二次元の外には、予想外すぎる甘々懐妊が待っていました
 リビングの目につくところに置かれているのは、香澄の父親が生前使っていた仕事用机。
 レースのクロスと、先日買ったばかりのピンク色のチューリップを刺した花瓶で飾られたそこの上に、香澄の父親と祖母の遺骨は置かれている。
 本当ならば、もうすでにお墓か納骨堂に納めておくべきものであると、香澄は知っていた。父親が亡くなった時も祖母が父のための墓の見学に連れていってくれた。
 でも、どれもが高い値段だった。
 香澄の父親が遺した遺産は、いつの間にか母親によって使い込まれていたこともあり、ほとんど残らなかった。かろうじて、大学に通うだけの学費だけは、香澄名義の通帳に残されていたので、ことなきを得たが。
 さらに……父親の遺族年金は、母親の再婚によって支給されなくなった。まだ書類上、香澄は母親の扶養に入ってたから、母親の結婚相手に扶養されていると文字面からは推測されてしまったのだろう。実際は、別々に暮らし、香澄は祖母の年金を頼りに暮らすしかなかったのだが。
 そういう、お金の事情も、もちろんあった。
 けれどそれでも、祖母は自分の食費を切り崩してでも、大切な息子のために良い墓を立ててやりたいと考えた。
 しかし、香澄は止めた。
 
「お父さんが、この家からいなくなっちゃうのは嫌だ」

 という言葉で。
 父親が実際に死に、遺骨として家に戻ってくるまで、香澄は遺骨とは怖いものだと思っていた。理由もなく。
 しかし、実際に家に連れて帰ることができた日、香澄は思ってしまった。

(形は変わっただけで、こうして側にいるんだ)

 父親の肉体がいない日常に慣れたのか、父親の遺骨との日常に慣れたのか、そのどちらなのか、香澄には検討がつかない。むしろ、どちらでもいいこと。
 大事なのは、家族の側に自分が存在できている、ということなのだから。
 だから、香澄は遺骨を手放したくなかった。
 香澄の心に気づいていた祖母からも死ぬ直前に

「香澄ちゃんの好きにしていいわよ」

 と、言われた。
 だから香澄は、好きにすることにしたのだ。
 最後まで、3人でこうして自分が死ぬまで暮らして、自分が死んだ時に3人で一緒に新しいお家に入ろうと。
 そのための貯金も、シナリオライターの仕事をしながら既にしていた。もう、3人一緒に入れるお墓分の貯金はできていた。
 春になったら桜の花が咲き、秋になれば紅葉が色づく様子が見える、父親も祖母も好きそうな自然豊かな場所。
 香澄は、仏壇にそのお墓のパンフレットを置きながら、毎日を生きていた。
 家族は3人だけ。
 それ以外は作らない。
 香澄がそう考えるのは至極当然だった。
 香澄が愛した人……父親も祖母も、そして母親も香澄の前から次々と消えていった。愛し合った記憶だけを遺して。
 その寂しさと苦しさは、香澄を幾晩も苦しめ続けた。
 そんな香澄の心を救ったのが、二次元の作品達だった。
 理想の自分になれる楽しさ。
 理想の家族を思い描ける嬉しさ。
 もう現実では手にしてはいけない恋人とのひと時を、香澄は二次元の世界で楽しんだ。
 そして香澄は改めて思った。
 二次元は、勝手にどこかへ行ったりはしない。
 自分さえ求めれば、いつでも側に来てくれる。
 欲しい言葉をくれる。
 そのことに気づいた香澄は、今度は自分で書き留めることにした。
 父親は今何を話しているんだろう。
 祖母はどんな風に微笑んでいるだろう。
 それをノートに書き留めていく内に、不思議と、ちゃんと彼らが存在するようになった。
 嬉しかった。
 そしてノートは、勝手にどこかへ行かない。
 その時の彼らに会いたい時、すぐに会いに行ける。
 そんな二次元の優しさに、香澄は溺れた結果、今の仕事に繋がったのだ。
 一方で、どんどん三次元との交流は避けるようになった。
 必要不可欠なものを除いて。

「三次元は、いつか目の前から消えてしまう」

 これが、香澄の変えられない価値観となった。
 だからこそ、香澄は思ってもいた。
 自分が、誰かに悲しい思いをさせる三次元の存在にもなりたくないと。
 特に、子供がいたとしたら。
 子供には必ずそんな思いをさせてしまう。
 親は先に死んでしまうものだから。
 まして、自分の遺伝子を継いだ子供だ。
 あの、何度泣いても誰も助けに来てくれない苦しさに、耐えられるはずはないのだ。
 そんな風に考えていたからこそ、香澄はこの妊娠にただ申し訳ないと思った。
 そういう行為を、してしまったのは紛れもなく自分の責任だ。
 涼は、あくまで香澄の望みを叶えてくれただけ。
 自分の深い闇に、関わらせてはいけない。
 そう考えたからこそ、香澄はタクシーの中で考えていたのだ。
 今のうちに堕ろしてしまうことを。
 でも、何か形に残るものをくれるのであれば持って帰る。
 父親と祖母の近くに置いて可愛がってもらう。
 そして、自分が死ぬ時に4人まとめて同じ家に入れてもらう。
 それならば、香澄の責任でちゃんと全員一緒にいることができる……と。
 けれど、香澄はそれが正しいことだと思っていても、気持ちの踏ん切りはすぐにはできそうにはなく、それがまた香澄の自己嫌悪感を深めた。

「あ、そうだ……」

 リュウだったらどうするのだろう。
 涼をモデルにした、けれどより自分の理想を詰め込んだ男性だ。
 彼だったら、どんな言葉をかけてくれるのだろうかと、ふと気になった香澄は、バッグを漁った。
 そこでようやく、異変に気づいた。

(あれ……?あれ……!?ない、ノートが!?)

 香澄は焦った。
 確かに今日出かける時には持っていたはずなのに。

(どこに落とした!?)

 香澄は必死で、今日の出来事を思い返した。
 そして、たった1箇所だけ、もしかすると……と場所の心当たりを思いついてしまった時だった。
 
 ピンポーン。

 滅多にならないチャイムが鳴り響いたのは。
 
(だ、誰……?)

 基本、香澄は居留守を使う。
 でも、誰が来たのかはちゃんと確認する。
 ビビリだから。
 恐る恐る、画面だけで来客を確認した。
 その瞬間、呼吸が止まるかと、香澄は本気で思った。

(ど、どうして……!?)

 香澄が驚いたのは2つ。
 まず1つ目は、来客者は今自分が探していた「リュウ」を持っていること。
 そしてもう1つは、その人物こそが、いるはずのない芹沢涼であること。
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