あなたがそばにいるから
6.優太


 週明けから、遥が出社した。
 みんなに歓迎されて心配されて。
 遥は明るくしていたけど、いざ仕事を始めると、いろんなことに戸惑っているようだった。

 昼休み、小山田さんとのランチから帰ってきた遥は、結構疲れているように見えた。
「大丈夫か?」
 そう聞くと、静かに笑って頷く。
「無理すんなよ」
「うん」
 短い返事。
 しゃべらなくなるのは疲れてる証拠だ。省エネモードなんだそうだ。
 様子を窺いながら仕事を進めた。

 その後外出した俺は、定時直前に帰ってきた。
 遥は、自席で黙々と書類作成をしていた。
 雰囲気が少し殺気立ってて、目の下にうっすら隈ができている。
 黙って、買ってきたコーヒーをそっとデスクに置くと、ハッとして顔を上げた。
「おかえり」
 パッと笑顔になる。可愛い。この場に誰もいなかったら抱きしめるところだ。
「くれるの?ありがと」
 一口飲んで、息をはいた。
「はーおいしー」
 気の抜けた、柔らかい表情。
 さっきまでとは全然違う。
 きっと、いろんなことを思い出せない自分に苛立っているんだろう。加えて、久しぶりの出社で疲れてるに違いない。

 すぐに定時になった。
 相変わらず定時に帰る課長が支度を終えて、遥の横に立った。
「藤枝、それ明日でいい」
 遥が驚いて振り向く。
「え、でも」
「もう帰れ」
 業務命令のようにキッパリと告げる。
「赤木」
 俺の方を向く。その顔は『連れて帰れ』と言っていた。
 俺が頷いて帰り支度を始めると「お先に」と、課長は帰って行った。
 遥はぽかんと課長の後ろ姿を見ている。
「心配してるのよ」
 横から小山田さんがささやく。
「私も帰った方がいいと思う。顔色悪いわよ」
「僕もそう思います!」
 横から渡辺も鼻息荒く突っ込んできた。
 他のメンバーも、頷いたり手を振ったりしている。
「しっかり休んで、また明日ね」
 そう言う小山田さんも帰り支度を始める。
「え……」
 遥はぽけっとみんなを見回している。
 俺は遥の頭をぽんと叩いた。
「ほら帰るぞ」
「赤木帰れるの?さっき戻ったばっかりじゃ……」
「帰らないと、課長に怒られる。俺、怒られるの嫌だ。特に課長には」
 みんなが笑った。失笑も混じってる。
 遥もつられて、
「わかったよ」
 笑いながら、パソコンをシャットダウンした。



 家に着くと、遥はぐったりとソファに沈み込んだ。
「大丈夫か?」
 聞くと、黙って首を縦に振る。
 相当だな、これは。
「シャワーしてこいよ。夕飯は用意しとくから。弁当だけど」
「うん……」
 遥がのろのろと動き出したのを見て、俺は弁当が入った袋をキッチンに置いた。
 お椀を出して、インスタントの味噌汁を開けていく。
 二つ目の袋を開けた時、後ろから手が伸びてきた。左右から。
 ゆっくりと俺の前で交差した手は、力は弱いけど、しっかりと俺に巻き付く。
「……今日、ありがとね」
 俺の背中にぴったりとくっついて、もごもごと声が聞こえた。
 お礼を言われるようなことはしてないと思うけど。
「コーヒー……元気出た」
「おう」
 夕方のあれか。改まって言われるようなことじゃないけどな。
「今日、全然うまくいかなくて……いろいろ思い出せないし……体も動かないし……。でも、あのコーヒー飲んだら、なんかホッとした」
「……そっか」
 空いている方の手を、遥の手に重ねる。
 ぽわんとあったかくて、俺もホッとした。
「優太がね……いてくれて、良かったよ」
 やばい、そんなこと言われたら押し倒してしまいそうになる。
 俺は邪な衝動をごまかすために、重ねた手をポンポンと叩いた。
「ほら、サッパリしてこいよ」
 返事をするように、遥の手に一瞬きゅっと力が入って、離れていった。

 ……駄目だろ、あれは。可愛すぎる。
 顔が熱くなって、ニヤけてしまう。
「…………へへっ……」
 思わず声が出てしまって、口を押さえた。
 振り返って確認する。
 シャワーの音が聞こえてきた。
 良かった、遥には聞かれてない。
 今きっと俺の顔はだらしなく緩んでいるに違いない。
 ……間違っても鏡は見ないようにしよう。



「ねえ、優太」
 食べ終わって、片付けた後。
 食後のお茶を飲み終わったら帰ろうと思って、ソファでくつろいでいた。
 遥の声は、真面目だった。
 俺もなんとなく居住いを正す。
 何を言われるのか、心当たりはない。
 少し待っても、遥は何も言わない。うつむいて、黙っている。
 なんだ、怖いな。何を言われるんだろう。
「……なに?」
 恐る恐る聞く。
「あの……あのね」
 そう言って、また黙ってしまった。
 早く聞きたいような、聞きたくないような。
 待っていると、少し息を吸って、キッと顔を上げた。

「一緒に住みたい」
 
 怒っているようにも見える顔は、真っ赤っかだ。

 頭の中が真っ白になった。
 まさかそう言われるとは思わなかった。
「え……」
「今回のことで、わかったの。優太が私を大事に思ってくれてて、私も、優太が大事って。改めて付き合おうって言ってくれて、嬉しかった。私がご飯食べないからって、一緒に食べてくれるし、会社休んで付き添ってくれたり……ああ、何が言いたいんだかわかんなくなってきちゃった。あのね、この前優太が膝枕してくれて、気持ち良かったの。安心できたの。今日も、優太が外出から帰ってきて、顔見たら安心した。記憶がなくなって、不安だらけだったけど、優太がいてくれたから大丈夫だなって思えた。だから、その……」
 話してる内にうつむいていった真っ赤な顔を、もう一度パッと上げて、遥は俺をまっすぐに見た。
「優太が帰ってくる家に、私も帰りたい。私も優太に安心してもらえるように頑張るから。だから、ひゃっ!」
 抱き寄せたら、遥は変な声を出した。それも愛おしい。
「……ほんっと、斜め上行くよな……」
「え?」
 驚くけど、楽しい。そんなの、遥だけだ。
「頑張んなくていい」
「え……」
「そのままで充分」
「あの、え……」
「俺も」
 少し離して顔を見る。まだ少し赤い、ぽかんとしている表情。
「俺も、遥が帰る家に帰りたい」
 そう言うと、遥が笑った。極上の笑顔だ。

 ああ、やっぱり、この笑顔より大切なものなんてない。

 キスをして、抱き寄せた。
 風呂上がりだから、いい匂いがする。
「あとね、お願いがある」
「なに?」
「優太の実家。行きたい」
「……そっか。じゃあ行くか」
「うん」
 嬉しそうな声。
 俺も嬉しい。遥が、将来のことも含めて考えてくれているんだと思った。
「いつにしよっか」
「遠いからなあ、まとまった休みがないと。連休とか」
「優太忙しいよね。私のせいで休んでたし、早く帰ってきてるでしょ?」
「それは気にしなくていい。かえって工夫して効率良くなってるし。課長にも褒められたくらいだからな」
「……そうなの?」
 遥が心配そうに覗き込むから、俺は笑った。
「別にサボってないし、無理もしてない」
 遥の頭をぽんとなでた。
「でも、まとまった休みが取れるほどは時間ないんだよなあ」
「そっか……」
 しゅんとする遥を抱き寄せた。
「遥も仕事たまってるだろうし」
「うん……確かに」
 渡辺も頑張ってたけど、1人で2人分の仕事はさすがにできない。
「ちょっと様子見だな。後で相談しよう」
「うん……ごめんね。ありがとう」
 すり、と遥が俺の胸に頬を寄せる。
 おー……なんか体のいろんなところが騒ぎ始めたな。このままじゃまずい。
「じゃあ俺そろそろ……」
 帰る、と言いかけたら、すーっと遥の息が聞こえて、ぐんと重みが増した。
 嘘だろ、さっきまでしゃべってたのに。
「おい、ここで寝るなよ」
「んー……」
 もう目が開いていない。子どもか。
「こら、寝るならちゃんと寝ろ」
 んーとか、むーとかうなる遥をベッドに連れて行く。
 寝かせると、すぐに気持ち良さそうに寝息を立て始めた。
 布団をかけたら、変な声を出した。
「……んふ……へへ……」
 ゆるゆるで、気持ち良さそうな、安心しきってる寝顔。

 これを、毎日見られるのか……。

「……へへっ……」
 俺も変な声が漏れた。
 遥には聞かれないように気をつけよう。

 キスをして、頭を撫でる。

 そのまま横に入りたくなる気持ちを抑え込んで、俺は遥の部屋を後にした。



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