燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 「そうなんだ。知らなかった。だって先生、
一度も奥さんがいるなんて言わなかったし、
ここに来てからもそんな様子はなかったから」

 あはは、と笑いながら努めて明るく言うと、
狐月は複雑な表情を浮かべる。

 「実は、奥さまはずいぶん前に亡くなられ
ているんです。わたくしがここへ来たときに
はすでに亡くなっていたので、わたくしも絵
姿を見たことしかないのですが。このお部屋
には、奥さまが生前使われていた思い出の品
がたくさん仕舞ってあるんです。右京さまは
それをとてもとても大切にしているので、他
の者はこの部屋には立ち入らないというのが
この家の不文律でして」


――とてもとても大切にしている。


 どうしてか、その言葉が胸に重かった。
 とても大切にしているということは、いま
でも彼は妻を愛しているということだ。

 それは自分には関係ないことのはずのなの
に、なぜ、こんなに胸が重くなるのだろう。

 古都里は訳がわからないまま、狐月の顔を
覗き、頷いた。

 「わかった。もうここへは絶対近づかない。
先生の大切な思い出に土足で踏み入るような
ことは、しちゃダメだもんね」

 笑って言うと、狐月はじっと古都里の顔を
見つめ、そしてなぜか目を伏せる。

 「この部屋に入ってはいけない、と申しま
したのは他にも理由があるんです。万が一に
でも、古都里さんに危険が及んではいけない、
という懸念もあって……」

 「危険って、この部屋に何か恐いものでも
置いてあるの?もしかして呪いのビデオとか」

 狐月の言葉に、いつか見たオカルト映画を
思い出し、古都里は眉を顰める。テレビ画面
から髪を振り乱した女性が這い出てくるあの
シーンを思い出せば、鳥肌が立った。古都里
が勝手な妄想すると、狐月は、ぷっ、と吹き
出して言った。

 「そんなものはありませんよ。何かは言え
ませんが、『触らぬ神に祟りなし』と云う言
葉があるように、近づかなければ何も危ない
ことはありません。さっ、これはベランダの
布団を仕舞って、そこに干しましょう」

 そう言うと、狐月は、ひょい、と頭に洗濯
カゴを載せて歩き始めた。古都里はその後を
追い掛けようとして、ちら、と開かずの間を
振り返る。右京の愛した妻とは、どんな人な
のだろう?

 その姿を想像した古都里の胸は、ちくりと
痛みを訴えていた。

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