燃ゆる想いを 箏の調べに ~あやかし狐の恋の手ほどき~
 「ますます気に入った。儂は気丈夫な女ご
が好みなのじゃ。美しいだけの娘なら都に履
いて捨てるほどおるが、それだけで思ひ初む
ることはない。箏の伎倆(ぎりょう)を、毎夜儂に授けよ。
嫌じゃと申しても、この手は簡単に離さぬぞ」

 顔を隠していた手を強く握ると、娘の顔は
さらに上気し、艶めかしく小さな唇が震える。
 その時、渡殿(わたりどの)の方から声が聴こえ、二人は
はたと顔を見合わせた。

 「姫様、姫様。何ごとで御座いますか?」

 声と共に衣擦れの音が近づいてくる。いま
離さないと言ったばかりのその手を、右京は
名残り惜しそうに離した。

 「どうやら、女房に気付かれてしまったよ
うじゃな。仕方ない。今日のところは退散す
るとしよう」

 そう言ったかと思うと、右京は立ち上がり
すたすたと母屋を出てゆこうとする。そして
御簾に手を掛けると、頬を染めたまま自分を
見つめる娘に言った。

 「くれぐれも、物の怪が現れたことは秘密
じゃぞ」

 唇に人差し指をあて、にやりとする。娘は
弾かれたようにこくりと頷いた。右京は満足
そうに頷くと、狩衣の袂を翻し闇夜に消えた。





――次の晩も、またその次の晩も。


 右京は夜毎、娘の母屋に忍び込んだ。
 そうして、娘に倣い箏の絃を弾く。
 右京のために用意したという新しい箏爪は
指にぴったりと嵌まり、拙いながらも覚えた
曲が部屋に響き渡る。


――ツンテントンテン、ツンテントンテン♪


 右京の箏爪が滑るように弦の上を撫でる。
 その指を頷きながら嬉しそうに見つめる娘
は、リズムに合わせ、手で膝を叩いていた。

 右京は、ちら、と娘の顔を覗き見ると口元
を綻ばせる。自分が奏でる箏の音で、娘が微
笑んでくれるのが嬉しくて堪らない。こんな
気持ちになるのは、初めてかも知れない。

 そう思った瞬間、弾く糸を間違えた右京の
指が、ぴたりと弦の上で止まった。

 「あっ」

 同時に娘の手拍子も止まり、二人は顔を見
合わせる。そして、どちらともなく笑みを零
すと、娘は右京の右手に手を伸ばした。

 「続けて弾いていたので、手が疲れてしま
ったのですね。こうして解しておくと、指も
柔らかになって動き易くなりますよ」

 白く細い指先が、やさしく右京の手を揉み
解す。その横顔からは、右京の指を口に咥え
た時と同じように、人とあやかしの垣根など
微塵も感じられない。右京は自分の手を熱心
に揉み解す娘をじっと見つめると、その手を
掴み、そうして引き寄せた。

 「!!!」

 バランスを崩した娘が、右京の胸に倒れ込
んでくる。右京は緊張で強張った肩を、それ
でも逃がすまいと強く抱き締めた。

 「……も、物の怪さま?」

 胸に顔を埋めたままで、娘は不安そうに声
を発する。不意に娘の耳に、いつもより低く
掠れた右京の声が、届く。
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