記憶が戻ったら〜孤独な妻は英雄夫の変わらぬ溺愛に溶かされる〜

突然の訪問者

 
 ランゲ伯爵邸はもうすぐ夫人の出産を控え、主を始め使用人一同今か今かとその時を待ち侘びていた。
 侍医の見立てではいつ産まれてもおかしくないという。
 その為出産準備の最終的な確認に余念がない。

 そんなあるとき、ディートリヒの弟が予告無く帰宅した。
 ディートリヒを少し若くしたような見た目の青年は、カトリーナを見るなり

「俺はお前が兄上の嫁なんて認めないからな!」

 そう言い放った。

 いきなり現れて認めない宣言をした夫の弟に、カトリーナは

「いきなりなんですか!まずご挨拶、それから自己紹介でしょう!?」

 キッと睨む。
 それにたじろいだ弟はぐっと呻き、姿勢を整え騎士の礼をした。

「失礼致しました。ディートリヒ兄上の弟のオスヴァルトと申します。
 いきなりの訪問失礼致します」

 やればできるじゃないか、とカトリーナはにっこり微笑んだ。

「ディートリヒ様の妻となりましたカトリーナと申します。ようこそお帰り下さいました」

 身重の為腰を少し落として礼をする。
 その微笑みを見たオスヴァルトは気まずそうに目をそらしたが、その耳が少し赤くなっているのは誰も気付かなかった。

 オスヴァルトの突然の帰宅を、ディートリヒは執事からの速達で知り早めに仕事を切り上げて帰って来た。

「オスヴァルト、帰宅するなら先触れくらい出せ」

 出迎え時にいなかったので、ディートリヒはオスヴァルトの滞在する部屋に直接来た。

「あー、ごめん。……てゆーかお腹おっきい人ほんとに兄上の奥さんなの?」

「ああ。それがどうかしたか」

 真顔で答える兄に、オスヴァルトの顔は渋くなった。

「あの人あれだろ?社交界に出てない俺でも知ってるよ。何であの人なの?」

 カトリーナはある意味色んな所で有名人だった。その噂が真実であれ無実であれ、あまりいい様には伝わっていない。
 直に接すれば人となりは分かるが、滅多に会わないオスヴァルトは噂を鵜呑みにしていた。

「俺が彼女に惚れたんだ。ただ噂を鵜呑みにしているだけでは真実は見えてこないぞ。
 それと、妻を侮辱するのは許さない。ああ、あと妻は出産を控えている。迷惑になるような事はするなよ」

 ディートリヒのひと睨みは、オスヴァルトをたじろがせた。
 色々言いたい事は山程あるが一旦引く事にした。


「兄上はきっと騙されてるんだ。俺があの悪女のシッポを掴んでやる!」

 それからオスヴァルトは屋敷に滞在し、隙あらばカトリーナを観察した。

「ソニア、エリン、お茶にしましょう」

「はい、奥様」

 天気も良いので庭にテーブルセットを出して貰い、三人はお茶会を始めた。

「んー、気持ちいい!いいお天気ですねぇ」

「洗濯物が良く乾きそうね」

「いいお昼寝日和だわ~」

「出産も、もうすぐですね」

「ええ、いつ来るか分からないから今から緊張するわ」

 よく見れば周りにメイドや庭師もシートに座ってお茶を飲んでいる。
 和やかな風景はオスヴァルトの毒気を抜いた。だが、ぶんぶんと頭を振る。

「くそ……何なんだあの義姉上は……。使用人たちと仲良くして、悪いとこが無いじゃないか……っ!」

 草かげでぎりぎり歯噛みするオスヴァルトに、執事のハリーが気付き声をかけると「ぎゃっ」と飛び上がらん勢いで逃げて行った。

「……相変わらずお兄ちゃん大好きなんですねぇ」

 幼少時よりディートリヒの後をつけ回していた弟を思い出し、ハリーは笑みをもらした。


 その後もオスヴァルトはカトリーナをコソコソ見ていたが、使用人たちには優しいし執務は完璧だし兄の事が大好きだと態度に出ていて、彼を唸らせた。
 それらはむしろ、美人で優しい笑顔に惹かれる要因となり、良からぬ想いを抱きそうになったので近寄るのを止めた。
 もっともディートリヒと仲良くしている姿を見ればその気持ちはすぐにぽいっと投げ捨てられた。


「今日は少し遅くなるよ」

「分かりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

 朝、そんな会話をした日に限って、カトリーナは違和感を覚えた。

(さっきからお腹が痛むわ……)

 チクチクしたかと思うとすぐに止み、最初は気のせいかと思っていたが段々痛みが強くなって来た。

 そのうち痛みが来ると立っていられなくなるくらいになり、ソファに座りやり過ごしていると、扉をノックする音がする。
 侍女を呼ぼうにもベルは手元に無い。

「あー、義姉上、よろしいでしょうか」

 だがカトリーナは返事ができない。今は痛みと戦いの最中である。
 返事が無いのが気になったオスヴァルトは、小さく扉を開けた。

「義姉上、入りますよ……
 っ、あ、あ義姉上!?どうされましたか!?」

 ソファに頭をもたれ、うずくまるカトリーナの様子が尋常では無いのに気付き、オスヴァルトは駆け寄った。

「ごめ……なさい、たぶん、産まれる……」

「産まれる!?待って、侍医呼ぶから!まだ産まないでよ!!」

「ゔぅ~~……」

 オスヴァルトは慌てて使用人を呼び、自身はカトリーナの側に着いた。

「義姉上、どこか痛みますか?」

「ゔぅ……ディー……ト……ディートリヒ様……」

 カトリーナは痛みに耐えながらオスヴァルトの服を力強く握りしめ、夫の名を呼んだ。
 使用人が来たのを見届け、オスヴァルトは馬を駆り騎士団の詰所に向かう。

 門兵を振り切り、副団長執務室へ駆け込むと、ディートリヒは目を丸くしてオスヴァルトを見た。

「オスヴァルト?何しに来たんだ」

 全速力で駆け抜けてきたオスヴァルトは息も絶え絶えになんとか口を開く。

「義姉……ぅぇ…産まれる……痛いって、
 兄上の名を呼んで……」

 その言葉にディートリヒは目を見開き部屋を出て行った。

「あ、兄上、執務は!?」

「あー、いいよ、産まれるんでしょ。あとはやっとくから」

 騎士団長の呑気な声を聞きながら、オスヴァルトは力を振り絞り再び来た道を引き返した。



 オスヴァルトが伯爵邸に着いた頃には、カトリーナはあらかじめ準備していた産室に入り、先に帰着していたディートリヒの励ましを受けながら叫び声を上げた。
 やがて夜中になる時間帯に、伯爵邸に赤子の泣き声が響いた。

「産まれた!」

 別室で待機していたオスヴァルトの耳にも届く産声に、自然と拳を握り締めた。
 急いで産室まで駆けて行く。
 自分の子では無いのにと不思議な感覚になりながら、気分は高揚していた。

 少しの間を置き、ディートリヒが赤子を抱いて廊下に出て来るとオスヴァルトはそろりと近寄った。

「元気な男の子だ」

「あっ義姉上は!?義姉上はお元気ですか!?」

「ああ、カトリーナも今休憩している。……よく、頑張って……くれて……」

 若干の疲労はあるが、ディートリヒが眦に涙を浮かべているのを見て、オスヴァルトは目を見張った。

 ディートリヒの結婚が白紙になり、一時期荒れていた頃を思い出す。
 両親の死、侵略戦争での負傷が原因で結婚が白紙となった時は相手の令嬢に文句を言いたかった。
 ディートリヒなりに妻となる人を幸せにしようとしていたのだ。
 当時は憤ったが、今の兄の姿に「よかったなぁ」と涙した。
 そして、最愛の妻が出産した我が子を愛おしげに抱く兄を見て、オスヴァルトはカトリーナへの態度を改める事にした。


「べろべろべろばぁ~~」

 産まれたての赤子をあやしてもきゃっきゃと笑う事はないが、その可愛さを見れば誰だって構いたくなるものだ。
 オスヴァルトは滞在期間許す限り甥っ子の面倒を引き受けた。

 カトリーナとディートリヒの息子は『ジークハルト』と名付けられた。
 黒髪と翠眼はランゲ伯爵家特有の色で、顔もディートリヒそっくり。

「将来こいつも騎士になるかな」

「もう、殿方は騎士がお好きです事」

「兄上に似てきっと剣の腕が良いだろう。騎士にしないのは勿体無い」

「将来の道はこの子に選ばせますわ」

「剣の師匠に俺がなりたいな」

「それはディートリヒ様がいいですわ」

 一ヶ月も経てば義姉と義弟の会話は気安いものになっていた。
 だがその内容はディートリヒかジークハルトのことばかり。
 どちらが二人を好きか言い合うのだ。

「二人とも旦那様が大好きなんですねぇ~」

「ジークハルト様の事もですね」


 侍女長と執事は今日も二人の言い合いをにこやかに見守っていた。
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