湖面に写る月の環

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そう思ったのはキリがない。そう思う彼は、そういったものを叶えることが大の苦手だったのだ。理由は彼に“感情”というものを理解できる能力がなかったから。
そういった物事や人の考えを知る経験が、彼は極端に浅かったのだ。結果、彼の出来ることと言えば、探し物をするか自分の力で事件を究明することだけ。だからか、少年自身も自分の弟子や助手を欲することは一度もなかった。自分に足りないものがわかっているのだ。その為に来た依頼によっては振り回されてしまうのだが、それも一つの面白さとして少年は楽しんでいる。――最近は彼自身が寧ろ振り回している原因になっているのだが。そんな彼だからか、博識で穏やかな彼等に惹かれたのは、もう運命だったのかもしれない。

――雨の降る夕方。静かな教室に雨の降る音だけが聞こえている。いつもはいるギターを弾いている生徒も、今日ばかりは早く帰ったようだった。昼間より強くなる雨に、僕はため息を零す。
(先生に呼ばれなきゃ僕も早く帰れたのにな)
「ねえ」
学校の教室で静かに駆けられた声に、僕は振り返る。聞き馴染みのある声で、呼びかけた本人が誰なのかは予想がついていた。高い位置で髪を一括りにした幼馴染の姿に、驚く。
(どうしてここに)
「あのね」
(どう、しよう……)
声が出ない。今更どんな顔をして彼女と話せばいいのか、まったくわからないのだ。小説を持つ手に無意識に力が篭る。同級生の喧騒が、どこか遠くへと聞こえるのは――何故だろうか。
「よく一緒に居る後輩の子いるでしょう? その……あの子と一緒に居るの、辞めた方がいいと思うの」
「……は?」
「たぶん……あなたの為にならない、気がするから」
彼女の言葉に、僕は開いた口が塞がらなかった。次いで込み上げてきたのは――違和感。
「……それじゃあ」
話かけてごめんね、と告げて去って行く彼女の後を、僕は追わなかった。彼女に感じた違和感が強く僕に警鐘を響かせる。ガンガンと煩いくらいに聞こえるそれに、耳を塞ぎたくなってしまう。
(なんだ、今の……)
彼女の珍しい言動が信じられなくて、彼女の出て行った廊下を見つめ続ける。たくさんの人が出ては入って行く出入り口に、彼女の姿はもう見えない。
(……本当に、珍しい)
少なくとも、彼女はあんなことを言うような人間じゃなかったはず。その証拠に、誰かと関わる事をやめてなんて初めて言われたことだ。そりゃあ、いろいろと迷惑を被ってはいるけれど、それを見ているわけじゃない彼女には知る由もない。けれど、警告のように告げて来たその言葉は、僕の中で静かに転がっていく。
「……なんなんだよ」
突然の出来事に、頭がついていかない。僕は振り切るように机に突っ伏すと、誰にも見られないよう下唇を噛み締めた。……なんなんだ、一体。
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