秘書と社長の物語
手を打つと言っていた社長の言葉に嘘はなく、瞬く間に大きく状況が動いた。

元々東京に支社を作る予定だったため私を含め数人の新人が雇われており、営業部の何人かには転勤の打診がされていた。

前社長が息子に任せるつもりで準備を始めた東京支社は、彼の急死で中途半端な状態で放置されていたものだった。

それを引き継ぐかたちとなった社長が何とか道筋を付け、あとは支社長の人選をどうするかというところまできていた。

外資系の派遣会社で経験を積んだスペシャリストが最有力候補として検討されていたが、数ヶ月前から話が滞っていたのだ。

そして今回、東京支社の話がその方向性を変え、皆を驚かせた。

本社機能を東京に移転し、関西を支社とする方針に転換したのだ。

おそらく私のことも含め、社長の母親は大いに反対したのだろう。

分室は廃止され、総務部と経理部を本社に増設、中途採用の募集が取り急ぎ行われており、当面指示系統はコンサルタントを入れて急場を凌ぐこととなった。

関西支社は新たに支社長となった営業部長に任せ、社長は東京と大阪を激しく行き来し本社の移転準備を急ピッチで進めた。



そのさなか、社長はさりげなく私との婚約を発表した。

付き合っているという認識がほとんどないまま、私は社長の婚約者になってしまった。

分室が廃止されて社長の母親は完全に鳴りを潜め、止まぬ電話攻撃に頭を抱えていたのが嘘のようだった。

執拗に私への嫌がらせを続ける母親との話し合いの中で、私との結婚を闇雲に否定された社長は、

「ならあなたとは縁を切る」

と言い捨てて、物理的にも距離を取れる本社移転を決断したという。

「そんなことは許さない!」

と泣きわめく母親に、

「会社を売り払って全部切り捨てても構わないが、どっちを選ぶ?」

と尋ねると、ようやく彼女は黙ったそうだ。

その後社長は、東京出張の合間に私を連れて実家に行き、私の親に正式に結婚の挨拶をしてくれた。

私は社長の唯一の家族である母親とまともに挨拶もできていないけど、

「彼女が望んだ結果なのだから気にする必要はない」

と言われてしまった。

息子に絶縁されても結婚に反対する理由が私にはわからないが、当事者である社長が全然気にしていない様子なので、私も考えることをやめてしまった。

いくら考えてもわからないことを考え続けても無駄だからと、どんどん先に進もうとする社長はいっそ清々しい。

そうして進んだ先でふと振り返った時に、理解できることもあるのかもしれない。



本社移転を決めた後、社長は改めてプロポーズをしてくれた。

真顔を貫く社長独特の甘い雰囲気でまっすぐに「愛している」と言われると、ただひたすら恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。

でも社長がくれるその言葉を、私は間違いなく嬉しいと感じていた。

そして私のためにここまでしてくれた社長を信じて、私も先に進んでみようと思える。

社長とならこの先に何があっても乗り越えていけそうな気がするから、きっと大丈夫。

私も社長に何かを与えられる存在になるために、これまで以上に努力を続けよう。

多分私は社長のことを好きになり始めている。
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