本能のまま、冷徹ドクターは新妻を愛し尽くす
無償の愛と小さな幸せ
年が明けて春が訪れた。

徳明会病院の正面玄関脇の小さな緑地には桜の木が一本植えられていて、膨らんだつぼみに開花の気配を感じる。

交通事故の大怪我から順調に回復した真琴はひと月ほど前に退院し、今日は定期診察のために外来を訪れていた。

一時間半ほど前に採血や心電図、エコー検査をすませ、ベンチシートに座って診察の順番を待っている。

文庫本を半分ほど読んだところで、香奈に名前を呼ばれた。

「生嶋真琴さん、五番診察室へどうぞ」

親しい仲なのにフルネームに敬称までつけられたのがくすぐったく、目が合うとふたりで笑った。

診察室へ入れば診察机の前で修平が待っており、これもまた不思議な感覚だ。

「修平さん、お願いします」

なんとなく照れくさく頬を染めて挨拶すれば、真顔の彼に首を傾げられた。

「なにを?」

「診察を、ですけど」

「ああ、そうか。日用品の買い物か、風呂掃除かと思った」

そう答えて吹き出した修平に、香奈が目を丸くしている。

真琴が事故に遭って以降、修平の雰囲気が変わった。

口数が増え、声をあげて笑うようになり、自宅では真琴に勤務中のできごとをユーモラスに教えてくれたりもする。

真琴の仕事復帰はまだこれからだが、体調はよく、家事をするのに問題はない。

それでも修平は真琴任せにせず、掃除や買い出しを積極的に引き受けてくれる。

真琴の生活を支え、仕事も精力的にこなしつつ、修平はなんだか楽しそうだ。

どういう心境の変化だろうと最初は戸惑ったが、手術後のICUでのことを振り返ってなんとなく理解したつもりでいる。

修平は関根に亡き両親を思い出したと話していた。

きっとつらすぎて記憶に蓋をしていたのだろう。

その蓋が外れたことで、一緒に閉じ込めていた本来の彼の心が解放されたのではないだろうか――真琴はそんな風に捉えていた。
< 194 / 211 >

この作品をシェア

pagetop