異世界召喚 (聖女)じゃない方でしたがなぜか溺愛されてます

91 都合のいい女

「きっとあの子に恨まれてしまいますね。勝手なことをしたと」

レディ・シンクレアが一階の階段下でそう言った。

「たとえ一時的に腹を立てても、彼ならきっと許してくれます」
「そうでしょうか」

レディ・シンクレアには珍しく弱気な言葉だった。それだけ彼女も憔悴しきっているということだ。

「あの子のこと、お願いしますね」
「何のお力にもなれないかも知れません」

自分に何ができるか。何をすればいいかわからないまま、ここにやってきた。
辛くても、彼が私など、もうどうでもいいと心の底から思っているなら、現実を受け入れるべきだ。

この先、家族に会うことができる可能性はゼロではなくなったが、どうすればいいかもわからない。
自立している。自分は家族に頼らなくても生きていける。そう意地を張った結果、両親や兄姉との関係を修復することも出来ず、今ここにいる。

レディ・シンクレアと別れ、階段を昇って向かった先はアドルファスさんの部屋だった。

逸る気持ちとはうらはらに足は遅くなる。扉のすぐ前まで来て、目を閉じてゆっくり十まで数え、きゅっと唇を噛んだ。

コンコン

扉のノックする。一度目は返事がなかった。

コンコン

もう一度ノックする。

それでも返事がないので、心配になってゆっくり扉を開けた。

部屋の中は暗かった。

そっと足を踏み入れ後ろ手に扉を閉めた。

来たことがあるから間取りはわかるが、それでも目が暗闇になれるまで暫くその場で立ちながら、耳を澄まして部屋の中にいる人物の気配を探る。

「う・・」

むくりと寝台の方で動く気配と共に声が聞こえた。

「誰ですか?」

アドルファスさんの声が聞こえて、生きていたとほっとする。

「私です」
「・・・・ユイナ?」
「はい」
「・・・・・」
「アドルファスさん?」

私が来たことを知ると

「どうして・・・・」

苛立ちを含んだ声が聞こえ、少々腹が立った。

「それはこちらの台詞です」

目が慣れてきたので部屋の中へ突き進む。でも向かったのは寝台ではなく窓。

「ユイナ!」

私が何をしようとしたのか察した彼が名前を呼ぶと同時に、私の体が動かなくなった。
光の粒子が私の足に纏わり付く。彼が魔法を使って私の動きを封じたのだった。

「アドルファスさん、アドルファス、魔法を解いて」

こんな風に彼に魔法を使われるのは初めてだった。私を探したり、宙に浮かせたり、髪を乾かしたりと、彼が私に使うのはいつも私のため。
でもこれは、私の動きを封じるためで、私の意志に反するものだった。

「駄目です。やめてください」

私が窓に掛かった重厚なカーテンを開けようとしているのだとわかっていて、それを止めようとしている。

「暗いままだとあなたが見えない」
「見る必要はありません。どうか帰ってください。そう約束してくれるなら解いて差し上げます」
「いやよ!」
「お願いします。強制的にあなたを放り出すことはしたくありません」
「どうして・・もう私の後見をする必要がなくなったから? 厄介払いできて喜んでいるの?」
「そんなことはっ・・厄介払いなどとは思っていません。そのように誤解されているなら申し訳ございません」
「私は謝ってほしいわけじゃないの。ううん、謝るなら私の方」
「お願いします。どうか・・」

姿はまだはっきり見えないが、彼が苦しんでいるのがわかる。

「お願い・・アドルファス・・少しでも私のことを思ってくれているなら・・あなたの姿を見せて」
「ユイナ・・泣いているのですか」

知らずに涙が溢れ、声が震えていた。それに気づいて彼が弱々しく尋ねる。

「グスッ、泣いてます。これが泣かないでいられますか、好きな人に捨てられようとしているんですよ。誰だって泣きたくなるでしょ」

認めてしまうと更に涙が湧いてきた。
そう、私はこれまで出会った誰よりも彼のことが好きだ。
その彼に姿を見ることも拒まれて追い返されようとしている。

「捨て…そんな、私は」

アドルファスさんが明らかに動揺している。

「す、好き?」
「何を今更…好きでもない人に体を許すような、節操もない人間だと思っていたの?」
「そ、それは…『恋人』だから」
「こっちではどうか知りませんが、私は好意がない相手とは体を重ねたりしません」
「それは…嫌われてはいないとは…しかし、」
「もういいです。私は…私は結局、こっちでも元の世界でも、都合のいい女としてしか見てもらえない…グス」

今のは少し演技かかっていたかも知れないとは思ったけど、悲しいのは本当のこと。

「ユ、ユイナ…私はそんなつもりでは決して…」
「じゃあ、命の恩人に対して、礼も言えない最低な人間になるだけです」
「…………」

はっと彼が息を呑むのがわかった。

「……わかりました」

その言葉と共に私の足を拘束していた力がなくなった。
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