あなたに嫌われたいんです

それからのこと

理人さん……ありがとうございました」

 帰りの車内。もう外は暗くなっていた。

 理人さんの穏やかな運転の中、私はただぼうっとしていた。まだ現実味がない、これで本当に上手く行ったのかどうか分からなかった。

 父が退任することになり、私が本当に会社を継いでいけるのだろうか。まだまだ働き出して間もない、経験値の低い私。そのうえ、父のそばで働いていたわけでもない。

 やっぱり買収される方がいいのではないのか、という気持ちも正直ある。

 不安が渦巻いていると、隣の彼はそれを感じ取ったようだった。口角を上げて言う。

「大丈夫ですよ。社員みんなは、あなたの頑張りについて行くと言ってくれたではないですか」

「それは、理人さんや八神がついてるって言ったから」

「ほら、分かってるじゃないですか。あなたには僕がいます。父もあなたの味方なんですよ? 八神が付いてるなんて、自分で言うのもなんですが、こんなに力強い味方もそうはいません。使えるものは使いましょう」

 彼のそんな言葉を聞いて、少し笑った。確かに、こんなに力強い味方なんていないよね。

 私はぐっと前を見据えると、ゆっくり呼吸した。

 でも、甘えてばかりではいけない。八神に頼ってばかりではいけない。おじいちゃんとお母さんが残してくれたものを、私の手で守り続けたい。

「理人さん、私は本当に右も左も分からない状態です、よろしくお願いします」

「はい。とはいえ、僕だって経営は初めてのことですからね……。二人で頑張りましょう。
 これから忙しくなりますよ。やることは山のようにある。覚悟しておいてください」

「それは受けて立ちます! 忙しいくらい……今までの生活を考えたら幸せなことですから!」

 明るい声で本音を言った。すると理人さんはハンドルを握りながら笑う。

「さすがです。僕の目に間違いはなかったな。
 あの日、居酒屋で凛として男を𠮟りつけるあなたの姿をみつけられてよかった」

「あの、すみません、私にとって黒歴史なんであまり言わないでくれますか?」

「はは、黒歴史!」

 大きな笑い声が響いた。つられて私も笑いながら、ふと思う。

 黒歴史だったよ、本当に。でも今思うと、あの時の自分をほめ倒したいな。あれのおかげで理人さんに出会えて、今こうしていられるなら。

 二人を乗せた車はマンションまで戻ってきていた。すっかり疲れ切りくたくたになった体をエレベーターに乗せ、部屋まで上がっていく。理人さんが部屋の鍵を開けて中に入る。そういえば当然のように帰ってきてしまったことに気づき、なんだか恥ずかしくなった。

 おずおずと玄関に足を踏み入れる。靴を脱いだ理人さんが、不思議そうに振り返った。
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