うばわれたのは、こころとくちびる
 いつか湯瀬さんと一緒に飲めたらな、とこれからの関係に僅かながら期待しつつ、今夜はどれを飲もうか、と綺麗に並べられた酎ハイを上から順に目で追った。直感で、グリーンアップルにしよう、とガラス扉を開き、漏れる冷気を浴びながら缶を手にしたその時、店の扉を開閉すると鳴り響く陽気な音楽が耳に届いた。客が来た、と、思った。

「金を出せ」

 湯瀬さんの発した接客用語を掻き消すほどの威圧的な声に、商品を買いに来た客とは思えない言葉に、何事かと俺は出入り口に目を向けた。が、声の主はそこではなく、湯瀬さんのいるレジカウンターの前にいた。全身黒ずくめの大柄な男だった。

 男は金を要求している。強盗だ。強盗だとすぐに分かった。

 レジの反対側、店の奥にいる自分の存在は男にバレていないだろうに、テレビでしか見たことのない事件に遭遇してしまったことで、半ばパニックに陥る。動悸がした。急激に高まった緊張感に冷や汗が流れた。缶にできた結露が指を伝った。

 自分のやるべきことを見出せずに不甲斐なくはわはわと狼狽してしまっていても、湯瀬さんが危ないことだけはしっかりと認識していた。湯瀬さんが危ない。

「早くしろ。殺すぞ」

 殺すと言っている。言いながら、男は服の内側から何かを取り出した。身を隠すというせこい真似をして覗き込むように見れば、それは鋭利な刃物だった。どきりとする。湯瀬さんが危ない。
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