片恋慕夫婦〜お見合い婚でも愛してくれますか?〜
幸せを揺るがすもの



 旅行から戻ってきてしばらく。伊織さんが学会出張で家を空けることになった。本来なら日帰りも可能だが、朝一での発表準備があるため、今夜病院からそのまま最終の新幹線にて大阪へ発つとのこと。

 仕事で帰って来れないことはあるものの、こうして予め帰って来ないとわかると寂しさを感じ、玄関先まで見送った。

「緋真は今日実家に帰るんだったか」
「うん。仕事の後そのまま向かうよ」
「わかった。気を付けて」

 実家までは電車を乗り継いで一時間弱。さほど遠くはないが、引っ越してからはなかなか顔を合わせる時間もなく、伊織さんの出張のタイミングで会いに行くことにした。

 靴を履き終えた伊織さんにひらひらと手を振ると、彼は思い出したように振り返る。
 そして――

「危ないな。忘れ物をするところだった」
「え? んっ……」

 腕を引かれ唇が重なると、急かすように唇を割って入った舌が、前歯をすり抜けて奥で絡み合う。

 朝の見送りのキスにしては長く深い口づけのあとで、鼻先同士がちょんと触れた。

「……ずっとこうしていたい」
「でも、もう行かなきゃ……」
「ああ、名残惜しいけど行ってくる」
「い、行ってらっしゃい」

 涼しい顔で伊織さんが出て行ったあと、玄関の鍵を閉めるとその場にへたりとしゃがみこんだ。

「甘すぎるよ……」

 伊織さんは旅行のあとから、惜しみなく愛を注いでくれる。行ってきますのキスなんてベタなことは序の口で、夜だって唇が渇く音すらも聞こえてしまうほど、近い距離で眠っている。

 そして事あるごとに「可愛い」「綺麗」だのと、愛でる言葉と共にスキンシップをくれるから、その度に私はたじたじになっていた。

 おかげさまで私は彼の飴なしでは生活できない体になりかけていて、二日ほどでも家を空けるだけでも寂しくて仕方がない。

 突如変わってしまった、新婚生活に気持ちがついていかない。だけど、彼の一挙一動が心をときめかせるのは紛れもない事実で、毎日胸がいっぱいだった。

「仕事行こう……」

 幸せを噛みしめるかのように、ぐっと速まった胸の鼓動を抑え込む。気持ちを切り替えると、リビングへと戻った。



 その日の授業終わり、帰宅前に定期的に発生する食材の在庫チェック作業を行う。使用する食材の賞味期限だけでなく、傷みがないかや鮮度が保たれているのか確認することは大切な作業のひとつである。

 チェックリストに記載を入れ終わりひと息つくと、調理器具の消毒を終えた郁ちゃんが、口元の緩みを隠しきれないといった様子で近づいてくる。

 彼女とは旅行直前に会ったのが最後で、まだ伊織さんとのことは何も報告はできていなかった。

「ふふふ~、その様子じゃ上手く行ったんだね?」
「え!?」
「もう、全身からにじみ出てるよ? 幸せオーラ!」

 そう言って揶揄するように肘で突かれる。自分でもわかっていた。ふとした時に伊織さんのことを思い出すと、言葉では表現できないものがこみ上げてきて口が緩む。

 ここまで彼のことばかり考えるなんて。好きに上限がないことを、この年になって初めて知った。

「あ、またにやけてる~」
「ご、ごめん。おかげ様で上手く行ったよ……」
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