ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

3-3.君に死は似合わない

 寿司をたっぷり堪能したら、いよいよ戦場へ移動である。
 すっかり寒くなった、(きら)びやかな銀座の夜景の中をバーまで歩く。
 途中、楽しそうに腕を組んで歩くカップルをボーッと見ていると、美奈ちゃんが急に俺の腕にしがみついてきて、
「何? こうやって欲しいの?」
 と、言いながら小悪魔な笑顔を見せる。
 俺の二の腕には、柔らかな胸の温かさがじんわりと伝わってくる。
「い、いや、そんな……え?」
 俺はドギマギして言葉にならない。
「うれしい?」
 笑顔を輝かせながら聞いてくる美奈ちゃん。
 ふんわりと漂ってくるブルガリアンローズの香りに、俺は少しクラクラして何と答えたらいいのか途方に暮れた。
「何よ? 嫌なの?」
 反応の鈍い俺に不満げな美奈ちゃん。
「う、うれしいけど、こういうのは恋人同士がやるものだよ」
 と、無粋な返答をしてしまう俺。
「つまんない人ね!」
 美奈ちゃんは軽蔑の視線を俺に投げると、クリス達の方へ行ってしまった。
 俺は少し立ち止まり、美奈ちゃんの胸の温かさが残る二の腕をそっとさすった。
 胸がキューっと痛くなる。
 どうするのが正解だっただろう?
 俺は目を瞑り、うなだれ、そして大きく息を吐いた。
 北風がビューっと俺の体温を奪っていく……。
 華やかなネオンの下を行きかう人たちは、みな楽しそう。そんな中を、俺は一人暗い心持ちでトボトボと歩いた。
 これから遠藤と戦わなくてはならないというのに、困ったものだ。
 俺は大きくため息をついた。

      ◇
 
「いらっしゃいませ」
 ドアを開けるとバーテンダーが、微笑んで迎えてくれる。
 
 俺は開口一番ラフロイグのストレートを頼み、まずは気合を入れるためにキューッと飲んだ。
 焼けるような熱さが、のどから胃に広がっていくのを感じる。
 そして、鼻腔(びくう)を貫く強烈なピート臭。キツい!
『ヨシッ!』
 俺は戦闘準備が整ったのを感じた。
「また飲みすぎないでよね」
 美奈ちゃんがジト目で言う。
「その時は介抱してくれるんだろ?」
 俺はニヤッと笑って返す。
「一回五千円ね!」
 美奈ちゃんはうれしそうに返す。
「なんだよ、金取るのかよ!」
「今なら二割引きデース!」
「なんだよそれ~」
 俺は思わずのけぞってしまう。
 こういう馬鹿話なら得意なのにな、と思いながら、オシャレな丸い照明が微かに揺れるのをボーっと見ていた。
 するとドアが開いた。遠藤だ。
 気合を入れなおす。
 親父さんは、
「遠藤さん、こっちこっち」と、席に座らせる。
「こちらは、うちが出資してるAIベンチャーの皆さん。彼が社長の神崎君だ」
「神崎です、よろしくお願いします」
「あー、はい、遠藤です。よろしくです。で、今日はどういったご用件で?」
 遠藤は何やら警戒しているようだ。
 俺は単刀直入に切り込む。
「遠藤さんがやられているスキームですが、これは出資法一条で禁止されています。罰則は三年以下の懲役もしくは三百万円以下の罰金、またはその両方です」
「うーん、法解釈の話をここでしても仕方ないですね。私は、出資法には抵触してない、と考えていますので」
 この辺は理論武装しているようだ。
「田中さんと、そのご紹介先の出資金を、そのまま返してくれれば、こちらとしても、事は荒立てたくないと考えています」
「いやいや、解約するなら違約金をもらいますよ」
 どう転んでも損はしない、悪党はその辺バッチリだな。
「こんな見え見えのポンジスキーム、調査したら言ってた事と違う事、色々と出てくるんじゃないですか?」
「いや、我々は公明正大に、やるべき事をやってますよ。ビットコイン取引で、ちゃんと利益も出してますし」
「どこの取引所で誰のアカウントでですか? 調べたらすぐに分かりますよ」
「うるさいな~、勝手に調べたらいいんじゃないですか?」
 遠藤はそう言って席を立とうとする。
 親父さんは、遠藤を制止し、
「遠藤さん、酷いじゃないか! 公明正大と言いながら逃げるのか?」
「我々は契約書通り進めるだけです」
 埒が明かない。予想通り、こうやって逃げ切るのだろう。
 クリスが口を開く
「…。遠藤さん、悪人と詐欺師とは、人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。人を騙す事は自分の人生を(けが)す事です。公明正大に、胸を張れる生き方にシフトしませんか?」
「お説教なんて、聞きたくないね」
 クリスは、目をそらす遠藤をじっと見つめると、こう言った。
「…。悠真(ゆうま)くんが、あなたと話したいと言ってます。話しますか?」
 遠藤の目の色が変わった。
「ゆ、悠真だって? 何言ってんだ、悠真はもう死んでる。ふざけた事言うのは止めろ!」
 遠藤は急に激昂(げきこう)し、テーブルを叩いた。
「…。じゃぁ、本人に来てもらいましょう。美奈ちゃん、悪いですがお願いできますか?」
 美奈ちゃんは、険悪な雰囲気に引きつった表情を浮かべながら……
「え? またやるの……? 分かったわ……」
 そう言って、渋々席を移ってクリスと手を重ねた。
 美奈ちゃんは目を瞑り、しばらく首をぐるぐると回していたが……
 急にパチッと目を開けると、遠藤を見てにっこり笑った。
「パパ! 僕だよ、ゆうくん! ひさしぶり!」
 明らかに子供の声に変わった。
「ゆうくん!? いや、ちょっとこれ、どういう事なの?」
 焦った遠藤がクリスに聞く。
「…。悠真くんが、話したいことがあるというので、聞いてあげてください」
「パパ、ごめんね。『沖の方には行くな』って言われてたのに、僕、言う事聞かなくて……」
「えっ?」
 遠藤は、何が起こったのか分からずに、唖然(あぜん)としている。
 沖の方と言うと、水難事故で亡くなったという事だろうか?
 
「パパ、あのね、すごい大きなお魚がね、ピョンって飛んだんだよ。だからそこまで行きたかったんだ」
「魚?」
 遠藤はまだ理解が追いつかないようだ。
 
「そしたら、足がつかなくてね、バタバタしてたら水飲んじゃった」
 遠藤は固まっていたが、やがて悠真くんの事を、信じたようだった。
「……。そうだったのか……。いや、あれはパパが悪かった。浮かれてビールなんか飲んで、ゆうくんの事……ちゃんと見て……なかった……」
 そう言って、遠藤はうなだれて涙を拭いた。
「パパは全然悪くないよ。ごめんねって伝えたかったんだ。ほんとだよ」
「ゆうくん……」
 そう言うと、遠藤は肩を揺らして泣いた。
「でね、パパにお願いがあるんだ」
 号泣してる人に容赦ないな、この子は。
 
「え? お願い? いいよ、何でも聞いてあげるよ」
 涙を拭きながら、遠藤は顔を上げる。
 
「ママと仲直りしてほしいんだ」
 遠藤はチラチラと俺達を見ながら言う。
「いや、ここでちょっとママの事は……」
「ママが皆にいじめられてるんだ」
「え? どういう事!?」
 遠藤はちょっと声が大きくなる。
「ママ、今一人で暮らしてるでしょ? だから働かないといけないんだって」
「そんなの、ママが勝手に出て行ったんだ。パパは知らないよ」
 遠藤は少し不貞腐れて、ぶっきらぼうに言った。
「でね、会社で意地悪されてるの」
 遠藤はハッとした表情をして、少し考えて言った。
「ママは気配り下手だからな……」
「ママね、パパからの電話を、ずっと待ってるの」
「え? なんで? ママが自分で出てったんだぞ!」
「ママは今も、電話を持って寝てるの」
 それを聞いた遠藤は、頭を抱えてつぶやいた。
「明日香……。何をやってんだお前は……」
 
「パパ、仲直りして」
「いや、ママが勝手に出て行ったの! なんでパパが……」
 遠藤は意地を張って言う。
「パパ言ってたよね。『優しくなれ! 優しい人はカッコいいぞ!』って」
 遠藤はハッとした。その言葉を思い出したようだった。
「……。そうだったな。お前に教えられるなんてな……」
 遠藤はしばらく考えていたが、意を決して立ち上がり、
「ちょっと失礼……」
 そう言って店の奥で電話をかけた。
 表情を見る限り、上手く話しができてるようだ。
 悠真くんが説明してくれるところによると、悠真くんが亡くなった後、遠藤夫妻は口げんかが絶えなくなり、ある日母親は、家を出て行ってしまった、という事だった。
 子はかすがい、という事なのだろう。
 海は怖い、一瞬で命を奪う。そして、不幸は連鎖してしまう。
 遠藤は悪質な詐欺師ではあるが、だからと言って不幸を喜べるわけもない。
 何とかいい人生にしていって欲しい。
 
 遠藤はしばらくして、席に戻ってきた。
「ゆうくん、もう大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「よかった!」
 そう言って満面の笑みを浮かべた。
「ありがとな!」
 遠藤も笑顔だった。
 よりが戻ったという事だろう。いじめられてる、世渡り下手の奥さんが救われて良かった。
 
「もう行かなくちゃ。ぼく、いつもパパのこと見てるからね。ケンカしないでね」
「ちょ、ちょっとまって!」
「バイバイ!」
 そう言うと、美奈ちゃんはガックリとうなだれた……。
 そして、
「ふぅ…」
 と、大きく息を吐いた。どうやら悠真くんは、帰って行ったようだ。
 遠藤は、唖然(あぜん)とした表情をして、固まってしまった。
 ジャズが静かに流れ、ウッドベースが重い低音を奏でていた。
 しばらくして遠藤は姿勢を正し、落ち着いて言った。
 
「こんな茶番は認めない。そもそも私のプライベートと、契約の話とは何の関係もない」
 頑固に拒否の姿勢をとった。
 クリスは、遠藤の目をしっかりと見つめ、ゆっくりと言った。
「…。これは遠藤さん、あなたの生き方の問題です」
 遠藤は何かを言いかけ……、(うつむ)いた。
「…。改めて悠真君の冥福を、みんなでお祈りしましょう」
 そう言って、クリスは手を組んで祈り始めた。
 みんなお互いの顔をチラチラと見合って、クリスの真似をして祈り始めた。
 遠藤も最初は躊躇(ちゅうちょ)していたが、最後には素直に手を組んで目を瞑った。
 静かにサックスの艶やかな旋律が流れる中、魚に会いに行って溺れてしまった、可愛い男の子の魂にみんなで祈った。
 祈り終わると、クリスが言った。
「…。悠真君は、今もあなたを見ていますよ。お子さんに胸を張れる生き方しませんか?」
 遠藤はクリスの言葉をかみしめながら、しばらく考えていた……。
 子供に見られている、と言うのは親にとってはきつい事だろう。ましてや、自分の不注意で死なせてしまった子供であれば、なおさらだ。
 遠藤はゆっくりと口を開いた。
「そう……優しく、正しく、生きる事が大切だって事は、その通りだし……良く分かった」
 しばらく目を閉じていたが、大きく息を吐くと、
「いいでしょう! お金はお返ししましょう」
 そう言って、晴れやかに笑った。
 クリスは
「…。それがいいでしょう」
 そう言って微笑んだ。
 遠藤はサバサバとした感じで、親父さんに向き合うと言った、
「田中さん、出資金は明日、返金します」
「そうか、助かるよ」
 親父さんもニッコリと笑った。
 単純にお金を取り返すのではなく、詐欺師を改心させて解決するクリスの手腕は、いつもながら見事だ。

        ◇

 帰り道、銀座を歩きながら美奈ちゃんは
「死者を呼び出せるなら、生き返らせるのも、できるんじゃないの?」
 と、クリスに聞く。
 いきなり、核心を聞く美奈ちゃんに、俺はドキッとした。
「…。もちろん技術的にはできますが……それをやってしまうと、神の摂理に反するのでダメです」
 すごい、さすが神様! でも『技術的にはできる』という言い方に若干引っかかりを覚える。奇跡は技術の話なのだろうか?
「ふぅん、今、誠が死んじゃっても、生き返らせてくれないの?」
 俺が死ぬ話になっている……。
 クリスはチラッと俺を見ると、
「…。ごめんなさい」
「あ、いいよいいよ、死んじゃう方が悪いんだから……ちなみに……美奈ちゃんが死んでも、ダメなんだよね?」
「…。例外はない」
 それを聞いた美奈ちゃんは
「あー、私はいいわよ、死なないから」
 そう言って、にこやかに笑った。
「いやいや、美奈ちゃんはまだ若いからそんな事言うけど、死なない人なんていないんだぞ」
「うふふ、大丈夫大丈夫!」
 そう言いながら、軽やかに数歩駆けた。
 そして、軽くタタタン、タンとステップを踏み、クルリ……クルリと回った。
 指先は優美な弧を描き、指輪の石がキラキラと輝きの軌跡を作る。
 銀座の歩道がその一瞬だけ、素敵なステージとなった。
 思わず見とれてしまう俺を見て、ふわっと笑う。
 そして、さらにタン、タタンとステップを踏んで銀座の夜空に大きく手を伸ばした。
 心が揺れる音がする。
 なるほど、君に死は似合わないな……。


 


 
3-4.部長決済のスイーツ
 
 マウスが手術から回復したのを見計らって、いよいよAIとの本格的な接続準備を開始する。
 前回、単純な接続については確認済みではあるが、本格的に飛んだり跳ねたりが自由にできる状態かどうか、を精査していく。
 
 オフィスにマーカスの(げき)が飛ぶ。
「Hey Guys! Let's start the operation! (お前らやるぞ!)」
「Yes sir!」「Yes sir!」「Yes sir!」
 みんな気合十分である。
 それを見届けると、マーカスは特注の高級ネットチェアに、ドスンと座り、キーボードで何かを高速に打ち込んだ――――
 流れる出力を見届けると、
「No.1! Check Deep linking! (1番接続!)」と、エンジニアチームに向かって叫んだ。
「No.1 Sir! (1番了解!)」
 コリンは大声でそれに答え、キーボードをチャカチャカ叩きながら、複数の画面をあっちこっち見ている。
 
 オフィスには、大画面モニタを三つ、メゾネット上階の手すりの所に配置している。
 ここには、主要なステータスを常時表示しているので、状況が良く分かる。
 マウスの生命安全度(バイタル)や、筋肉への運動信号の強度マップが表示され、触覚や視覚、聴覚などのモニタリングもできる。なんだかアニメに出てくる科学基地みたいだ。
 心臓の鼓動に合わせて、ステータスは波打つように変化しており、マウスがしっかり生きている事を感じさせてくれる。
 
 一番左の画面上では、ステータスバーが点滅しながら伸びている。
 どうやら、今の接続確認工程が進むたびに、このステータスバーが伸びるようだ。
 
 順調に伸びていたステータスバーだが……急に止まってしまった。
 同時にマウスのステータス表示が、急に乱れはじめた。
 嫌な予感がする。
「No! No! Stop!!」
 デビッドが立ち上がって叫んだ。
 
 と、次の瞬間、全部の画面が急に真っ赤になり『WARNING!!』のサインが明滅する。
 ビーッ! ビーッ!
 
 非常音もあちこちから鳴り響く。
 
 
 慌ててマーカスが
「Stop Deep linking! (停止!)」と、コリンに向かって叫ぶ。
「Stop Sir! (停止了解!)」
 コリンも慌ててキーボードを叩き、リカバリに努める。
 クリスも、急いで走ってマウスの方へ行ってしまった。
 一発目からいきなり緊急事態である。
 オフィスに緊張が走る。
 俺は両手で顔を覆い、ソファーにドスンと身を沈めた。
 やはり、そんな簡単な話ではないのだ。
 マーカスが、マーティンの方に走って行って、何か深刻そうに相談している。
 どうやら、筋肉に行くはずの信号が、内臓に向かっている神経に流れてしまい、出てはいけない分泌物が多量に分泌され、生命安全度(バイタル)が乱れたらしい。
 生体とのリンクは、強引につないだものだから、どうしてもこの手の混線が避けられない。
 そして、混線はBMIのフィルムの中の、極微細な配線の中にあり、もはや手が付けられない。つまり混線は直せない。
 その配線を使わずに、筋肉を動かさないとならないが、他のルートを探すのも慎重にしないと、マウスが死んでしまう。
 みんな必死で解決策を探しているが、簡単な解決策などない。
 ここまで難しいとは……。
  
 一時間ほどして、ようやくマウスの生命安全度(バイタル)が落ち着いてきた。
 エンジニアチームは、会議テーブルで善後策を議論しているが……やはりそう簡単ではないようだ。
「That's That! (しかたないだろ!)」
「No! No!」
「I don't give a shit!(知らねぇよ!)」
 みんなちょっとイライラしてきている。
 ピリピリした雰囲気がオフィスを包む。
 俺がハラハラしていると、
「誠さん、何してるの! こんな時こそあなたの出番よ!」
 美奈ちゃんが、ひそひそ声で珈琲セットを指さす。
 確かに、ちょっとブレイクを入れた方がよさそうだ。
 俺はさっそく、珈琲の豆を()き始めた。
 珈琲豆は、ふんわりと香ばしい芳醇(ほうじゅん)な香りをたてながら、砕けていく。
 
 俺は珈琲の香ばしい豊かな香りをゆっくりと吸い込み、心を落ち着けた。
 そして、細心の注意を払って丁寧にドリップし、美奈ちゃんに渡す。
 ちょっとヒートアップ気味だったみんなも、美奈ちゃんから珈琲を受け取ると、笑顔を見せた。
 笑顔は問題を解決する。厳しい局面でこそ心の余裕が大切なのだ。
 
 珈琲が功を奏したのか、この後、混線の回避手法が開発された。
 事前に微小電圧で混線具合のマッピングを取っておく事で、クリティカルな配線を封印できる事が分かったのだ。
 これで何とか副作用なく、筋肉を動かす事ができるようになった。
 しかし、最初の接続テストからこんな感じなので、長期戦が予想される。
「誠さん、買い出し行くわよ!」
 美奈ちゃんがそう言って、俺の手を引く。
「え? 何買うの?」
 俺がぬるい返事をすると
「バカねぇ、腹が減っては戦ができないって言うでしょ? お昼買ってきてあげなきゃ!」
 あきれたように言う。
 確かに、もう午後二時近くなのに、皆必死で、お昼を食べるような雰囲気じゃない。
「なるほど、行こう!」
 
 二人でコンビニに行き、適当にパンやおにぎり、サンドイッチをカゴに詰め込んでいく。
 食べ物をたくさん買い込むと言うのは、実に楽しい。普段は散々選んで一つ買うだけなのに、気になる物手あたり次第買えるのだから、素敵なエンターテインメントである。
 鼻歌まじりに次々とカゴに入れていると、美奈ちゃんが、高級そうなショコラを、さり気なくカゴに入れるのを見つけた。
「え? スイーツも買うの?」
「それは私のよ!」
 そう言ってニコッと笑う。
 値札を見ると千百円もする。
「いやいや、ちょっと高すぎないこれ?」
「百億もある癖に、何ケチってんのよ!」
 逆ギレである。
「いや、これ、経費で落ちるのかなって……」
「総務経理部長は私で~す。部長決済で通しま~す!」
 いたずらっぽい笑顔で、うれしそうに言う。
 職権乱用だとは思うが……まぁ長丁場だし、仕方ないかもしれない。
「じゃ、俺の分も……」
 俺が棚のショコラに手を伸ばすと……
 Flick(ピシッ)
 俺の手を叩く。
「ダメで~す! 男性の方は経費になりませ~ん!」
「え!? 男女差別反対!」
「うちの会社は赤字で~す! 経費節減!」
「いや、百億もある、って自分で言ってたじゃん!」
「つべこべ言わないの! 私の一口あげるから」
 そう言ってウインクする美奈ちゃん。
 しかし、社長が女子大生に言い負かされるわけにはいかない。
 ここは断固抗議をして、威厳を取り戻さなくてはならない。
 俺が決意を固めていると、美奈ちゃんは首をかしげ、俺を見上げるようにして最高の笑顔で言った。
「ねっ♡」
 俺は彼女のあまりの可愛さに、脳髄に衝撃が走るのを感じた。そして、本能が勝手に白旗を上げた。
「わ、分かったよ、一口ちょうだいね」
 俺はそう言うと、負け切った表情で、手をさすりながらレジへと向かった。
 (あらが)いがたい、この謎な彼女の強さは何なのだろうか。
 女子大生ってみんなこんなに強いのだろうか……、女性との交流が乏しかった俺にはさっぱり分からない。
 人間を知るというのは大変だぞ、これは……。

< 18 / 68 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop