地味子なのに突然聖女にされたら、闇堕ち中の王子様が迎えにきました
 
 そんなイヴを慮って、ずっとイヴの様子を見守っていた神父さんが声をかけた。


「イヴ、行っておいで。その人は悪い人じゃなさそうだし、その人の側なら、きっとここより優しい世界があるはずだ」

 彼女を取り巻く人間や環境がガラリと変わろうとしている。そして彼女自身も、聖女の始祖に選ばれたことは誉れだが、重大な試練が課されてしまった。
 
 正直自分の子どものように思っていたから、どうしてイヴを、と一瞬思ってしまったが。

 涙を堪えながら言葉を続ける。

「ごめんね、本当はここが君にとって、そんな優しい世界にできたら良かったんだけど。僕には役不足だった、ごめんね」

「神父さん」

 そんなことないとイヴは首を振る。教会がなかったら、神父さんやシスターさんや、施設のおじいちゃん、おばあちゃん、子供たちがいなかったら。
 自分は、たくさんの人に支えられていたのだ。

 
「それにずっと外の世界を見たがってたろう。きっと一緒に行ったら色んな景色も見れるよ」

 そうだ、本の世界を自分の目で見てみたいって。唯一、自分が抱いた野望のようなもの。

「イヴ、あなたが何者であっても、私たちの気持ちは変わらないよ。ここから毎日、イヴの健康と幸せを祈るから」

 トリシャや他のシスター達も涙ながらに背中を押してくれる。

「イヴ、イヴ、行かないで」

 甘えん坊のムータンとロッタが泣きじゃくりながらスカートへ引っ付いた。そんな2人を珍しくティムがいさめる。人一倍泣いて、啜りきれない鼻水を垂らしながら。

「だめだ!イヴは外に出た方が幸せになれるんだ!」

 ここでは神父さんでも、もちろん自分なんかでもイヴを救ってやれない。そいつみたいな、強さも権力もないから。

 イヴを想う人々の願いは共通していた。
 どうかこの人に、託したい。こんなに良い子が辛い目にあう世界を変えてくれ。どうか救ってやってくれ、と。

 どうか人一倍優しいこの子に見合った幸福を、その身いっぱいに享受できますように、と。


「皆、ありがとう、行ってきます」 


 イヴという少女の瞳から戸惑いが消えた訳ではない。だけどさっきよりも多少覚悟が決まったような顔つきになった。


「つ、連れて行ってください」

 改めて、レオに頼む。その言葉を聞いたレオは、少女の細い腰にぐいっと腕を回した。
そして口笛で飛竜を呼ぶと、片手でその飛竜の脚を掴んで空へ飛び立った。

「え、え、え」

 あまりに突然のことに、悲鳴さえあげられない。イヴー、という別れを惜しむ声を聞きながら、どんどん離れていく地上。

 とりあえず、下を向いたら死ぬ。心が死ぬ。


「しっかり掴まってないと、振り下ろされるぞ」

「ひゃい」

「おい、ちゃんと息してろよ」

 息ってどうやってするんだっけ?

 あまりの恐怖で、もう無理。
 目の前がグルグル回って、意識が遠のく。


「絶対離さないから安心しろ」

 あぁ、もう少し早く言ってやれば良かったか。まぁ、気失ってた方が楽か。脱力しきって重量が増したイヴの体を抱え直した。


 どうかこの子に、この先幸多からんことを
 毎日ここから君へ、神の御加護を祈ろう


 教会の皆で、旅立っていったイヴへ祈りを捧げる。


「やっと二人は出会うべくして出会えた。これから、ようやく時代が動く」

 老婆の呟きを聞いていたソフィア。わだかまりはまだ残ったまま。 

 皆に祈りを捧げられるような存在じゃなかったのに。

 あの子のことは子どもの頃から知ってる。だって昔からいじめのターゲットで、八つ当たり先にしてきたから。ずーっと何を言われても、下を俯いて時には泣いてウジウジしてたくせに。

 だけど、レオっていうイケメンに、綺麗だと言われた時のあの子の顔。まさか、何を言ってるの、と皆思ったはず。
 だけど、顔を上げたあの子の顔は、姿は綺麗だと思ってしまった。何が原因か分からないが、髪の毛や肌にいつもはない艶があり、なんといってもあんなに光が入った彼女の大きな瞳は初めて見た。

 眼鏡の奥でいつも伏せ目がちだったから分からなかったが、あんなに綺麗な目をしていたなんて。
 私は、私達は何度となく彼女に辛辣な言葉を吐き続けてきた。まるでストレスの捌け口かのように。

 彼女は、いくら蔑んでも傷つけても良い存在だったから。



「まだ納得がいかないというような顔をしているね。命を助けられたのに、まだ認められないのかい?」

「は?」

「お前たち、切られて床に臥したまではさすがに覚えているだろう?あのあと大量の血を流しながら、どうして突然血が止まって、致命傷がなくなったのか知ってるかい?イヴの歌が皆の祈りがお前たちを救ったんだよ。あの歌がなかったらとっくに死んでたわよ」

「そんな、おとぎ話みたいな、そんなのまるで聖女だとか女神様……」

 ソフィアは、自分で言っていて、やっと気付く。
 彼女が聖女の始祖に認められたということの本当の意味を。人智を超えた力を手に入れて、人々の願いを叶える。それはきっとこの世界を助けることに繋がるのだろう。

「いつか、あの子達に感謝する日が来るよ。お前さんは外に奴隷として出されたくなかったら、穢れきったその魂を浄化させることに励みなさい」

「……何したら良いか分からない」

 力なくぼやくソフィアに横で聞いていたシスターが声をかける。

「今度、教会にいらっしゃいな。誰かを思いやるって結構素敵なことよ」

「意味分かんない」

 素直な返事に思わず笑ってしまう。大人に対して取り繕わない態度は、なかなかに清々しい。

「まずは、あの子のために祈りを捧げてみてはどう?」

 そう提案されて、ソフィアはふてぶてしく両手を組んで目を瞑ると、イヴが飛び立った空へ祈りを捧げる。

 何を考えているかわ分からないが。

 皆、それに続いて空へ向かって祈りを捧げ始めた。まだソフィアのように複雑な気持ちを抱いている子も多かろう。


 老婆は一度この国に失望したが、このソフィアらの行動にわずかな希望を抱いた。
 もしかしたら、もしかしたら、またフェンリルが聖なる地として生まれ変われるのかもしれない、と。

 よぼよぼになった両手を組んで、イヴの成長とこの国の復興を空へ願った。
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