僕の素顔を君に捧ぐ

「がんもの煮つけ、おすそわけ」

「わぁ、美味しそう!」

優花はふっくらと煮えたがんもに顔を近づけ、優しいお出汁と甘辛い香りを思い切り吸い込んだ。

「さっちゃん、大好物でしょう」

春江さんは嬉しそうにほほ笑んだ。
最近、優花を「さっちゃん」と呼ぶことが多くなった。

たまたま春江さんの生活支援に来るケアマネージャーさんと話したときに、「さっちゃん」とは一人娘の幸子さんだときいたことがある。

その幸子さんは春江さんよりも先に亡くなられてしまったので、春江さんには現在親族がいないそうだ。

以来優花は、「さっちゃん」と呼ばれた時は、春江さんを「お母さん」と呼び返すことにしている。

「うん。ちょうどこういうの食べたかったの。ありがとうお母さん」

「仕事が忙しいようだけど、体には気を付けるんだよ」

優花は、外側が焦げ付いて黒くなった小鍋を受け取り、玄関横の小さなキッチンに置くと、背中の曲がった春江さんをぎゅっと抱きしめた。

小さな体からは、温かいお醤油の香りがした。ひゅん、ひゅん、と力いっぱい呼吸するか細い音が、なんとも愛おしい。

「お母さん、煮物もいいけど、火のもとには気を付けてね」

「娘のあんたに注意されちゃおしまいだ」

春江さんは笑って優花の背中をぽんぽんと叩くと、背を向けてゆっくり隣のドアに消えていった。

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