湖面に写る月の環

30

帰って、ちゅう秋の家に転がり込んで遊んでもいいかもしれない。彼のことだ、仕方ないと言いながらも家にあげてくれるだろう。
(そうだ。そうしよう)
決めたらすぐに行動だ。僕は気を張って歩いていた足で踵を返すと、駅の方へと歩き始める。ここまで来てただ帰るだけというのも少し腹立たしい気もするが、この際それは飲み込んでやるとしよう。僕は彼の先輩なのだから。
「……」
そう、思うのに。
僕の足はなかなか前へ進まなかった。それどころか、縫い付けられたように前にも後ろにも行けない状態になっている。どうしてと問われれば、至極単純な事だった。
(……嫌な予感がする)
その一言に尽きる。
僕はここに来る計画を立てた日を思い出し、頬が引き攣るのを感じた。このまま帰って安息の時間をと思うのに……何故だろう。全然安心できる未来が見えない。
「……はあ」
こうなってしまえばもう、僕に勝ち目はなかった。元々、拒否権なんてあってないようなものなのだ。持っていた鞄を掛け直し、足をゆっくりと動かす。向かうのは、待ち合わせ場所だ。さっきまで重かった足は、軽々と動いてくれる。その反面、気分は重くなっていった。
(変なことをされて、学校に苦情でも来たら面倒だからな)
そう。それだけだ。僕は僕の高校生活を守るためにこの先に行くのだ。何度も何度も自身に言い聞かせ、来た道を戻り――僕は即座に後悔した。
「なにあれ?」
「さあ。何かやってんじゃね」
「テレビ? 何かの撮影?」
「そんな話聞いてないと思うんだけど」
「…………」
(何を、しているんだ……?)
何故か広がる人だかり。ひそひそと話す彼等の声は、好奇心に満ちている。そんな中で、僕は広がる光景に頭が真っ白になった。
目の前の光景が、一切頭に入ってこない。そもそも、何があってこんな状況になっているのか。僕は頭を抑え、腹の底からため息を吐き出す。……覆面を被り、警備員と揉めている男の背格好は、どこからどう見ても探偵少年のもので間違いないだろう。
「…………帰りたい」
今度こそ本心から零れ落ちた言葉は、周囲の喧騒に消えていく。心做しか胃もキリキリしてきた。

「不審な人物じゃないと言っているだろう!」
「いや、だからね。君、それが不審に見えるんだって」
「そんなわけが無い!」
「はあ……。じゃあそれは何のために被ってるの」
「変装だ。偵察にくるのだから、当然だろう?」
「普通は変装なんかしないの!」
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