魔法使いは透明人間になりたい


 *
 

 目が覚めた。
 ずっと泣いていたせいで、まぶたが腫れてうまく目が開かない。なんとか目を開けて、ぼーっとする頭と重たい身体を無理やり起こして、ベッドに座る。視界の隅で、スマホが通知を知らせながらぴかぴか光っていた。

 スマホを手繰り寄せて電源をつける。たくさんの通知で埋もれて、お気に入りの画像の佑は見えない。もう十分に泣いたと思った。でも、まだ涙は枯れてはいなかった。ただ通知で埋もれただけなのに、佑の姿が見えないことに不安になって、気が付いたら涙が滲んでいた。

 このままでいいはずがない。
 そろそろ気持ちに区切りをつけて、どうにかしないといけないのに。そう思うと同時に、やっぱり無理だと考えてしまう。

 この先、佑のいないMerakなんて見れない。心に響く喪失感は数日経ったくらいじゃ拭えやしない。もしかしたら、何年経ってもMerakを見て喪失感に苛まれるだろう。

 自分でも少しだけ驚く。
 松永佑という存在は、これほどまでにわたしのなかで大きな存在だったとは。失って気がつくと言うけれど、まさにそうだった。
 
 バイトや大学のことで落ち込んだときも、佑の笑顔を見たら元気になれた。笑いたくなくてもいつの間にか笑ってしまって、不思議と明日もがんばろうと前向きになれた。

 手の甲で涙を拭って、鼻水をすすりながらメッセージアプリを起動した。親友で、一緒にMerakのデビューコンも行った桂木真衣(かつらぎ まい)から、何件もメッセージが届いていた。

『大丈夫? 体調悪い?』
 そんな内容が、昨日も今日の朝も来ていた。そこでやっと、今の時間が昼前だと気がつく。

「……わ、かる、でしょ」

 久しぶりにまともに出そうとした声は、掠れて音にならなかった。喉が乾燥してひりついて、咳払いを何度しても不快感は消えてはくれない。
  
 返信する気にはならなかった。今にもスマホを放り投げてまた痛みに浸りそうになったけれど、いまの状況をどうにかしたくて、すがるような気持ちで真衣に返信する。

『ごめん、佑のことで』

 そう一言送ると、すぐに返事が返って来た。

『佑? だれ?』

「ーーえ?」

 なに言ってるの?
 冗談じゃなくて、本気?

 そう返そうとした。でもいちいち打つのももどかしくて、わたしは迷わず電話をかけた。ワンコールで真衣は出てくれた。

『ねえ巴音(はのん)、体調ーー』
「どういうこと? なに言ってるの、佑だよ? Merakにいるーー」
『ちょっとちょっと、巴音こそなに言ってるの』
「はーー?」

 心臓が早鐘を打ち始めた。嫌な予感が脳裏をよぎる。こういうときの勘はよく当たるのだと、この一件で痛感した。スマホを持つ手が震えてきて、身体の内側が熱くなっていく。

『ねぇ、ほんとに大丈夫?』

 続く言葉は、わたしを絶望に突き落とした。

『Merakに佑なんてメンバーいないじゃん!』

 頭を殴られたような衝撃だった。真衣の言葉が信じられなくて、何度も頭の中で反芻する。Merakに佑がいない? 真衣はなにを言っているの?

「……う、そ……冗談、言わないでよ」
『言ってないよ! ……何があったの? 夢でも見てた?』

 夢? それなら、どれだけよかったか。
 繰り返し繰り返し、そう願って来た。 

『とにかく、今日は来る?』
「……ごめん、休む」

 それだけ言って、わたしは電話を切った。
 呆然としたまま、手から力が抜けてスマホがベッドに落ちる。

 佑が、いない?
 引退したからとかじゃなくて、もともと、この世界にいないってこと?

 なんで?
 何が起きてるの?

 ーーそうだ、調べればいい。
 胸が痛いほど、心臓が打っていた。聞いたことのないくらい大きな拍動は、ファンクラブサイトをロードする時間もうるさく刻んでいた。

 ロード中から、画面が変わる。
 Merakのロゴが表示されて、アー写が出てくる。

 その写真は、4人だった。

 ……やっぱり、佑は。
 そう思ったのも束の間、微かな違和感が覚えた。トップのアー写の衣装が、佑が脱退報告するより前のものだったからだ。

「これ……」

 スクロールして、更新情報のページを探す。この間は、ここに『松永佑よりお知らせ』と書かれていて、押したらあのことが載っていた。

 信じられなくて何度も開いたページ。見落とすはずがない。
 けれど、更新情報にはファンクラブ会員限定動画が配信された旨のお知らせだけで、それ以外は何も載っていなかった。

「なんで……?」

 佑は、どこに行ってしまったの?
 
 インターネットの検索ウィンドウに、松永佑と打ち込む。でも検索結果は全く知らない同姓同名のSNSのアカウントや、姓名判断しか出てこなくて、Merakの松永佑に関するものはなにも出てこなかった。

 おかしい。
 脱退して引退なら、その内容が書かれたネットニュースの記事がたくさん出てくるはずだ。WEBメディアのインタビューや、今まで出演してきたドラマや映画のホームページだって。

 でもそれらのものが、ひとつもない。
 本当に、佑はこの世にはいない?
 じゃあ今までわたしが見てきて応援してきた彼は、いったい誰だったの?

 ……ちがう。佑だ。わたしがいままで、下積みのころから応援し続けてきたのは、紛れもなく松永佑だ。

 ベッドからよろよろと降りる。目の前が暗くなってめまいが襲ってきたけれど、お構いなしに本棚に向かう。そこには、今まで出てきた雑誌を解体して、佑やMerakのページだけを集めたファイルがある。

「……っあぁ」

 そこには、ちゃんといる。
『はじめまして! 僕たちがMerakです』の特集ページには、4人と肩を組んで満面の笑みを浮かべた佑がいる。他のファイルの、ドラマに出たときの記事には全身黒色でかっこよくキメた佑がいて。

 他にも、CDのジャケットにも歴代のコンサートグッズのうちわにも、アクリルスタンドにも、佑はいる。

 どうして、わたししか知らないの?
 みんなの記憶から、佑がいなくなっているの?

 どこに行ったの?
 どうしてこの世界で、佑がたくさん努力して叶えてきた夢まで消えてしまっているの?
 
 わたしの部屋にも記憶にも、松永佑の姿は刻み込まれている。この前の春のツアーで、わたしの『魔法をかけて』のうちわを見つけてくれて、からかうように応えてくれたよね。

「……いなくならないでよ」

 乾いたはずの涙は再び溢れ出す。決壊したダムのように、泣こうとも思っていないのに勝手に流れて止まらない。

 声をあげて泣いた。
 泣きながら、こんなに佑のことで泣けるなんて、それだけわたしにとっては大切で、本気で好きだったんだなと思う。いつか時間が経ったとき、冷めて、好きだともなんとも思わなくなる日が来て、別のグループの別の人を好きになるかもしれないと不安になったこともあった。

 でも、そんなことこの先あるはずがないと思えた。
 わたしは本当に、心の底から、松永佑のことが好きだから。
 
 
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