記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

王太子からの呼び出し

【注意】
女性を無理矢理暴行しようとする描写があります。
苦手な方はお気を付け下さい。

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 ディートリヒの傷に触れた夜から、数日。
 あれから二人はギクシャクとしていた。

 ばちっと目が合うと互いに頬を染め目をそらすのだ。
 会話も何だか続かない。
 以前に比べれば確かにその距離は縮んでいるはずなのに。
 事務的な会話はできるのだ。だが私情を挟むとポンコツになる。

 そんな一進一退の仲な二人を、使用人達はやきもきしながら見守るしか無かったのだが。


 ある日、執事のハリーがカトリーナに手紙を持って来た。

「奥様、これを……」

 それは封蝋に王家の印章が押されている。
 カトリーナはその印章をよく覚えていた。

 なぜなら、王太子の物だからだ。


 あれから王太子がどうなったのか、など気にも留めなかった。
 カトリーナの頭の中はここ最近の出来事や、特に先日の談話室でのやり取りでいっぱいだった。

(わ、私ったら、なんであんな……きゃー!!)

 思い出すたび身を捩りたくなる衝動にかられる。

「奥様?」

 カトリーナを不思議そうに見ているハリーの声に我に返った。

「ご、ごめんなさい。今すぐ開けますね」

 手紙を受け取り中身を検めると、カトリーナは眉を顰めた。

「何て書いてあるんですか?」

「……なんの用かは分からないけれどお呼び出しみたい」

 自ら婚約破棄した元婚約者が、人妻となった者に何の用なのだろうか。
 カトリーナには見当もつかない。
 そもそも貴族夫人を私的な用事で王太子が呼びつけて良いものなのだろうか。

 だとしたらこれは罠だ。
 カトリーナはそう結論し、手紙を暖炉に焚べた。

 ハリーはぎょっとして灰になっていく手紙を見ている。

「よ、よろしいのですか?」

「私、うっかりして暖炉に落としてしまいましたわ」

 てへっ、と笑えばハリーも色々は言えなかった。


 それが1回で済めば良かったのだが、次の日も、更に次の日も手紙が来る。
 流石にカトリーナはゾッとし、気持ち悪くなってきた。

「旦那様に相談しましょうか?」

「だんなさまの手を煩わせるわけにはいかないわ。そ、それに、今だんなさまとは、ちょっと」

 もごもご口ごもるカトリーナに、ハリーの提案はあえなく却下された。

(奥様が言えば王太子殿下を捻り潰しそうですがねぇ)

 ハリーの心の中のつぶやきは、決して漏れてはいけない。

「……はぁ、行かないと毎日来そうね……。
 仕方ない。殿下のもとへ行って来ますわ。ソニア、エリン、支度してくれる?」

「「かしこまりました」」

 二人は早速準備に取り掛かった。

「……ついでに騎士団にも寄ろうかしら」

 カトリーナの心の呟きはぽろりと口から漏れる。
 奥方付きの侍女二人は心得ましたとばかりに、カトリーナの身なりを整えていくのだった。


 王城へは、エリンの他にマダムリグレットに行く時に一緒にいた護衛のベルトルトを伴って訪れた。

「王太子殿下の招待で来ました。カトリーナ……ランゲです」

「少々お待ちください」

 門番に名を伝え、馬車内で待機する。

「……王宮内は久しぶりだわ」

 先日訪れた騎士団の詰め所は王城の敷地内にはあるが、宮殿からは少し離れた場所にある。
 宮殿と言えば、カトリーナがデーヴィドの婚約者だった時は毎日通った場所だったが、ディートリヒと婚姻して数カ月経った今、訪れるのは婚約破棄をされた夜会以来だった。

 カトリーナが過去に思いを馳せていると、外から声がかかった。

「ランゲ伯爵夫人、お待たせ致しました。ご案内致します」

「よろしくね」

 門番は一瞬目を見張った。それからすぐに表情を戻し、カトリーナ達を先導する。

 王宮の出入り口で馬車を降りたカトリーナは、門番と交代した案内人に連れられて王太子の待つ部屋へ向かっていた。

「あっ!あなたは副団長の奥様」

 途中、騎士に声をかけられ立ち止まる。
 先日訓練しているときにディートリヒから手を借りていた騎士だった。

「今日はこちらにいらしたんですね。後程また詰め所に寄ってくださいね!」

 見習いだろうか。
 朗らかに話しかけるが、彼は職務中である。
 私語は禁止なのだがお構いなしの騎士にカトリーナは苦笑いを返した。

「あなた、職務中ではなくて?私語は慎まないと怒られますわよ」

「はっ………はぃい、すみません!」

 しゅん、となった騎士にカトリーナは毒気を抜かれ、くすくす笑った。その表情は周囲にいた者達を魅了していく。
 以前からのカトリーナを知る者はその表情の違いに戸惑い、見惚れ、知らぬ者も、その笑顔に魅入られていた。


 王太子の執務室の前に立ち、案内人がノックすると中から返事がした。

「失礼します」

 カトリーナが入室すると、少し窶れたデーヴィドが顔を上げた。

「やあ、リーナ。久しぶりだね」

「……王太子殿下にご挨拶申し上げます」

 侍女と護衛を従え、カトリーナは臣下の礼をする。その事にデーヴィドは苦笑した。

「僕とリーナの仲だろう?堅苦しい挨拶は止めてくれ」

 スッ、と頭を上げたカトリーナは無表情である。

(僕とリーナの仲?どの口が言ってるのか)

 カトリーナは婚約破棄した相手に傲慢だと心の中で失笑するが、長年培った淑女の仮面を被り続けていた。
 驚くほど気持ちは凪いでいる。

「恐れながら、王太子殿下とはあの時の夜会でお会いしたきりでございます。
 それ以上では無い為気軽にお話などできません」

「なんだ……まだ記憶が戻らないのか?」

「申し訳ございませんが、戻っておりません」

 その言葉にデーヴィドは瞳を揺らし、エリンとベルトルトは意図を察して無表情を取り繕った。

「……お前にとって、俺との事は思い出す必要も無いと言う事か」

 デーヴィドは膝の上で拳を握る。カトリーナはなぜそんな事を言われなければならないのかさっぱり分からなかった。

「あなたは私を婚約破棄なさったのでしょう?でしたらこれからは臣下として仕えるのみでございます」

「なあ、リーナ。怒っているのか?シャーロットの件なら大丈夫だ」

 カトリーナは眉根を寄せてデーヴィドを見た。
 彼が何を言い出したのか真意を図りかねたのだ。

「私は怒っておりません。何が大丈夫なのか、分かりません」

「リーナ、戻って来い。醜悪伯爵との離縁は任せろ。戻ってまた前みたいに仲良くしようじゃないか。君がいないと仕事にも手が付かないんだ」

 デーヴィドは書類の束を叩いて見せた。

 なるほど、自分を呼んだ理由はそれか、とカトリーナは思い立つ。おおよそ見当はついていたが、大当たりだった事に溜息が出そうだった。

「申し訳ございませんが、記憶がありませんので以前のような事はできません」

「大丈夫だ、君ならすぐにできるようになるよ。だから」

「お断りします。私は、ディートリヒ・ランゲ伯爵の妻でございます。王太子殿下の元へは戻りません」

 その声ははっきりと、きっぱりと、かつての婚約者へと告げる。
 以前のカトリーナであれば、二つ返事で手伝っただろう。
 王太子の婚約者の立場が彼女の居場所だったから。

 だが、今は。
 ランゲ伯爵邸が自分の居場所であり、帰る所。
 何より、自分はディートリヒの妻なのだと、きっぱりと公言したのだ。

 カトリーナの言葉に侍女のエリンは腰のあたりでぐっと拳を作った。

 だがその一言に、デーヴィドは表情を落とした。

「貴様……俺の温情を仇で返しやがって!!
 来い!お前が誰の物なのか分からせてやる!!」

 激昂したデーヴィドはカトリーナの腕を力任せに引っ張った。

「殿下、お離しください!」

 だがカトリーナの抵抗虚しくぐいぐいと奥へ連れて行かれる。
 ベルトルトは主を助けんと動いたが、デーヴィド付の近衛数人ががりで抑えられた。エリンも助けようと動くがやはり近衛に阻まれる。

 危機を感じたカトリーナはそれでも微力ながら抵抗していたが、ずるずる奥へ引っ張られる。
 カトリーナは奥に何があるか分かっていた。

 執務室の奥。
 かつて婚約者だった時、デーヴィドとシャーロットがよく篭っていた場所。
 そんな所に連れて行かれるなんてまっぴらだと思うが恐怖もあって身が竦む。

「王太子殿下、お戯れはおやめください。私は人妻ですのよ」

 奥にあるベッドに乱雑に投げられたカトリーナは顔色を悪くしながらも、にじり寄って来る王太子から逃げようと後退した。

「だから何だ。人妻か。良いでは無いか」

 その言葉にぞわりと全身が粟立つ。
 デーヴィドは上衣を寛げ、ぎしりと音を立てながら仄暗い笑みを浮かべた。
 その様を間近で見せられ、カトリーナの背筋にたらりと汗が流れた。覆いかぶさってくる男が気持ち悪かった。

「やめて!離して!」

 非力ながら足掻くカトリーナを嘲笑いながらその腕をまとめ、ベッドに縫い付けた。

(私を組み敷いて良いのはこの世で一人よ!)

 腕を取られたが足がある。ジタバタと身を捩り逃れようともがいた。

「おとなしくしろ」

「……ひっ…」

 冷たい声音を聞き、カトリーナは身を竦ませた。遠くで怒号が響いている気がするが時が止まったかのように動けなくなった。

(いや……、助けて……、だんなさま……)

 恐怖と屈辱で奥歯がかちかち音を立て、カトリーナはぎゅっと目と唇を閉じた。

 デーヴィドがまさにカトリーナに口付けようとした瞬間。


「がはっ!?」

 その喉元に骨ばった大きな手が回され、投げ飛ばされた。
 ドンッという鈍い音と共に床に崩れ落ちる。


「誰が、この方に手を出して良いと申し上げたか」

 地を這うような、低い声。
 その声にデーヴィドはびくりとし、カトリーナは目を薄く開いた。

 カトリーナの瞳に映るのは見慣れた大きな背中。
 自分を守ると誓った、絶対的存在。


「ディー……トリヒ……さま……」


 カトリーナは震える声でその名を呼んだ。
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