エリート御曹司に愛で尽くされる懐妊政略婚~今宵、私はあなたのものになる~
 鏡に映った自分の体には、無数の赤いあざのようなものがある。まぎれもなく彼がつけたキスマークだ。

 ひとつやふたつではない。その数に驚かずにはいられない程あちこちにあった。

(どうしてこんなに?)

 昔もひとつふたつならつけられたことがあった。しかしここまでははじめてのことだ。

 義務を果たすために体を重ねた。それなのに昨日の彼は菜摘を大切に抱いた。ふたりがそういうことをするのは初めてではない。それにも拘わらずはじめてのときよりも大切にふれられた気がする。そのうえ途中からは情熱的でもあった。

 何も考えずに彼に身をゆだねることができたのはそのおかげだ。

(こんなに大切にされているってことは、もしかして……)

 自分に都合のよい考え方をしそうになって、冷静になる。

 バスルームに移動した菜摘は、シャワーの温度を上げて頭からかぶった。

 たしかに彼は優しかった。でもそれはこの結婚生活を円滑にすすめるための手段にすぎない。

 初日に「互いに歩み寄る努力をしよう」という話をした。その一環なのではないかという結論に至る。

 それには理由があった。昨夜も「時間がない」と言っていたし、さきほども「体調の変化があればすぐに病院に」と言っていた。二年で子どもを授からないといけなくて時間がない。

 だから少しでもその兆候があればすぐに病院に行こう。という話だ。

 そう思えば納得できた。

(危ない私ったら……危うく誤解するところだった)

 自嘲じみた笑みを浮かべながら、シャワーを強くした。心の奥から湧き上がってくる悲しみに蓋をして強がる。

 虐げられているわけでも、邪険にされているわけでもない。跡取りが欲しいためとはいえ彼は菜摘を尊重してくれている。約束通り工場は新しい形態になり生まれ変わりつつある。これ以上、何を望むというのだろうか。

(愛されたいなんて……よくばりすぎよ)

 期待をしなければ、悲しまなくて済む。

 清貴と別れたあの日から、菜摘はずっとそうやって生きてきた。今回だって同じことだ。

 自分にそう言い聞かせながら、あふれそうになる涙を必死に耐えた。泣いてしまえば悲しみに自分自身が呑み込まれてしまいそうだったからだ。
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