結婚契約書に延長の条文はありませんが~御曹司は契約妻を引き留めたい~
いつまでも香津美が自分の言うことを何でも聞くと思っているのだろうか。

香津美の父と花純の父は兄弟。香津美の父親の(かける)が兄で、花純の父親の雅英が弟だ。
リアルエステート来瀬は、翔と雅英の父親が一代で築いた不動産会社だ。
本当なら長男の翔が継ぐべきなのだろうか、香津美の父親は彼女が中学生になった時に亡くなり、今は弟の叔父が継いでいる。
香津美の母と父は早くに離婚しており、父が彼女を引き取った。今母がどうしているのか彼女は知らない。
そして父が亡くなり他に身寄りの無い彼女は叔父の家族と一緒に住むようになった。
最初の頃は、祖母がいて彼女は香津美をとても可愛がってくれたが、高校生の時にその祖母も亡くなり、そこから香津美の叔父の家での待遇が変わっていった。

もともと成績の良かった香津美は、都内の有名な進学校に通っていた。一方花純は成績は底辺で、お金を払えば入ることの出来る私立の女子校に通っていた。
叔父はよく祖母から優秀だった香津美の父と比べられていて、それが彼のコンプレックスになっていた。
香津美と花純の境遇もそれを彷彿とさせたのだろう、ちょっと賢いからといい気になってと、香津美を何かと冷遇するようになった。
花純もそれを見て香津美を召使いのように扱い、何かにつけて彼女に命令してくるようになった。
花純の宿題は香津美の仕事。花純が少しでも成績が下がると、それも全て香津美のせいだと罵られた。
家政婦がいない時の家事は、すべて香津美の仕事となり、お陰で彼女の家事スキルはあがった。
高校を卒業し、大学に進学してもそれは変わらず、香津美の私生活はすべて叔父夫婦や花純のために費やされた。
大学を卒業し、香津美は卒業した大学の事務員として勤務している。
花純は、高校からストレートに上がれる私立の短大を何とか卒業してから、家事手伝いと称し、時折気が向いたように叔父が所有するビルに入っているテナントのブティックでバイトをしている。

卒業を機に香津美は叔父の家を出て、一人暮らしを始めた。最初は難色を示されたが、きちんと自立している香津美と、いつまでも親のすねをかじり続ける花純の差は、もはや歴然としており、そんな香津美を叔父達は煙たがるようになっていた。

小さなキッチンがついた1LDKの小さなアパートは、残念なことにリアルエステート来瀬の持ち物だったが、やっと手に入れた自分だけの城に、香津美は満足していた。
ようやく叔父の家から出ることはできたが、相変わらず花純はことあるごとに香津美を呼び出し、こき使う。
その日の朝も、そんな無理難題のひとつだった。

「嫌われるように仕向けるって・・」

更に相手が花純のことを知っているはずなのに、彼女の振りをして断るなんて大丈夫なのだろうか。
ここは彼女には他に好きな人がいて、あなたとは結婚する意思がありません。どうかそちらからお断りして下さいと、自分の正体を明かして正直に打ち明けるべきではないだろうか。

「結局、行かないといけないのね」

花純はお見合いの席に行くつもりは全くない。誰も行かないとなれば相手も腹を立て、その場をセッティングした叔父に文句を言うだろう。そうなれば、花純から香津美へと怒りの矛先が向けられ、もっと大変なことになるに違いない。

「十一時にHKホテルのロビーか」

そのホテルは行ったことがないので、携帯で場所と行き方を調べる。

「明日は雨みたいだから、今日の内にシーツを洗っておきたかったんだけどな」

明日コインランドリーにでも持って行こう。図書館は十時に開館する。予約本は連絡を受けてから一週間で貸し出し手続きをしないと、次の希望者に貸し出されてしまう。その期限が今日なので、先に図書館へ寄ってからホテルへ向かえば大丈夫だろう。
見合い相手と別れてから、可奈子との約束まではどこかで時間を潰そう。
今日可奈子とあうために着ていこうと思っていた花柄のプリーツスカートと薄いグレーのノースリーブのサマーニットに着替え、白のカーディガンを羽織る。

「暑い」

すでにギラギラとした太陽の眩しさに目を細めつつ、香津美は家を出た。
< 3 / 44 >

この作品をシェア

pagetop