燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 「……お姉ちゃ」

 堪えていた想いが、一気に溢れてしまう。
 シャン、と右京がお辞儀の合図を鳴らして
頭を下げれば、ぽたぽた、と温かな滴が箏の
甲を濡らしてしまった。

 早く頭を上げてもう一度姉を見たい。
 そう思うのに鳴りやまぬ拍手を遮るように、
緞帳が下りてくる。溢れ出る涙で箏を濡らし
ながら古都里が顔を上げた時にはもう、視界
のほとんどを緞帳の白が覆っていて、再び姉
の笑みを見ることは叶わなかった。






 大盛況のうちに終演を迎えると、古都里は
色鮮やかな花束を手に母の姿を探した。

 真っ白な紙に包まれた花々は箏曲界で活躍
する同志やお弟子さん達の家族から贈られた
もので、それを皆で分けて持ち帰るのが天狐
の森の常らしい。古都里はというと、右京た
ちが持ち帰る花だけで家が溢れてしまうので、
自分の分は母に持ち帰ってもらおうとロビー
に足を向けたのだった。

 ほとんどの客が帰路につき、元の静けさを
取り戻しかけたフロアの片隅に母を見つける。

 大理石の壁に背を預け、茶色のロビーチェ
アに腰かけている母を見つけると、古都里は
晴れやかな笑みを浮かべ駆け寄った。

 「お母さん!」

 その声に母は立ち上がり古都里を向く。
 古都里はさまざまな想いに心の中を散らか
しながらも母の前に立つと、伝えたい思いを
口にした。

 「お母さん、来てくれてありがとう。本当
に嬉しかっ……」

 古都里が最後まで言い終わらないうちに、
母の両腕が肩を抱き寄せる。そうして何年か
ぶりに感じた母の温もりと共に伝わってきた
のは微かな肩の震えと、洟を啜る音。

 泣いているのだと、気付いた古都里は不安
げに母を呼ぶ。

 「……お、お母さん?」

 はぁ、と肩の向こうで息を吐く気配がして、
途切れ途切れの母の声が聞こえてきた。

 「……ありがとう、古都里。きらっきら、
輝いてるところを見せてくれて……本当に、
本当に、ありがとう」

 背を擦りながら絞り出すように言うと、母
はゆっくりと体を離す。目の前に立つ母の頬
には涙が光って見えて、けれど、頬を濡らす
それは決して悲しいものではなかった。

 「『蒼穹のひばり』。凄く、素敵な曲だった。
大空をひばりが羽搏いていて、それがあの子
の姿と重なって……。本当に素晴らしかった」

 「……お母さんっ」

 指先で涙を拭いながら、何度も小さく頷き
ながら、母が笑みを零す。

 自分と同じように母もこの曲に姉の面影を
見つけてくれた。そうして喜んでくれた。

 そのことが嬉しくて、嬉しくて、止まって
いたはずの涙が溢れ出してしまう。

 すん、と洟を啜れば、母は困ったように笑
みを深め、濡れた指先で古都里の涙を拭って
くれる。胸がいっぱいで言葉にならない娘に、
母は大きくひとつ息を吐いて頷いた。
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