ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

7-8.女子大生宇宙最強

 気が付くと、綺麗なオフィスにみんなが居た。
「あれ?」「えっ?」
 みんな何が起こったか分からず、お互いの顔を見合わせる。
 テーブルも壁もMacbookも綺麗なままだ。PCに表示されている日時を見ると、江の島へ行く前の時点に全てが巻き戻っているようだった。
 濁流に飲まれていた田町の街もいつも通りだし、液体金属も無い。ネットを見ても月の落下も天空の城の事もどこにも出ていない。すべて元通りだ。
 これが美奈ちゃんの力という事なのだろうか、まるでキツネにつままれたような感じで戸惑ってしまう。
 
 究極奥義を無効にされたシアンは、何が起こったのか分からず、呆然(ぼうぜん)としている。液体金属に侵されていた足も元通りなのだ。
 
 俺は美奈ちゃんに恐る恐る聞いた。
「これは……美奈ちゃんが直してくれたの?」
「そうよ! 時間を巻き戻してあげたわ」
 美奈ちゃんはニコッと笑って、自慢げに答える。
「巻き戻す……?」
海王星(ネプチューン)のデータは定期的にバックアップを取ってるのよ。腐った地球のデータを捨てて、過去のデータで復元してあげたわ」
 バックアップって……気が遠くなる程の容量があるのではないだろうか。想像を絶する説明に俺は圧倒された。
「え? ごめんなさい、美奈ちゃんは海王星人(ネプチューニアン)なんですか?」
 美奈ちゃんはクスッと笑うと、背筋をピンと伸ばし、顎を上げて俺を見下ろして言った。
「われはキャスリーナ・グルタ・フォン・ヴィーナ。海王星(ネプチューン)を統べる金星(ヴィーナス)の女神よ」
 と、得意げに微笑んだ。
 
 俺は、何を言ってるのか分からなかった。
 何が金星(ヴィーナス)なのか?
 海王星(ネプチューン)を統べるってどういう事なのだろうか??
金星(ヴィーナス)の女神様?」
「そ、う、よ、誠さん。海王星(ネプチューン)は私が作ったの」
 そう言って、美奈ちゃんはニヤッと笑った。
「え!? ネ、海王星(ネプチューン)を作った!?」
 
 ここでようやく理解した。
 つまり、海王星人(ネプチューニアン)の世界は、実は金星(ヴィーナス)の上で動いているコンピューターで作られた、仮想現実世界だったのだ。
 美奈ちゃんたち金星人(ヴィーナシアン)が運営している金星(ヴィーナス)のコンピューターの中で、何十万年もかけて海王星人(ネプチューニアン)の人たちが発展し、そして、海王星人(ネプチューニアン)がその上で、何十万年もかけてジグラートを作り、地球が生まれたのだ。
 クリスが地球の父だとすれば、美奈ちゃんは地球の祖母に当たるだろう。
 神様の神様って……事?
 なんと、とんでもなく偉い人だったのだ!
 だからクリスでもお手上げの事を、いとも簡単に解決できるのだ、すごい!
 
 でも、そんな偉い神様が、なぜこんな所で、女子大生なんてやっているのだろうか?
 俺は酷く混乱した。
 
 とは言え、人類が救われたのは事実だし、感謝しかないのだが。
「め、女神様、あ、ありがとうございます」
 俺は緊張しながら頭を下げた。
 すると美奈ちゃんは俺の背中をバシッと叩き、
「なーに言ってんのよ、いつも通りでいいわよ! (かしこ)まられると調子狂うわ」
 そう言っていつもの笑顔で笑った。
 俺はホッとし、
「痛いよ、美奈ちゃん」
 と、笑った。
「と、なると……もしかして……、生き返らせてくれた女神様って……」
 俺が恐る恐る聞くと、
「誠さんは、ホント世話焼けるのよね~」
 と、肩をすくめ、呆れたようなしぐさをした。
「いやほんと、ゴメン……。ありがとう」
 俺は苦笑いしながら感謝を伝える。
 金色の花びらに『イヤ』と書いたのは、美奈ちゃんだったのか。カタカナなのも納得した。

       ◇

 時は少しさかのぼる――――
 上機嫌で鼻歌を歌いながら、シャワーの準備をしていた美奈は、スマホが鳴っているのに気が付いた。マゼンタからだ。
「はいはい、どうしたの?」
「ヴィーナ様、お休みのところ申し訳ありません。ちょっと事故がありまして、モニター見ていただけますか?」
 マゼンタは淡々と伝える。
 美奈は手のひらを上に向け、3Dモニターを出現させると、そこには無残に散らばる誠と由香の死体が映っていた。
 あまりにもグロい映像に、美奈は頭を抱え……一呼吸おいて言った。
「ちょっと、何よこれ――――!!」
「タンムズですね。後で私の方で始末しておきます」
「あいつか……ちゃんと消しておけばよかった……。仕方ないわ、時間巻き戻すわね」
「ちょっとお待ちください」
「何よ!」
 不機嫌そうに答える美奈。
「誠が殺された領域は地球上ではなく特殊領域ですので、普通にリカバリすると誠の魂の整合性が壊れます」
「え!?」
「下手すると誠は狂います。女性の方は本体が地球に残ってますので大丈夫なんですが……」
「じゃ、どうしたらいいのよ?」
「一旦、誰かの魂の領域に誠の魂を移し、馴染ませてからリカバリ後復帰させる手順が良いかと」
「誰かって誰よ?」
 イライラを隠さない美奈。
「一般には、自然と魂を受け入れられる恋人とか家族とか……」
「由香ちゃんはダメなの?」
「彼女も死んでるので避けた方が良いかと」
「あの人の家族……? 使えそうなのは……もう母親しかいないわね……」
 そう言って美奈は首をかしげる。
「許可を取ってもらえたら準備します」
「え~!? 私が取るの? ホントにぃ?」
 美奈は持っていたスマホを、机のバスタオルにバシッと投げつけ、自分はベッドにダイブする。
「誠め~!」
 美奈はそう呻くとしばらく動かなくなった。

      ◇

 京都のコンビニで静江はコピー機に紙を補充していた。A4用紙をバサバサと動かして紙がくっつかないように空気を入れ、それをカセットにセットする……。
「ちょっとよろしいですか?」
 声をかけられ、静江が振り返ると、そこにはすごい美人が微笑んでいた。その透き通る琥珀(こはく)色の瞳は、全てを見透かすように静江を見つめている。
 一瞬圧倒された静江だったが、すぐに美奈だと気づいた。
「あ、もしかして……美奈……さんですか?」
「そうです。いつも誠さんにはお世話になっています」
 美奈はニッコリ笑った。
「いやぁ~ 別嬪(べっぴん)さんやねぇ~」
 写真では見ていたものの、透き通る肌に整った目鼻立ちの美奈の美貌は、思わずため息が出るほどだった。
「いや、それ程でも……」
「誠と由香ちゃんは元気にやってますか?」
 静江はうれしそうに聞いた。
「え? も、もちろん元気ですよ」
 美奈は引きつった笑顔で返す。
 とても『二人とも死んでしまった』とは言えない。
「あの子に……何かあったんですか?」
 美奈の微妙な反応に胸騒ぎがした静江が聞く。
「えーと、ちょっと……トラブルがありまして……」
「トラブル!? あの子は無事なんですか?」
 身を乗り出す静江。
「ぶ、無事ですよ、ただ……お母様の協力が必要でして……」
「いいですよ、何でもやります!」
「もしかしたら、お母様の命に関わるかもしれないんですが……」
「あの子が救われるなら、私の命なんていくらでも使ってください!」
 まっすぐな瞳でそう言い切る静江。
「分かりました。それさえ聞ければもう大丈夫です。ちょっとの間だけ誠さんがお母様の中に戻ってきます」
「え? それはどういう……」
「ごめんなさい、急ぎますので……」
 そう言うと、美奈は右手を高く上げて目を瞑り……消えた。
 唖然(あぜん)として言葉を失う静江。
 そして、しばらくして時間は巻き戻された。

          ◇

 話はオフィスに戻る――――
「生き返らせる時には、あなたのママにも世話になったのよ、感謝しておきなさい!」
 美奈ちゃんが、俺を面倒くさそうな目で見ながら言う。
「え? マ、ママ?」
 そう言えば生き返る前に、ママを凄く身近に感じた事を思い出した。
 俺はまたママに助けられたのか……
 大人になったのに情けないなと思いつつも、心の中がフワッと温かくなって俺は思わず目が潤んだ。

 すると、美奈ちゃんは急に手を叩いた。
「あ、思い出した! あなた、私の入浴シーン(のぞ)いたでしょ!」
 俺をビシッと指さしながら鋭い目をして言う。
「いやいや、あれは事故だよ! 腕しか見てないって!」
 俺は感傷的になる暇もなく、焦って弁解する。
「腕だけだって重罪だわ! おしおき!」
 そう言ってティッシュボックスを取るとポカポカ叩いた。
「痛い痛い! ゴメン、ゴメンって!」
「次(のぞ)いたら、この地球消すからね!」
 そう言って、怖い目をして(にら)んだ。
 俺は平謝りである。
 (のぞ)きが人類滅亡の原因になるのか、凄い人と知り合いになってしまった……。
 俺はさりげなく別の話題に振る。
「ちなみに……最初に俺に声かけた時から、こうなるって分かってたの?」
「ははは、最初に会った時ね、懐かしいわ。さすがに月が落ちるまでは分からないけど、シアンを作るまでは予想して近づいたの。面白そうじゃない」
 美奈ちゃんはうれしそうに笑う。
 さすが金星人(ヴィーナシアン)、この世で一番偉い人だけある。
 思い返せば二次方程式を一瞬で解いてたのも、指先にチョウを呼んでたのも神様なんだから余裕だろう。
 そんな破格の存在に、俺はハグしたり胸揉んだりしてたのかと思うと、いまさらながら冷や汗が湧いてくる。消されなくて良かった……。
 それにしても、女神様がクリスを監視して、面白そうなタイミングで女子大生に化けて近づいてくるとは、よく考えれば実に悪趣味だ。
「なんで女子大生に化けてるの?」
 好奇心に勝てず、聞いてみる。
「化けてるとは失礼ね! 私はこの地球に生まれて20年、ちゃんと地球人としても頑張って生きてきたのよ。」
 ちょっと不機嫌になる美奈ちゃん。
 しかし……なぜ宇宙最強の女神様が地球人なんてやっているのか、良く分からない。
「うーん、それは女神様として必要な事なの?」
「そうよ! 女神が女神としてあり続けるために大切な……とても大切な儀式なのよ」
 そう言って美奈ちゃんは遠い目をした。
 理屈は分からないが、女神様には我々地球人には分からない悩みがあるのだろう。

 美奈ちゃんはクリスに向いて言った。
「そう言えば、クリス、なぜわれが金星人(ヴィーナシアン)だと気付いたの?」
「…。未来の由香ちゃんです。彼女がヤバい人がいると言っていたので、美奈様しか居ないかと……。誠に加護もついていましたし。」
「なるほど……でもあれは何なの? 私、何もやってないわよ」
「…。陛下にも分からないとなると、私には到底分かりません」
 神様の神様にも分からない事があるのか。
「ふぅん……。まぁいいわ、バレてたならしょうがないわ」
 そう言って、ちょっと悔しそうな顔をする美奈ちゃん。
 クリスは改めてひざまずき
「…。ヴィーナ陛下、ご支援に深く感謝申し上げます」
 と、うやうやしく言った。
「はは、いいのよクリス、これくらい。その代わりワイン出して」
 そう言いながらソファーに腰掛け、足を組んだ。
 
「…。いくらでもご奉仕いたします」
 クリスは滅茶苦茶薄いガラスでできた、最高級のワイングラスをイマジナリーで出して、美奈ちゃんの前に置き、それをルビー色の液体で満たした。
 
「…。最高のビンテージの物をご用意いたしました」
「ふふっ、ありがと」
 美奈ちゃんはクルクルとワインを回し、軽く一口味わった。
「あぁ、これよこれ! いいわね。これ程の物はなかなか飲めないわ」
 そう言って美奈ちゃんは、至福の表情をして微笑んだ。
「…。恐縮です」
 クリスは、チーズとドライフルーツの皿を出してサーブした。
 
「気が利くわね」
「…。地球をお救いいただいたご恩は、忘れません」
「ふふっ。誠さん、あなたも飲みなさいよ」
 そう言って美奈ちゃんは、俺を見ながら言う。
「いいね! 由香ちゃんも飲もうよ」
 そう言ってクリスに目配せする。
 クリスはワイングラスを二つ出し、俺と由香ちゃんに渡した。
「では、乾杯と行きますか?」
 俺は笑顔で言った
「女神様にカンパーイ!」
 美奈ちゃんと由香ちゃんとグラスを合わせる。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」
 一口飲むと衝撃が走る。甘いチェリーやバラ、そしてバニラやシナモンなどのスパイスの香りと共に、立ち上るようなミネラルのニュアンスが感じられる。
 これはすごい! いつも以上に美味いワインだ。
 俺は調子が上がってきた。
「どう? 由香ちゃん?」
 俺がニコニコしながら話しかけると、由香ちゃんはシアンの方を心配そうに見ている。
 
「そうだ、シアンを何とかしないと」
 俺がそう言うと、美奈ちゃんは、
「そうね、かわいい赤ちゃんに戻ってもらいますか」
 と、言って、扇子をくるりと回した。
 
 するとソファで呆然(ぼうぜん)としていたシアンは、コロリと転がった。
 しばらく動かなくなってしまったが……やがて眼を開いた。
 そして、ゆっくりと起き上がると、周りをキョロキョロと見回して、
「ママー!」
 と、ヨチヨチ歩いて由香ちゃんの所にやってきた。
 さっきまで、世界を滅ぼそうとしてた悪魔とは思えない。
 由香ちゃんは、ニッコリ笑うとシアンを抱きあげて
「はい、ママですよ~」
 そう言って幸せそうに抱きしめて、頬ずりをする。
 二人はしばらくうれしそうに目を瞑っていた。
 俺は元のさやに納まったことにホッとし、そんな二人を見つめる。
 自然とニッコリとほほ笑んでしまう。
 そして、シアンの柔らかな頬をプニプニと軽くつまみながら言った。
「クーデターとかはいったん中止な、相談して進めるようにしような」
 すると、シアンは、
「うん、ママのいうとおりに、する~」
 と言って、由香ちゃんのふくよかな胸に顔をうずめた。
 『そこはパパなんじゃないの?』とは思ったが、AI的には由香ちゃんの方が信頼度が高いらしい。何だか負けた気がする。

          ◇

「……。あれ? よく考えたらこれで一件落着?」
 俺はみんなに聞く、
「ねぇ、もしかしてもう全部解決かな?」
 みんなはそれぞれ、お互いの顔を見つめる。
 美奈ちゃんは面倒くさそうに言った。
「あー、一件落着じゃない?」
 
「ヤッター!」
 俺は思わずガッツポーズ。
 
 シアンがクーデターを画策してからの怒涛(どとう)の日々が、今ここに終結した。
 想像を超える出来事の連続で、すっかり地に足のつかない暮らしになっていたが、ようやく日常が戻ってきたのだ!
 もちろん、ディナの事は心にトゲのように残っているが、それは戒めとして一生、事あるごとに思い出して供養して行こうと決めている。今はただ解決を祝いたい。
「飲むぞ~!!」
 俺はワインを大きく(あお)った。
「美味い! 最高!」
 美奈ちゃんは
「飲み過ぎに注意しなさいよ」 と、面倒くさそうにくぎを刺す。
 
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