旦那様は甘えたい
「頭がいてぇ」

「あすか…みず……」

お花見という名の宴会が恙無く終了した翌日、いつも通りに朝食を準備するため炊事場で忙しなく動き回っていた私の元に顔を出した二人は、なんというかそれはまあ酷い顔色をしていた。

「夜中まで深酒するからですよ」

「いやぁコイツと酒なんか飲むのスゲェ久々でさ。何だかんだ盛り上がっちまった」

「おれはさっさと寝たかったのに。あすかにも置いてかれたし…」

「あー、すみません。流石にちょっと疲れてて」

二人に冷えたお水を渡し、竜胆さまの言及には少しだけ困った笑みを浮かべて見せた。
竜胆さまがそれにはたと息を呑んだのが分かったけれど、私は気付かないふりをして空になったコップを受けとる。

なんと言うか、迷っていた。竜胆さまや椿さんに対する距離感も、接し方も。どんな風に振る舞うのが正解なのかが分からなくて、困る。
何となく彼らと触れ合うのも気が引けて、昨晩も遅くに離れへと戻った竜胆さまがいつも通り私を抱きしめて寝ようとしたのを、初めて拒絶するように寝返りを打つフリをした。
会話の節々にだって不自然さは滲んでいるはずで、今もどことなく寂しそうな目をした竜胆さまとか、頭を抑えながらも私を静かに観察する椿さんの視線が痛い。

だからって何時までもこんなによそよそしい態度をとるわけには、と一人私が頭を悩ませるように炊き上がったお米を混ぜていると、とん、と不意に優しい力で誰かに抱きしめられたのが分かった。

「っ!」

鼻先を掠めたのは花のように甘ったるい香り。ココ最近で私の体にも随分と馴染んだその香りの持ち主は、驚いて揺れた私の方すらも抱き込んで深く息を吐く。

「あすか」

「…りんどう、さま、んっ」

「げっ」

名前を呼ばれたから、彼を見た。その拍子に顔が近づいて、ふにっ、と徐に唇が重なる。目を見開いた私に対して、竜胆さまは何処までも熱っぽい眼差しで私をじっと見つめていた。

「ン……ちゅ、ふっ」

随分と長い間くちびるを合わせていたような錯覚に陥って、ゆっくりと竜胆さまの顔が離れてもなお、私は硬直したように動けないでいる。
どうして、と震えた言葉は果たして声になっていたのだろうか。けれど私の思いを正しく受け取った竜胆さまは、ほんの少しだけ自嘲気味に口端を持ち上げると、すぐに目を伏せて私の名前を慈しむように呟き落とす。

「ごめんね、あすか。君が何を思おうと、考えようと、俺はあすかを手放してやれない。逃がしてあげられない。だから、ごめん」

どうしようもないんだ、と竜胆さまは自分のことながら困ったように笑う。だけど椿さんだけは竜胆さまの言葉に何か思うことがあるのか、神妙な面持ちで静かに耳をそばだてていた。

「でもね、贅沢だって分かってるけど、やっぱりあすかにも俺のことを好きになって欲しいって思っちゃうんだ。俺は、卑しい妖だから」

だからごめん。そう言って再び自嘲した竜胆さまの言葉を、私はどうしてかこれ以上聞きたくなくて。苦しそうに笑う顔が見たくなくて。
ぎゅっと力いっぱいに握って、ただわけも分からぬ感情に唇を噛んだ。
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