禁断×契約×偽装×策略
「不貞……」
「そうだ。法律では、妻の産んだ子は自動的に夫の戸籍に入る。生物的関係は問われない。私と貴哉は血のつながりのない戸籍上の親子ということだ」
「――――」

「現在、雪乃は私の戸籍に入っていない。だから他人ということになる。綾子が亡くなった時、すぐに認知して私の戸籍に入れようとしたんだが、京香よりも貴哉のほうが反対した。戸籍に入れたらややこしくなる。もう成人しているのだから、独立した戸籍をつくればいい、とな。私が知らぬ存ぜぬと通せば、将来、結婚できる可能性を残すと」

 結婚と言われ、雪乃は言葉を失った。

(貴哉さん、本気だというのは、このことだったの? 結婚?)

 驚愕のままに貴哉を見るが、彼の精悍な顔に感情の色はなかった。

「実際、認められるかどうかは、わからない。まあ、現状のまま知らぬ顔で書類だけ出せば通ると思うんだが、宇條グループの総帥の息子の結婚となると、いろいろな者の耳に入る。そうすればおのずと暴かれるだろう。事が公になった場合、区役所が受理しないかもしれない。その場合、裁判所の判断、ということなるだろうな」

「でも」

「そう、でも、だ。そうなれば、私と京香が互いに不倫をし、それぞれに子をもうけていたことを公に晒すことになる。宇條の信頼は失墜し、宇條グループは壊滅的なダメージを受けるだろう。私にとって貴哉は息子だ。戸籍、血縁関係なく、大事な息子だ。だから宇條を継ぐことにためらいはない。ただ、そうなれば、宇條の血は途絶え、佐上家のものとなるだろう。貴哉はそれが我慢ならんと言う。血を受け継ぐ雪乃がなるべきと」

「当然だよ。父さんの娘なんだから」
「であれば、すべてを白昼に晒さねばならない。お前が私の子でない事、雪乃の出自。お前が雪乃と結婚しないと言うならそれでもいいが」
「いやだ。俺は雪乃と結婚する。絶対に!」

 強い口調で言う貴哉に対し、雪乃はなにも返せなかった。
 実康は困ったようにかぶりを振っている。

「企業は大きくなればなるほど、同族経営から脱却すべきなんだ。貴哉自身が優れているならまったく問題ない。むしろ、右も左もわからない雪乃がトップになるほうが、従業員は困るだろう」
「だからすべてを公にして、俺が雪乃の婿になったらいいんじゃないか」
「それが法律上、承認されるかどうかわからない。飯塚も裁判所がどう判断するかわからないと言っていただろう」

 貴哉が悔しそうに奥歯を噛みしめた。

「あの……奥様は、どう思っていらっしゃるの?」
「私と貴哉がこの事実を知っていることを、京香は気づいていない。隠し通せていると思っている」

 であるなら、貴哉が雪乃を大事にしているのは、妹だから、だと考えているのだろう。

(あの時、俺の女にする、という言葉はどう受け取ったんだろう。貴哉さんからの、知っている、というメッセージと受け取ったのか、あるいは純粋に妹に手を出すなと解釈したのか。いずれにしても、奥様にとって、私が宇條家を継ぐとなったら、追い出されるか、権力行使ができなくなるか、ということ……)

 政略結婚であるなら、京香はその役を果たせなくなるどころか、根底からぶち壊すことになる。

「貴哉さんは、実のお父さんのことを知っているの?」
「いや。実の父は俺が生まれて間もなく自殺した」
「え――」
「すべての事情を遺書に記して父さんに託したんだ。俺はそれを中学卒業時に教えられた。でも、とっくに気づいていたよ。俺が宇條実康の子どもではないことくらい」
「どうして?」

「父さんは子どもの頃の写真をなぜか見せてくれなかった。聞いたらいつもとぼけて、避けるんだ。それが不思議で、俺は祖母さんに頼んでアルバムを見せてもらった。そこに写ってる父さんの幼なじみを見て気づいた。その人は俺にすごく似ていると思った。特に幼い頃のものは。だから中学を卒業したら聞こうと考えていた。そしたら父さんから切り出されて、教えられた。宇條グループを引っ張っていく人間が、真実を知らないのはよくないだろうって」

 実康は立ち上がり、机の引き出しからなにかを取り出して戻ってきた。封筒と写真のようだ。実康はまず写真らしきものを雪乃に差し出した。雪乃は受け取ってそれを見た。それはやはり写真で、写っているのは若い実康ともう一人の男。確かに貴哉に似ている。実康よりも、よほど。

「彼は無二の親友であり腹心の部下で、名は浅見(あさみ)亮一(りょういち)。幼い頃、彼の父親が連帯保証人になって多額の借金を背負い、一家心中しようとしたのを、私が父に頼み込んで宇條で清算した。だから浅見の者はみな宇條のために身を粉にして働いてくれた。それに亮一は非常に優秀だったから宇條の金で大学に行かせた。あいつは弁護士になって私に尽くしてくれた。私たちは主従関係ではあったが、本当に親友だった。それを京佳が――こともあろうことに誘惑して子を産み、それを脅迫の材料にしたんだ。宇條グループの実情や私の弱点を裏で流すように迫った。亮一は、遺書をのこして命を絶った」

 実康はテーブルに封筒を置いた。表面にはなにも書かれていない。実康がひっくり返すと、左下に『浅見亮一』とある。

「すべてを明るみに出してお前に宇條グループを託すべきなのか、この件は伏せて貴哉に継がせ、京香やその実家の佐上家に口出し無用と釘を刺すべきか、思案していた。グループ傘下すべてに関わってくる問題で、感情的に決めるわけにはいかないからだ。その道筋が決まるまで、お前に詳細を伝えるべきかも思案していた。だが、京香が本気でお前に危害を加えようとしている以上、早く知らせておくべきと判断した」

「佐上家に宇條を乗っ取られないためには、雪乃が継ぐしかない。雪乃、自分がどれほど重要な存在がわかったと思う。俺は実の父と、黙って育ててくれた父さんの思いに応えるために、お前を守り、佐上家と戦う」

 口調もさることながら、二人の目には激しい怒りがある。雪乃はそれを目の当たりにして絶句し、ただただじっと二人を見つめるだけだ。

「その遺書は雪乃に預ける」
「ええ!?」
「自分の立場もそうだが、この家の状況や貴哉の覚悟がわかるだろう」
「いえいえ! 読んだら返します」
「であれば、解決したら、にするか」
「解決って?」

 実康は大きな吐息をついた。

「佐上とのいがみ合いに決着がついたら、だ。お前が継いで問答無用で黙らせるか、貴哉が継ぐが口出しさせないよう確約させるか」
「無茶です」
「決着は我々がつけるが、それはお前が持っていなさい。お前の気持ちが揺らがないように」

 雪乃はその言葉に、親切からのものではないことを察した。
 覚悟しろと言っているのだ。逃げられないと言っているのだ。
 遺書を持つ手が震える。
 自分の出生がとんでもないもので、恐ろしい場所に来てしまった。
 雪乃は突きつけられた現実に呆然となった。

「貴哉さんが……奥様を嫌っている理由はそれだったね」
「あの女はクズだ。どんなに家柄がよくても、中身は完全に腐っている。だからあの女と実家の佐上家に、この宇條グループを奪われてはならない」
「亮一の子は私の子と同然だ。しかも、中身もよく似ている。曲がったことが嫌いで、問題に対してまっすぐ突き進む。無茶をするからこちらはハラハラする」

 実康の言葉に貴哉は口を尖らせた。

「あの女の血が流れているかと思うと怒りで気が狂いそうになる。俺はどんなことがあっても宇條グループを守り抜く。そのためにはなんだってする。雪乃にはひどい言い方をしてしまって悪かった。でも……今、雪乃に去られたら困ることは事実だし、雪乃の身が危険なことも事実だ。だからどうしても手元に置いておきたかった」

「……うん」

「貴哉のやり方は強引であったことは事実だし、悪かったと思っている。だが、雪乃、こういう事情があっていろいろ面倒なことになっている。この通りだ。二人でこの宇條グループを守ってほしい。どうか――」

 実康が頭を下げるので雪乃は慌て、反射的に顔を小刻みに振る。

「私は事情が知りたかったのです。なにもわからず、ただ待て、ただ従えって言われても、不安ばかりだったので。この遺書もきちんと読んで、自分にできることはします」

 実康と貴哉は雪乃の言葉にホッとしたような表情になり、それぞれ頷いた。

 雪乃は貴哉とともに実康の部屋をあとにし、部屋に向かった。そして部屋の前に到着すると、雪乃に向き直った。

「実の父は家族を救い、大学に行かせてくれた宇條家をなによりも大事に思っていた。死んで罪を償おうとしたほど。父さんもそんな親友を信頼していた。二人は固い絆で結ばれていた。それなのに――あの女は引き裂いたんだ」

「…………」
「すべてを知りながらそれを飲み込み、本当の息子として接してくれる父さんに感謝している。死んだ実の父のためにも、俺は宇條を守る。雪乃、お前も」
「うん。ありがとう」
「じゃあ。おやすみ」
「おやすみなさい」

 貴哉は見守る中、雪乃は軽く会釈をして部屋に入った。扉を閉めるが、その扉に向かったまま身動きができない。心が乱れてなにも考えられず、扉に額をつけ、ただただじっと立ち尽くしていた。


< 14 / 27 >

この作品をシェア

pagetop