先生の隣にいたかった


まだ誰も来ていない教室で、
一人、自分の席に座っていた。


何日振りの学校だろうか。


教室も自分の席も、そこから見渡せる中庭も。全部当たり前だと思っていたけど、
全然当たり前なんかじゃなかった。



「…ただいま」





「おかえり」


「!?」



振り返ると、そこには先生が立っていた。
病院で見ていた先生とは、少し違って見えた。同じ先生で、同じ格好なのに、
いる場所が違うだけで、
こんなにも違う人に見えるのだろうか。




病院で出会った時の先生は、
本当の先生を見ていた気がした。





…違う、そうじゃない。


先生が見せてくれたんだと思う。






本当の先生を。





私が、無理しないでと言ったからだろうか。







「…調子どう?」


「お陰様で、元気になれました」





「それはよかった」




そう言いながら、また私の隣に座る。
すると先生は、なぜか目を瞑った。



「…先生?」





「…やっと…




…帰ってきたんだね」



先生がそう言った瞬間、
先生の頬に涙が伝った。



「…泣かないでください」



先生が泣いたら、私も泣いてしまうから。



「…ごめん」


先生はそう言って、笑顔で謝った。



「…無理して笑うのもダメです」

「え…?」



「先生はずるいですよ。
…私には無理するなって言っておきながら、
先生が一番無理しているじゃないですか」



私は、どうして怒っているんだろう。
そんなの分からない。
でも、先生のおかげで楽になれた。
だから、先生にも無理しないで欲しかった。






私を頼らなくても良い。






先生の大切な人に、頼ってもいい。








ただ、もう一人で苦しまないで欲しかった。





「…いおといると元気出る」





笑いながら言う先生は、本当に笑っていた。
作り笑顔なんかじゃない。




「…いおは変わったね」






私は変わったんじゃない。





変われたんだよ。



「とても顔色が良くなったね」



「…全部、





先生のおかげです」



あの日、先生が言ってくれたから。





受け止めてくれたから。


「…全部?」


「はい、全部です」


「なにそれ」


そうやって、先生と笑い合えるのが、
一番幸せだった。


何も面白い話なんてしていないのに、
ちょっとしたことで笑う。





ずっと、こんな日が続けばいいのに…
なんて、叶うはずもないことを
この時の私は、ずっと願っていた。



「…じゃあ、そろそろ職員室戻るね」


「はい」


もうすぐ、他の生徒たちが登校してくる時間。先生は教室を出て行った。


それから数分して、
どんどん生徒が教室に入ってきた。




「いお!おはよう!」


「おはよう、日向。朝から元気だね」


「そりゃ元気だよ。
だって、いおがいない学校生活、
結構きつかったんだよ?」





「…寂しかったの?」



日向が可愛すぎるから、少し意地悪してみた。




「!?…意地悪」


「ごめんごめん」




「…でもよかった。
本当に元気になったんだね」



そう言う日向は、
本当に心配してくれていたんだと思った。




「…ごめんね、心配かけて」


「…本当だよ。
…私は、いおが大好きだから、
だから…もう無理はしないでね」




私は笑顔で頷いた。
先生とも約束したから、もう大丈夫。




「…ありがとう」




日向も私に色々教えてくれた。





大事な人を大切にするのはわかるけど、
周りにも、私のこと真剣に
想ってくれている人がいる。




それを教えてくれたのは日向だった。



「…榊原君とはあれから話したの?」



「…話せてない。



私が病院で、
目を覚ました時に話してから一度も」




「そっか。


…いおのペースでもいいからさ、
きちんと話したほうがいいよ」



「うん、ありがとう」




先生は、翔太と何があったのか、
何も話してくれなかった。



でもそれは、
翔太のことを思っているからだと思う。






先生は本当に優しいから。






私が泣いて、翔太に聞かれた時も、
先生は私を泣かせたわけじゃないのに、
俺が泣かせたと言った。





先生が今何に苦しんでいるのか、もしかしたら、翔太が知っているかもしれない。

男同士の問題とは言え、私が関わっている以上、私も知っておきたい。




だから、私は翔太に聞きたい。





あの日、何を話したのか。




「…おはよう」



「翔太…おはよう」



今までと変わりなく、挨拶をしてくれた翔太。でも、挨拶をするだけで、
それ以上話すことはなかった。




「みなさん、おはようございます。
今日から放課後1週間、部活動の見学、体験ができるので、気になる部活がある人は、ぜひ見に行ってください」




部活…。




私は中学生の時に、バレーボールをしていた。


でも、チーム内でいじめられている人がいて、私は見て見ぬ振りなんかできなかった。


そしたら、今度は私が
いじめのターゲットになっていた。






誰にも言えず、苦しかった。





辞めたかった。





…逃げたかった。





そんな時、しゅう君は言ったんだ。


(逃げてもいい、辞めてもいい。
ただ、後悔だけはしないようにね。
俺は、いおの味方だから)



いじめられていることは、言えなかったけど、背中を押された気がした。


逃げることが、悪いことじゃない。
だから、私は部活を辞めた。



ただ、しゅう君が言った、
後悔だけはしないでと言う約束は、
守れなかった。






私は、ずっと選手を諦めたことを
後悔をしていた。




「いお!部活なにするの?」



「…まだ、決まってないかな。日向は?」


「私は、吹奏楽部一択!
中学の時もそうだったからさ。

だから、私は決まってるから、
良かったら一緒に回ろうか?」



「いや、私入るかも決まってないし。
それに日向、決まってるんだったら、
体験してきなよ」



少し、考える時間が欲しかった。





もう一度、バレーボールをするのか。




それとも、また逃げるのか。



正直、辞めた後、今まで一緒にコートに入っていた友達が、楽しそうに部活をしているのを見るのが辛かった。


本当は、みんなと一緒にやりたかった。



試合で一緒に喜んで、励まし合って、
戦いたかった。




でも、私は逃げた。




私は、楽な方を選んだ。



この時から、私は周りに気を使うようになって、遠慮して、我慢するようになった。




自分の気持ちを素直に言えなくなったんだ。



でも、そんな自分を変えてくれたのは、
先生だった。




「…見に行くだけなら、大丈夫だよね…」





不安に包まれたような声は、
周りの生徒たちに掻き消された。






私は、もう逃げたくない。






だから、たとえバレーボールをしないという選択をしたとしても、しゅう君が言った、後悔だけはしないでという約束を守りたいと思った。




< 45 / 97 >

この作品をシェア

pagetop