乳房星(たらちねぼし)〜再出発版

【花れん】

5月23日の午前10時頃であった。

あてもなく放浪していた私は、水俣浜《みなまたはま》にある大崎鼻公園(海浜公園)にやって来た。

ベンチに座っている私は、八代海を見つめながらウォークマンで歌を聴いていた。

イヤホンから村下孝蔵さんの歌の全曲集に収録されている歌がたくさん流れていた。

『春雨』『松山行きフェリー』『ロマンスカー』『ゆうこ』『初恋』『踊り子』『夢のつづき』『陽だまり』『少女』『花れん』『れんが通り』…

その中で、花れんを繰り返して聴いていた。

この3日間、私はゆかさんと小番頭《こばんと》はんを見つけるために熊本県内のあちらこちらを回っていた。

しかし、ゆかさんと小番頭《こばんと》はんを見つけることができなかった。

5月21日頃に八代市でゆかさんと似た女性がいたことを聞いたので八代市へ行った…

私は、八代市内《しない》のあちらこちらを歩き回って探した…

しかし、ゆかさんを見つけることができなかった…

それから3日の間、私は一睡もせずにゆかさんを探し回った…

それでも、ゆかさんを見つけることができなかった…

その末に、水俣《ここ》にたどり着いた。

この時、私の気持ちはあきらめモードになっていた。

ゆかさんは、すでに日本《ここ》から出国して海外へ出たと思う。

泉大津の港から阪九フェリーに乗って、新門司港まで行った…

新門司港に到着したあと、関門海峡を越えて下関へ向かった…

その日の夕方頃に、下関国際ターミナルから関釜《かんぷ》フェリーに乗ってプサンへ向かった…

翌朝、プサンから飛行機に乗ってアメリカ合衆国へ向かった…

だから、ゆかさんは日本《ここ》にはいてへん…

…と思う。

小番頭《こばんと》はんは、すでにシッソウから見つかる見込みはなくなった…

ええかげんくたびれたワ…

私は、この日でゆかさんを探すことをいったんやめることにした。

5月29日のことであった。

ゆかさんを探すことをやめた私は、ロギンをかせぐために再び大阪にやって来た。

場所は、大阪西成《あいりんちく》にある公園にて…

私は、住人《かまのおっちゃん》たちと一緒に公園の清掃に取り組んだ。

日雇いで、お給料は五千数百円であった。

その日の夜は、一泊800円の簡易屋《ドヤ》に宿泊した。
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