囚われのシンデレラ【完結】


「――常務、おはようございます。お早いですね」

それから二時間ほど仕事をしたところで、遥人が出勤して来た。

「昨日は突然変帰って、申し訳なかった。昨日のうちに済ませるべき決裁はしておいた」
「ありがとうございます。それと、昨日、常務が帰られたあと、このような依頼が来ております」

遥人が差し出したA4の紙を受け取る。

「女性ファッション誌の、特集依頼……またか?」
「はい。先日の常務の特集の反響が思いのほか大きかったようで。他の出版社からも類似の依頼が来ております。広報から、是非受けて欲しいと強い希望です」

大きく溜息を吐く。

「あのテレビの放映と雑誌の特集の後、明らかに女性の宿泊客が増えております。女性専用の宿泊プランも、少々値が張る金額に設定しておりますが予約数は増える一方です。消費者が商品を選択するとき、いかにイメージが大切かを表しているのでは?」
「そんなことは分かっている。必要だと思えることには俺も迷いはない。ただ、」

テレビの対談を受けてから、こうしてメディアへの露出が少しずつ増えてきている。それが煩わしくて仕方がなかった。

「ビジネスにおいて、一つのことに頼るのは間違っている。何事も適度でなければ。これ以上は必要ない。広報にそう伝えておけ」

安易な方法に流れるべきではない。

「――それは、ご結婚されていることを知られたくないからですか? もっと言えば、奥様のことを嗅ぎまわられたりしたくない――注目されるようになればなるだけその懸念が生まれますからね」

そう言った遥人の顔を見上げる。

いずれ俺とは無関係になるあずさのことを思うと、俺との結婚を表に出すようなことはしたくなかった。あずさの未来に傷を付けるようなことはしたくないと、これまでそう考えていたのは事実だ。

「おまけに、常務は縁談まで抱えていらっしゃる」
「俺の返事は伝えた。まだ他に何か?」
「常務は、何も分かっていらっしゃらない。何かを守るためにすべきことが何なのかを。では、失礼致します」

この得体の知れない違和感は何だろう。遥人を前にすると、べったりとしたものが胸に残る。

 何か、取り返しのつかないようなざわつき。それでいて知りたくないと本能が訴えて来る。


 仕事を終えて、そろそろ帰り支度をと思っていたところだった。

 一刻も早く帰宅したいと気が逸る。あんなに抱き合ったのに、今すぐにでも抱きしめたくなる。

 この年になって、まるで抑えのきかない自分に自分自身で驚いた。俺をあんな風にするのは、あずさしかいない。

「今日は、もう帰る」
「お疲れ様でございました」

頭を下げる遥人の横を通り過ぎようとした時だった。デスクの上の電話が鳴った。

「ああ、いい。俺が出る」

遥人を制止して受話器を取った。

「もしもし」
(ああ、佳孝か。間に合って良かった)

お父さん――?

「何か?」
(今すぐ、中央総合病院に行きなさい。漆原さんから連絡があった。公香さんが――)

続く言葉を聞きたくないと思ったのは、人間の防衛本能だろうか。

(自殺を図った)

聞きたくないと願う俺を、容赦なく底へと突き落とした。



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