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「キスマーク、ついてるよ」

「え?」

 ほどほどにね、と部下を窘める視線を送りながら、旭は自分のデスクに戻って行き。

「……っ!?」

 千真は、慌ててうなじを手で押さえた。
 キスマークなんて、つけられた覚えはない! そう言ってやりたいのだが、同僚の生温い視線の意味がそれだと気づき、今さら虫刺されですというのも、なんだか言い訳に言い訳を塗り重ねるような気がして、黙って下を向いた。

 絶対に、誤解なのに。絶対に、虫刺されなのに。キスマークをつけられるようなこと、した覚えなんて微塵もないのに。
 しかもそれを、旭に指摘されるなんて。

 本当に最近、ついてないことばっかりで、嫌になる。
 泣きたいやら喚き散らしたいやら、散々だ。

 じわり、涙を滲ませながらもうなじを気にしつつ、先ほどとは打って変わって静かにキーボードを叩きながら、千真は手元の書類を片づけるべく黙々と作業を進めようとすると、朝礼のチャイムが鳴り、全員静かに立ち上がった。
 もちろん千真は、姿勢が悪いと思ったものの、うなじに手を当てたままである。風吹が絆創膏を貼ってはくれたが、旭にあんなことを言われ、気にならないわけがない。

「今日、大狼駿介から遅刻の連絡が入ってます。問い合わせ等あれば、私に回してください。それと――」

「……あっ!」

 旭から連絡事項が淡々と語られる中、千真は大きな声を上げた。

「賀永さん? どうかした?」

「い、いえ、なんでもありません。失礼しました」

 慌てて首を振り、下を向く。旭の報告のせいで、嫌なことを思い出した。
 うなじを擦りながら、昨日の倉庫での出来事を思い出す。踏み台から落ちたあと、でっかい虫に、吸われたことを。

(――信っっじらんない)

 自覚がなかった千真もよくないかもしれないが、一番よくないのは、悪意があって痕をつけた駿介だろう。
 見る人が見ればそれと判る痕を、きっとわざとつけたに違いない駿介に、苛立ちが募る。千真のことが嫌いなら、相手にしなければいいのに。こんな嫌がらせをするくらいなら、いっそのこと、無視してくれたほうがずっといい。

 怒りで、ぷるぷると身体が震える。朝礼当番が自分の日じゃなくてよかった、と心底思った。
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