また、君と笑顔で会える日まで。
天馬紗希side

 ピーンポーンっというチャイムの音で目が覚めた。


 いつの間にか部屋は真っ暗で、手探りで枕元のスマートフォンを探し出し時間を確認する。

「え、もう21時……?」

 夕飯の時間はとっくに過ぎている。もしかしたら起こされたのに起きられなかったのかもしれない。
 のそのそとベッドから這い出て部屋の電気をつける。


 寝ぼけ眼で大きく背伸びをして首を回した時、トントントンっという一定のリズムを刻んだ母の足音が階段を昇ってきた。

「紗希、起きてる?開けるよ」

 部屋の扉はノックと同時に開いた。

「ごめん。ぐっすり寝ちゃった。夕飯はいらな──」
「来てるよ」
「え?」
「来てるのよ、お客さんが」
「うん。誰?」

 母の目が何故か少しだけ輝いているように見える。

「モチヅキホナミさんっていう可愛らしい女の子」
「へぇ……」

 頷きながら母の言った名前を反復する。


 モチヅキホナミって聞き覚えのある名前だ。

「え」
「学校のお友達だって」
「望月穂波!?えっ、穂波ちゃん!?」

 自分でも信じられないほど大きな声で彼女の名前を呼んでいた。


 心臓がドクンッと震えた。


 急激に口の中がかわいていく。どうして彼女が家にやってきたのかわからない。


 それに今何時!?そうだ、21時だ。どうしてこんな時間に彼女が。


 それにどうしてうちの住所を知っているの……?

「い、いないって言って!」
「え?」
「この家には天馬紗希はいませんって」
「それは無理よ。いるって言っちゃったもの」
「だったら、今出かけてるって」
「寝てるからちょっと待ってねって伝えてきたからそれも無理」
「え……どうしよう」

 まさか彼女が家にくるなんて予想外で頭の中がパニック寸前になる。


 どうして。何の目的で穂波ちゃんはうちに……?
 日野森さんと小豆沢さんと何かあった?それとも──。

「穂波ちゃん、紗希のこと心配してくれてたわよ」

 母が微笑む。

「心配……?」
「えぇ。せっかく来てくれたんだし、出てみない?」

 母が戸惑う私の背中を押した。

「うん……」

 躊躇いながらも、私は頷くことしかできなかった。


 階段を降りて恐る恐る玄関にいる人物に目を向ける。


 そこに居たのは紛れもなく穂波ちゃんだった。


 目が合うと、穂波ちゃんはいつもと同じようにキラキラとした笑顔を私に向けた。

「紗希、急にごめーん!連絡つかなくて心配になって来ちゃったよ」
「え……?」
「あたし、何回もLINE送ったんだよ?電話もしたの。でも全然出ないからさ」
「あ、ごめん……。スマホ見てなくて……」

 穂波ちゃんと目を合わせることができない。


 教室でほなみのことを無視した罪悪感が今になって胸の奥底から湧き上がってきて目頭を熱くさせる。

「傘、貸すって言ったのになんで使わなかったの?」
「自分の傘、持ってたから」
「なんで嘘つくの〜?あたし、見てたんだから。紗希が傘差さずにダッシュで校門に向かってるところ」
「え……」

 絶句した。どうしてそれを。

「昇降口まで追いかけたんだもん。もしかして、あの傘ボロボロだったから使いたくなかった?え、意外とそういうの気にする人?」
「違う、そうじゃなくて……──」
「じゃあ、なんで使わなかったの?ねぇ、紗希。言いたいことは頭で考えてるだけじゃ相手に1ミリも伝わらないんだよ。言わなきゃ分からないよ。分かってあげられないよ」

 穂波ちゃんは子供でも諭すかのような口調で言った。


 その声があまりにも優しくて胸の奥底から不思議な感情が湧き上がってくる。

「どうして……」
「うん」
「うちの場所が分かったの?」
「は?そっちか!!普通なんで来たのとかそういうこと聞かない?」

 言われてみてからハッとして口をあんぐりと開けた。


 たしかにそうだ。それも気になる。

「いやいや、感情が表に出すぎだから」
「で、でも、穂波ちゃんに教えたことなかったから」
「まぁいいや。先生に聞いたら個人情報がどうたらこうたらって教えてくれなくてさ。でも番地以外は教えてくれたかこのあたりかなぁーって目星をつけて歩いていたわけ。で、近くを歩いてたおばさんに「天馬紗希ちゃんって知ってますか?」って聞いたらお隣さんだったわけ。すごいミラクルでしょ〜?」
「え……」
「お隣って高橋さんでしょ?あのおばちゃんパワフルだねぇ。歩きながらずーっと1人で喋ってんの
半分は聴き逃したけどすごい疲れちゃった」
「あぁ、高橋さん……」

 たしかに隣の家には高橋さんというおしゃべり好きなパワフルおばさんが住んでいる。


 でも高橋さん……まさかあの話、してないよね……?


 ゴクリと唾を飲み込んでから恐る恐る尋ねる。

「高橋さん……なんか言ってた?」
「あそこのスーパーはこの時間お弁当が半額なんだとか、そんなことばっかり喋ってたよ」
「そ、そっか。そうだったんだね・・・・・・」

 ホッと胸を撫で下ろす。


 穂波ちゃんの反応からしてなにも聞かされていないようだ。


 高橋さんは私の過去の出来事を全て知っている。


そして、私も高橋さんのことをよく知っていた。


 昔から子供が大好きで自分の子供がほしくて何年もの間苦しい不妊治療をしたもののとうとう高橋さんのお腹にはあかちゃんが宿ってくれなかったらしい。

『うちは子供がいないでしょ?だからね、わたしは紗希ちゃんのことを自分の娘みたいに思ってるの』

 おばさんはいつも私を気にかけ、声をかけてくれた。


 だから、心苦しかった。中2のあの日、私がした行為は両親を……そして、自分のことを娘みたいに思ってくれている高橋さんを酷く傷つける結果になってしまった。


 喉の奥が苦しい。あの日の、ロープの感覚が今もまだ体に残っている。

「──紗希?どうした〜?」
「あ、ごめんね。それでどうしてうちに……?」
「そうそう。それが肝心なところなのよ!実はね、これを届けに来たの」

 そう言うと穂波ちゃんはバッグの中から何かを取り出した。

「これ……」

 ビニール袋の中にはコンビニの新作のスイーツが入っていた。


 そのスイーツの上には見覚えのある猫のチョコが乗っている。

「あたし、近くのコンビニでバイトしてるんだけど、このスイーツが今日から販売開始でさ。今日紗希が送ってきたスタンプの猫だって気づいて思わず買っちゃった。スイーツとコラボとかあの猫、意外と人気なんだね。ぶさかわいいってやつ?」

 何故か早口でまくし立てるように言うと、穂波ちゃんは袋ごと私に押し付けた。

「あ、ありがとう。お金……──」
「いらないよ!これでお金もらったら押し売りじゃん!」
「そっか。でも本当にいいの?」
「もちろん〜!」
「ありがとう」

 受け取りながら袋の中をのぞき込む。

「ブサカワなのかなぁ……?」

 可愛いと思うんだけど。

「いや、わかんないけど。まぁ、そこそこ可愛いけどねっ!」

 穂波ちゃんは何故か慌ててフォローすると、改まったように言った。

「あのさ……もしかして2人になんか言われた?」

 2人は日野森さんと小豆沢さんのことだろう。穂波ちゃんは察したのかもしれない。私が2人に何かを言われたことを。


 周りを見ていないようで彼女はよく見ている。

「言われてないよ」
「本当に?」
「うん」

 本当はいわれたけど、わたしは嘘をついた。


 相手を傷つけないためにつく嘘ならきっと許してもらえるだろう。

「それならいいんだけど。なんかあったらあたしに行ってよ?絶対ね?」
「うん」
「1人で抱え込まないでね?」

 心配そうな表情を浮かべる穂波ちゃんに微笑む。

「うん。それとスイーツ、買ってきてくれてありがとう。嬉しかったよ」

 コンビニの袋を胸にぎゅっと丁寧に抱きしめる。

「どういたしまして。てか、ごめんね、夜遅くに。お母さんにもごめんなさいって謝っといて」
「うん。あっ、このあたり分からないよね?大通りまで送ろうか?」
「あー、いい!全然大丈夫!!じゃ、また明日学校でね!」

 穂波ちゃんはそう言うとひらひらと手を振り玄関の扉を閉めた。


 胸が急に熱くなる。もっと話したかった。もっと一緒にいたかった。


 こういう感情って異性に対してだけ感じるものではないのかもしれない。

「あれ、お友達かえっちゃったの?」
「うん。夜遅くにごめんなさいって言ってた」

 玄関で立ちすくむ私に母が不思議そうに声をかけてきた。

「それは構わないけど、なにか用事があったの?」
「バイト先でスイーツを買ってくれたみたい」
「あら。そうだったの?良かったわね。どれどれ?」

 母が嬉しそうに私の手元の袋を覗き込む。

「あ、これ先週出た新作のスイーツね。お母さんのパート先で食べてる人がいたわ」
「え、先週……?今日じゃないの?」
「ちがうわ。先週見たもの。ぶさかわいいって話題になってたから間違いない」
「そうなの?」

 でも穂波ちゃんは今日発売したって言ってたよ。

『もしかして2人になんか言われた?』

 先程の穂波ちゃんの言葉が蘇る。

「もう夜も遅いし、車で家まで送ってあげたのに。1人で大丈夫かしら」
「私、ちょっと行ってくる──」
「えっ、ちよっ、紗希!?」

 わたしは母にスイーツの入った袋を渡すと、たたきにあった靴をはき飛び出した。


 急ぎすぎて躓きそうになり慌てて大勢を整える。


 家を出てからそんなに時間はたっていない。


 まだ近くにいるはずだ。


 必死に走っていると、視界に見覚えのある後ろ姿を捉えた。


 ──いた!!


 走るのをやめて早足に切り替える。


「穂波ちゃん!」と大声で呼ぶのははばかられるし、こんな暗闇の中突然かけよれば怖がらせてしまうかもしれない。


 近くにいってから声をかけようと決める。


 この辺りは街灯が少なく夜間の一通りも少ない。


 そのとき、静まり返っている夜道で穂波ちゃんの小さな声がした。

「─い」

 彼女はスマートフォンを耳に押し当てて誰かと電話をしているようだ。


 大声で呼ばなくてよかった。電話の邪魔をしてしまうところだった。


 ほっと胸をなでおろしてさらに距離を近づける。
 もう少し近づいて電話が終わるタイミングで声をかけよう。


 距離が近づくにつれて、心臓がドキドキしてくる。何を話せばいいのか自分でも分からないまま彼女のことを追いかけてきてしまった。


 そうだ。母が車で家まで送ると言っていたと伝えよう。そういえば追いかけてきてもおかしくないだろう。


 そのとき、突然彼女がピタリその場に立ち止まった。


 私もつられて足を止める。

「─さい」

 暗闇の中、彼女は背中を丸めていた。


 でも何故かその背中か小刻みに震えている気がする。

「ごめなさい」

 彼女はかすれた声で電話口の相手に何度も何度も誤っている。


 太陽のように明るくて眩しい彼女と、背中を丸めて今にもなきだしてしまいそうな程弱々しい声で誤っている彼女はまるで別人のようだった。


 もしかしたら、穂波ちゃんでは無いのかもしれない。


 きっとそうだ。きっと別人だ。


 足に根が張ってしまったかのように1歩も前に出すことが出来ない。


 駆け寄ることも、声を出すことも出来ずその場で立ちつくしている間に彼女は再び歩き出した。

「違うよね……?」

 どんどんちいさくなっていく制服の少女が穂波ちゃんではないことをわたしは願わずにはいられなった。



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