異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

85 摩巣窟の畔

「しかし聖女として浄化する者も必要。だから私は密かに魔法陣に細工し、聖女となる者を二人召喚するように仕向けた」

聖女を二人? 耳にした言葉に目を見開く。

「最初にエルウィン王子があの聖女を『聖女』と断定したので、お陰でもう一人は『聖女』ではないと皆が思った。このまま魔塔に引き取ればと、それを、あのレインズフォードが余計なことを」

魔塔主の顔が憎悪で歪む。脳裏にはきっとアドルファスさんが浮かんでいるんだろう。

「しかもあの腕輪」
「腕輪?」
「ありったけの加護を石ひとつひとつに込めた腕輪など、お陰であれを排除するのに余計な魔力を使うはめになった」
「腕輪」

手首に目を向けるとそこにあの腕輪はなかった。

「そろそろか。グズグズしていると追いつかれてしまう」

真っ暗な星ひとつない夜空を見上げ、手首を縛る縄を掴んだまま立ち上がった。

「本当はもう少し優しく運ぶつもりだったんですが、さっき言ったようにレインズフォードが持たせた腕輪のせいで無駄に魔力を消費したので、これで我慢してくれ」
「ひっ」

そう言ってパチンと指を鳴らし、カンテラを持ち上げて縄を掴んだまま、引きずられて行った。

悲鳴を上げる声が出ない。口をパクパクさせるのに空気だけが漏れていく。引きずる音も何もかもしない。音を封じ込める魔法を使っているのだろう。

そこにも何か魔法を使っているのか、マルシャルは細い腕なのに一生懸命逃げようともがく私の抵抗もまったく意に介さず、その歩みは軽い。
元の世界に戻れる方法があるというのも嘘だった。最初から生け贄にするために二人の人間を召喚した。どちらを聖女として擁立するか、どちらを生け贄にするかは半分の確率だった。

『アドルファスさん、アドルファスさん、助けて』

こんな結末は想像していなかった。いずれ元の世界へ戻る時が来て、別れることは覚悟していた。
私がいなくなって、本当は恋しいと思ってほしいと願いながら、早く忘れて新しい人生を歩んでほしいとも思った。
宴の席でアドルファスさんとの縁を願う人たちを見て、彼の傍に居続けるのが私で無いことに虚しさを覚えた。

引きずられて、靴は途中で脱げた。ドレスもどんどん汚れて切り裂かれていく。落ちていた石や小枝で足には擦り傷が増えていく。涙が止めどなく溢れ、鼻水も流れてくる。顔をぐしゃぐしゃにしながら引きずられていく内に、体に不思議な圧力が掛かった。
ずんと、鉛のようなものが体にのし掛るような感覚と鼻を刺激する硫黄のような異臭がどんどん強くなっていった。

「着きましたよ」

ピタリと動きが止まり、軽々とゴミを放り投げるように飛ばされ、どさりと地面に落とされた。
衝撃に一瞬息が止まる。

「後ろを見てください」

言われて、地面に倒れたまま首だけを巡らした。

「!!!!!!」

火山のマグマのようにドロドロとした黒いものが蠢いた大きな穴から、黒い靄が湯煙のように立ち昇っている。
所々からボコボコと地獄谷の温泉のような気泡が湧いては破裂している。
そうかと思えば間欠泉のように何かが吹き出している場所もある。
そして、卵の腐ったような硫黄に似た匂いが辺り一面に充満している。

「今からここにあんたは入るんだ」

言われた言葉に怒りと絶望、恨みの籠もった目で彼を見上げる。

「そうそう」

そう言ってパチリと指を鳴らす。

「最後に何か言いたいことがあるなら聞いておこう」
「あ、悪魔、鬼、人でなし」
「あく・・? どういう意味ですか? 人でなしですか。そうです。私は人ではなく偉大な魔法使い。私の偉業を皆が称えることでしょう。最初は皆非難するでしょうが、後の世になればきっと感謝します。たった一人の異世界人の犠牲でこの世界の全てが救われるのですから」

天使と悪魔はこの世界には存在しないのか、私の悪態も殆ど通じない。

「こんなことをして、天罰が下るわ、ア、アドルファスがきっと許さない」
「あんな死に損ない。五年前の時に死んでいれば良かったものを、せっかくいい死に場所を作ってやろうとしたのに」
「え?!」
「ああ、最後だから特別に教えてやろう。あいつの正義漢ぶりは鼻についていたんだ。いずれやつは私の計画の邪魔になると思ったから、わざと魔獣をけしかけ事故に見せかけて殺してやろうと思ったのに。まったく悪運の強い男だよ。まあ、二度と討伐に加わることはできなくなったから、半分は成功したようなものだがな」

両手を広げ胸を張って天を仰いて、クククと下卑た笑いを浮かべてそう言った。

「ああ、おしゃべりが過ぎましたね。これくらいにしておきましょう。障壁魔法もそろそろ限界です」

人差し指を立て、くるりと円を描くとふわりと私の体が宙に浮いた。

「さようなら。あなたの犠牲は忘れません」
「いやあああああ!」

そして彼が指を下に向けると、私の体は黒いマグマの中に真っ逆さまに落ちていった。
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