私的な旋律
そしてその心配が見事に的中したのが、瑛子が仕事を始めて1か月が過ぎた頃だった。迎えに行くよと言っていたものの、博樹は当直や会議、研修などの用事もあって、結局一度も迎えに行けないままだったことは、申し訳なく思っていた。
そんな矢先、弟の和樹から連絡をもらったのだ。

「どうしたんですか?」

医局で険しい顔をしてスマートフォンを眺める博樹が気になったのか、後輩が話しかけてきた。

「いや、たいしたことじゃないよ。弟から飲みに誘われたものだから」
「へえ、ご兄弟で飲みに行くなんていいですね」

笑顔で去っていく後輩に、博樹はそれ以上を言わなかった。その兄弟が果たして、‘いい’のだろうか。

─仕事なんてさっさと片付けて飲みに行ったほうがいいよ。今日は特にね。

たかがメッセージ、文字なのに、それはとても和樹の雰囲気が出ていた。にんまりと口角を上げて笑顔を見せる。その笑顔はとても嬉しそうなのに、博樹の目には嘘みたいな笑顔、言ってしまえば何かを裏があるようにも見える笑顔なのだった。

同じ医者で、まだ研修医で忙しいくせに、どうして和樹はいつも余裕があるのだろうと、兄弟ながらに思うほど、彼は充実した日々を送っているように見える。

それにしても飲みに誘ってくるなんて、どういうつもりだろう。その言葉は何か深い意味を持っているような気がして、博樹は思わず顔をしかめる。

和樹にとって瑛子は義理の姉となったが、実際のところ同い年の二人はそれなりに親しくやっている。一人っ子で兄弟が欲しかったという瑛子とは別に、和樹は瑛子をもっと特別に大事に思っていたようで、和樹は瑛子をよく気にしている。弟の気持ちがよくわかるほどに、瑛子はつい心配になるし、守りたい存在だ。

しかし、そうとなると、ますます何かがあるのかと疑ってしまいそうなほど、和樹の誘いが妙に思えた。
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