう……。彼女は何者なの?」

「深淵より来た根源なる威力(オールマイティ)って言ってたよ。神様より強いんだって」

「神様より!?」

 王女は丸い目をしてレオを見つめた。

「悪い人じゃないと思うんだけど、なんだか雑なんだよね……」

 レオは渋い顔をして首を振った。



 シアンは道の出来を見て満足そうにうなずくと、

「道をつなげたよー」

 と言いながら、レオ達のそばにシュタッと着地する。



 レオも王女も言葉を失ってただシアンを見ていた。

「あれ? もう大丈夫だよね?」

 シアンはニコニコしながら言う。

 レオと王女はお互いを見つめ合って言葉を探した。



「お、お疲れ様。でもなんでこんな盛り上がっちゃったの?」

 レオが聞いた。

「うーん、吸い込んだものをそのまま戻しただけなんだけどな……。まあ、道が通ればいいんでしょ?」

 シアンはうれしそうにそう言った。



「えっ!? これ、吸い込んだ物なの? じゃあ、吸い込まれた人はどこに居るの?」

 レオが不安そうにシアンに聞く。

「えっ?」

 シアンは驚いたようにレオを見る。

 嫌な沈黙の時間が流れた。



 シアンは急に駆け出すと、手を使ってザクザクと丘を掘り始めた。

「まさか……、生き埋め……なの?」

 王女は不安げに言う。

「ま、まさか……」

 レオは青い顔をしてシアンを見つめた。



 やがてシアンは何かを掘り当てたが……、困惑した表情を浮かべ、また埋め戻してしまった。

 遠目には誰かの腕のようだったが……。



 もしや全員殺しちゃったのではないだろうか? レオと王女は蒼ざめた顔でお互いを見つめ合った。



 シアンは目を閉じてうつむき、額に手を当てて考え込んでいる。



「うーん……、うーん……」

 シアンはうなり始める。

 レオも王女も不安そうにシアンを見つめた。



 しばらくうなった後、

「よいしょ――――!」

 と、叫びながらシアンは斜め上にこぶしを振り抜いた。すると、空中に巨大な魔法陣がぼうっと浮かび上がり、そこから道の上にドサドサドサっと多くの人や馬車、馬が落ちてきた。

 騎士たちは「いてて……」と言いながら、尻もちをついたまま腰をさすったりしている。黒装束の男たちも同じように落ちてきたが、彼らはピクリとも動かなかった。



「ふぅ……。これでいいかな?」

 シアンは戻ってくると、ニコッと笑って言った。



 レオは唖然(あぜん)としてボーっと彼らを見つめる。吸い込んだ人を吐き出すような魔法なんて聞いたこともなかったのだ。なるほど、確かに神様より強いのかもしれない。しかし、その行き当たりばったりな雑さに、一抹の不安をぬぐえないレオであった。





























1-7. 死んでいた騎士



 騎士たちは黒装束の男たちの状況を調べ、何かを相談すると、代表が王女の所へやってきて耳打ちする。



「あれ?」

 レオは驚いた。この騎士は槍で滅多突きにされ、馬から落とされていたはずだ。それなのに、ケガ一つなくピンピンとしているのだ。レオはどういうことか分からず怪訝(けげん)そうにやり取りを見つめた。



 王女は騎士の言葉にうなずくと、

「分かったわ。後始末はよろしく。私は先に帰ってるわ」

 と、王族らしく堂々とした態度でそう言った。



 王女は大きなブラウン色の瞳でレオとシアンを見て、

「あなたたち、ありがとう。後で宮殿に来てくれる? お礼がしたいの……」

 そう言ってニッコリと笑った。

 長いまつげに整った目鼻立ち、そして透き通るような美しい肌。美しい王女の微笑みにレオはドキッとしながら、

「わ、分かりました。僕はレオ、彼女はシアンです」

 そう言って頭を下げた。

「レオにシアンね。私はオディーヌ。一緒にお茶でも飲みましょ」

 オディーヌはうれしそうにそう言うと、馬車に乗りこむ。そして、優雅に手を振りながら何事もなかったかのように街の方へと去っていった。



 王宮にご招待されて王女とお茶会。それは奴隷の少年にとって信じられない話だった。レオは心臓がドキドキして馬車の行方をいつまでもボーっと見つめていた。



       ◇



 騎士たちは倒れている黒装束の男たちを縄で縛りあげていく。

「一応生きてるんだよね?」

 レオはシアンに聞いた。

「レオが『殺すな』っていうから、いろいろ考えたんだよ!」

 シアンはちょっとムッとして言う。

「あ、そ、そうだよね……、ありがとう」

 レオは頭を下げた。

「でも、人助けもいいものだね」

 シアンはすがすがしい表情でニコッと笑った。

「悪い奴が捕まっていく……。いい損ができたってことだよね」

「まぁ、損ばかりじゃやってられないけどね」

 そう言ってシアンは肩をすくめた。



「そう言えばあの人って、ケガしてたと思うんだけど……」

 レオは騎士を指して言った。

「ケガ? 死んでたよ」

 シアンはあっけらかんと言った。

「え!? 生き返らせたの!?」

「あれ? マズかった?」

 シアンはキョトンとした顔で言う。

「い、いや。いいことだと……思うけど……」

「人間は死んでもしばらくは脳が生きてるからね」

 シアンはそう言いながら自分の頭を指さした。

「え? そう言うものなの?」

「一応そういうことになってるよ」

 シアンはそう言ってニヤッと笑った。

「シアンと話していると何が本当だか分かんなくなるよ」

 レオは首を振りながら言う。

「ふふっ、信ずる者は救われるよ。きゃははは!」

 シアンはうれしそうに笑った。



     ◇



 二人はどうやって国を作るのか、雑談まじりに話しながら街を目指した。

 黄金に輝いてウェーブを作りながら揺れる麦畑の間の道を、時に笑いながら楽しく歩く。

 しばらく行くと、城壁に囲まれた街が見えてくる。城門をくぐるとそこには立派な石造りの街が広がっていた。



「綺麗な街だねぇ」

 シアンは目をキラキラさせ、キョロキョロしながら石畳の道を歩く。



「ここはニーザリの街。もう少し行って入ったところがうちの商館だよ」

「うんうん、奴隷の権利を取り戻さないとね」

 シアンがそう言うと、レオは金の短剣を取り出して眺めながら、ゆっくりとうなずいた。



         ◇



 商館に着くと、ジュルダンの部屋へ行った。

 レオの中では、いよいよ奴隷から抜け出せるかもしれないという興奮と、ちゃんと交渉できるかどうかの不安がせめぎ合っていた……。

 そんな緊張しきったレオをシアンは軽くハグし、

「頑張っておいで……」

 と、応援した。



 レオは大きく息をつくと、トントンとノックをして、

「レオです。お話があってまいりました!」

 と、叫ぶ。

「何だ?」

 中からの返事を待ってドアを開けると、大麻臭いよどんだ空気がもわっと漂う。

 レオはちょっと顔をしかめると、

「失礼します!」

 と、中へと進んだ。

 





























1-8. 勝負! 勝負!





 ジュルダンは紙に巻いた大麻を一口大きく吸うと、レオをギロっとにらんで言った。

「なんだ? さっきの事で文句でもあるのか?」

「いえ、そうではなく、僕の奴隷の権利を買い取らせてください!」

 ジュルダンは目をキラッと光らせ、

「へぇ……? そんな金、どうした?」

 と、怪訝(けげん)そうな顔をする。

「これです!」

 レオは金の短剣を両手でジュルダンに手渡した。

 ジュルダンは大麻をくわえたまま、短剣を裏返したりしながらじっくりと検分する。

「なるほど。これは良い品だな……。その女にもらったのか?」

 ジュルダンはアゴでシアンを指しながら言った。

「そうです。彼女にもらいました」

「悪いが、これじゃ足りんな。あと金貨百枚持ってきな」

 そう言って、ジュルダンは短剣をテーブルにおいて突っ返した。

「えっ!? 相場だったらこれでもお釣りがくるくらいですよ?」

 レオは焦った。

「相場は相場。売値は俺が決める。奴隷のくせに生意気だ!」

 ジュルダンはそう言っていやらしい笑みを浮かべた。

「そ、そんなぁ……」

 ガックリし、うなだれるレオ。

 そんなレオの背中をシアンはポンポンと叩き、ジュルダンにニコッと笑って言った。

「賭けをしようよ!」

「賭け……?」

 ジュルダンは大麻をゆっくりと吸いながら、シアンを上から下までジロジロとなめ回すように見た。

「あなたが勝ったら金貨千枚あげる。でも、負けたらレオの条件で売ってよ」

「千枚……? お前そんなに金持ちなのか?」

「ほら」

 シアンはそう言ってどこからともなく金貨を出すと、テーブルの上にジャラジャラと金貨の山を築いた。

 唖然(あぜん)とするジュルダンとレオ。

「勝負! 勝負!」

 シアンはニコニコと笑った。

 ジュルダンはニヤッといやらしい笑みを浮かべ、

「千枚じゃ足りんな。俺が勝ったら今晩お前に夜伽(よとぎ)をやってもらおう」

 そう言って、豊満なシアンの胸をいやらしい目つきで見た。

「いいよ!」

 シアンはあっけらかんと返す。

「ダ、ダメだよ! シアン! 夜伽っていうのは、裸にされて、エ、エッチなことをされちゃうんだよ!」

 レオは真っ赤になって言ったが、

「大丈夫、負けなければどうということもないよ!」

 と、優しくレオを見た。



「負けないだと? 何で勝負するんだ?」

 ジュルダンは(いぶか)しげに言う。

「何でもいいよ? 好きに決めて」

 うれしそうに言うシアン。

 ジュルダンはちょっと考えて……、

「じゃあ、腕相撲な」

 と言ってニヤッと笑った。

「いいよ!」

 シアンはそう言うと、ヒョロッとした腕を曲げ、わずかに盛り上がる力こぶを見せた。

 ジュルダンはドアを開けると、

「ウォルター! 来い!」

 と、叫んだ。

 ほどなく、筋肉ムキムキのごつい男がやってくる。

「ウォルター、このネーチャンと腕相撲して勝て」

「えっ? この子と……ですか!?」

 ウォルターはヒョロッとした女の子と腕相撲なんてどういうことか、悩んでしまった。

「遠慮せず、バチコーン! と腕をへし折ってやれ!」

 ジュルダンは発破をかける。

「わ、わかりました……」



 ジュルダンは脇に置いてあった小さな丸テーブルを持ってきて、椅子に二人を座らせた。そして、

「はい、じゃあ手を出して……」

 そう言って二人の手を組ませる。

「ウォルター、手を抜くなよ! 勝ったら金貨一枚やるからな。今晩のお楽しみがかかってるんだ。絶対勝て!」

「き、金貨!? か、勝ちますよ!」

 ウォルターの気合が十分に上がったところで、ジュルダンは声をかける。

「レディー!」

 部屋にはピリピリとした緊張感が走る。

 レオは手を合わせ、不安そうにシアンを見た。もちろん、神様より強いシアンが負ける訳がない。しかし、ジュルダンが狡猾な男だということは嫌というほど知っている。絶対ただでは負けないはずだ。嫌な予感にレオは押しつぶされそうになる。

 シアンは相変わらず口元に微笑みをたたえ、勝負を楽しみにしているようだった。



























1-9. アヒルピョコピョコ



「ゴー!」

 ジュルダンの掛け声と同時に、

「ぬおぉぉぉ!」

 ウォルターのうなり声が部屋に響く。

 だが……、シアンの腕はビクともしなかった。

 焦ったジュルダンは叫ぶ。

「おい! 何やってんだ! お前の筋肉は飾りか!?」

 しかし、ウォルターがどんなに真っ赤になって頑張っても、シアンの腕はビクともしなかった。

「うしし、それじゃ勝っちゃおうかなぁ……、きゃははは!」

 シアンはうれしそうに笑い、徐々に力を入れ始めた。

 ウォルターがどんどんと押されていく。

「何やってんだお前! 金貨だ! 金貨パワーで頑張れ!」

 ジュルダンは青くなりながら叫ぶ。

「ぐぉぉぉぉ!」

 ウォルターは真っ赤になりながら渾身の力を振り絞るが、どんどんと押し倒され、もうすぐ机に着きそうになった。

 と、その時だった。



 ガン!

 ジュルダンがテーブルの足をけってテーブルが大きく揺れた。

「おっといけねぇ!」

 白々しくジュルダンが言う。

「今、ネーチャンのヒジが浮いたから、ネーチャンの反則負けな!」

 無理筋の理屈を強引に主張するジュルダン。

「何言ってるんですか! ご主人様の反則負けですよ!」

 レオが真っ赤になって怒る。

「はぁ? テーブルけっちゃいけないなんてルールはないぞ?」

 ふてぶてしく言い放つ。

 そして大麻をおいしそうに吸った。



 すると、シアンは無言ですっと立ち上がる。

 皆、何をするのかとシアンを見つめた。

 直後、シアンは目にも止まらぬ速さでこぶしをテーブルに叩きつけ、耳をつんざく激しい衝撃音をあげて、テーブルは粉々に吹き飛んだ。



 唖然(あぜん)とする一同。



 そして、無表情のまま、

「ふぉぉぉぉ……」

 と、声を上げると、全身から漆黒のオーラをぶわっと噴き出した。オーラは暴風のように勢いよく噴き出し、書類を巻き上げていく。



 シアンは両手を高々と上げ、

「きゃははは!」

 と、うれしそうに笑い声をあげると、燃えるような紅蓮の瞳を輝かせ、さらに強くオーラを噴き出した。ズン! と衝撃音と共に屋根が吹き飛び、窓ガラスがパンパンと次々と割れていった。



 部屋からは青空が見え、まるで竜巻が直撃したかのようだった。

「うわぁ!」「ひぃ!」

「あわわわわ! ま、魔女だぁ!」

 ジュルダンは腰を抜かしへたり込む。

 シアンは紅蓮の瞳で射抜くようにジュルダンをにらんだ。

「ひぃぃぃ!」

 ガタガタと震えるジュルダン。

 そして、シアンは胸の所から何か黄色い物を出す。

 それはプラスチックでできた可愛らしいアヒルのオモチャだった。

 シアンはアヒルの赤いくちばしにチュッとキスをすると、それをジュルダンの方へ差し出す。

 ジュルダンは何だかわからず、震えながらアヒルを見た。

 直後シアンはギュッとアヒルを潰す。



「ホゲェェェェ!」

 赤いくちばしから奇声を上げるアヒル。

 すると、ジュルダンは淡い光に包まれた。

「な、なんだこれは!? う、うわぁぁぁぁ!」

 ジュルダンがビビった直後、ジュルダンはあっという間に縮んでアヒルに吸い込まれていった。

「悪い子はおしおき! きゃははは!」

 シアンの笑い声が不気味に部屋に響く。

 やがてオーラは消え去り、滅茶苦茶になった部屋の中で、アヒルが動いた……。



「な、なにをするんだ!」

 アヒルがカタカタ揺れながら、可愛い甲高い声で叫ぶ。

「アヒルにしちゃいけないルールもないよね?」

 シアンはうれしそうに言った。

「くっ……! わ、悪かった。許してくれ。レオの奴隷契約も差し出す」

 アヒルはピョコピョコと揺れながら言った。

「これ、どう思う?」

 シアンはウォルターにアヒルを渡して言った。

「お、おい、何するんだ!?」

 アヒルが可愛い声で叫ぶ。

 ウォルターはアヒルをしげしげと眺め、

「これ、どうなってるんですか?」

 と、言いながら、ギュッと握りつぶした。

「ホゲェェェェ!」

 アヒルが奇声を上げる。

「あ、なんか、この声クセになりますね!」

「やめろ! ウォルター! 貴様!」

 アヒルが可愛い声を上げる。

 ウォルターはうれしそうに再度握りつぶした。

「ホゲェェェェ!」

 あまりにも滑稽な奇声に、みんな思わず笑ってしまう。

「はっはっは!」「わははは!」「きゃははは!」

「お、お前ら……ホゲェェェェ!」



 しばらくみんなでオモチャにした後、

「さーて、じゃあ、奴隷契約書はもらってくよ」

 そう言って、シアンは金庫を力ずくでバキバキっと壊して開け、契約書の束をパラパラとめくった。

「おい、何するんだ! 人間には戻してくれるんだろうな?」

 アヒルがウォルターの手の中で、ピョコピョコしながら喚く。





























1-10. 首輪からの自由



「あーこれこれ!」

 シアンは契約書を一枚抜きだし、そしてビリビリッと破いた。すると、中から一本の細いワイヤーが現れる。

 シアンはそのワイヤーを抜き出すと、レオの首にガッチリとついている金属製の首輪の穴にそっと通した。



 ガチャ!



 首輪は音を立ててはずれ、地面にガン! と落ちて転がる。

「やったぁ!」

 レオは思わず両手のこぶしを握り、ガッツポーズ。

「これで君は自由だよ」

 シアンはニコッと笑った。

「ありがとう、シアン! 恩に着るよ!」

 レオは目に涙を浮かべながらシアンの手を取る。

「自由の国を作るんでしょ? これがスタートだよ!」

 シアンは優しく言った。

「うん! 一緒に作ろう!」

 レオは力強くシアンの手を握った。



        ◇



「おじゃましました~!」

 シアンがそう言って部屋を後にしようとすると、

「ちょっ! ちょっと待ってくださいぃぃ! 戻してくださいよ!」

 アヒルが可愛い声で叫んだ。

 振り返るシアン。

「アヒルはあのままなの?」

 レオはシアンに聞いた。

「放っておけば元に戻るからねぇ」

 シアンはちょっと悩みながらアヒルを見た。

「えっ!? どのくらいで戻りますか?」

 アヒルが必死に聞く。

「次の日蝕(にっしょく)かな?」

「それって……いつ?」

 レオが聞く。

「三年後……?」

 シアンは首をかしげながら言った。

「えぇぇ! そりゃないよ、ねぇさん!」

 アヒルが泣きそうな声を出す。

 悲壮なアヒルを見てレオが言った。

「僕は三年間あなたにいじめられ続けましたけどね?」

「……」

 アヒルは言葉なくうつむく。

 そして、ゆっくりと言った。

「ゴ、ゴメン……。悪かった……」

「まぁ自業自得だねっ!」

 シアンはニコニコしながら言う。

 アヒルは目を閉じてがっくりとうなだれた。相当な苦難が予想される三年、それはジュルダンにとって生まれて初めて感じた絶望だった。

 その様子を見てレオが言う。

「ちょっとかわいそう……かな?」

「そう! かわいそう!」

 アヒルは顔を上げると必死にレオにアピールする。

 シアンはそんな様子をしばらく眺め、アヒルを手にしてボーっと立っていたウォルターに聞いた。

「君はどう思う? 元に戻してあげたい?」

「え? お、俺ですか!? うーん……」

 考え込んでしまった。

「ウォ、ウォルター、今までたくさん世話してやったじゃないか! お前からも頼んでくれ!」

 アヒルは必死である。

「ご主人様は俺の事を奴隷だと馬鹿にして人間扱いしてくれませんでした。食べ物も硬いパンと残飯ばかり。正直不満だらけです」

 ウォルターは淡々と言う。

「あーあ、残念でした!」

 シアンはそう言うと立ち去ろうとする。



「ま、待ってくれ! ……。ウォルター! お前には酒も飲ませてやったじゃないか!」

 アヒルは必死に説得を試みる。

「あれ、飲み残し集めた奴ですよね? 俺、知ってますよ」

「いや、それは……」

 アヒルはうつむいてしまう。

「もちろん、感謝してるところもあります。だから、奴隷たちを人間扱いするって約束してくれませんか?」

 ウォルターはアヒルをジッと見つめて言う。

「……。そうだな……。俺が悪かった……。約束しよう」

 アヒルはうつむきながら神妙に答えた。

 シアンはそのやり取りを見ると、

「ふぅん……。それじゃ執行猶予を付けてあげる?」

 そう言って二人に聞いた。

 ウォルターもレオもゆっくりとうなずく。



 シアンはニッコリと笑い、自身の手を淡く光らせる。そして、アヒルの頭をなで、アヒルに光をまとわせた。

 すると、アヒルはモコモコと膨らみ始め、やがて太った若い男へと変わっていった。

「おぉ! ねぇさん……、ありがとう!」

 ジュルダンは目に涙を浮かべながらシアンの手を取り、両手で包んだ。

「悪いことすると自動的にアヒルに戻るから気を付けてね」

 シアンはほほえみを浮かべながらも、鋭い目でジュルダンをにらんだ。

「わ、悪いことというのは具体的には……?」

「『これやったら困る人が出るな』ってこと。自分で分かるでしょ?」

 ジュルダンは一瞬固まり……、

「わ、わかり……ました……」

 と、うつむきながら答えた。
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