雨だれ

雨だれ

 


 休日の午後。ノクターンをBGMにしながら、モーパッサンを読み返していた。

 冷めた紅茶を口に含むと、レモンの酸味を強くしていた。

 間もなく、微かな雨音が集中力を途切れさせた。

 窓を見ると、ポツポツと雨の滴がついていた。

 気紛れな風が窓に運んでいたのだ。

 ソファーから腰を上げると、窓を開けた。

 ベランダの隅に置いた、ピンクと青紫のサイネリアの鉢が、滴をつけた葉先を震わせていた。

 空を見上げると、雲間に陽射しが見えた。

(天気雨か……)

 レースのカーテンを引くと、また本を開いた。

 ふと、雨の雫の想い出が蘇った。

 そして、窓の雨だれを眺めながら、忘却の記憶を手繰り寄せた。




「――あなたが愛したのは、私なんかじゃない。私に似たこの人よ」

「…………」

「この人と顔が似てるからって、性格まで似てると思ったの? ……この人の事を思いながら私を抱いてたの? 冗談じゃないわよっ」

「……そんな事ないさ。君自身を愛してた。それは嘘じゃない」

「じゃ、これは何? 押入れの隅に隠してた、この女の写真は?」

「……別れても想い出は残るだろ? 君と出会う前の話じゃないか。別れたからと言って想い出まで棄てられないさ――」

「言い訳よ。私と付き合った時点で全て処分すべきよ」

「そんな簡単に処分できるもんじゃないだろ? ……愛してたんだから――」

「じゃ、なんで別れたのよ、愛してたんなら」

「……別れは、望まなくても訪れるだろ?」

「何、フラれたの?」

「…………死んだ」

「えっ? …………」

「……病気で」

「…………」




 ――私は小雨に濡れながら帰った。
 髪の雫が頬を伝っていた。涙と一緒に……。



 そんな彼と別れた。そんないい男と別れた。一方的に別れの言葉を告げた。

「――私、彼女みたいに、あなたに愛されそうにないから。あなたは私なんかに勿体ないから。……さよなら」

 受話器の向こうから、私の名前を叫ぶ彼の声がしていた。



 ――雨だれは、まだ窓ガラスを伝っていた。涙のように……
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