最後の詰みが甘すぎる。
「今八時じゃん!!間に合うの?」
「九時に飛ぶなら九時に行けばいいんじゃないのか?」
「何言ってんの!!乗る前にチェックインして保安検査場通らなきゃいけないの!!九時に行ったらすぐに乗れるわけじゃないよ!!」
「……そうだっけ?」
「もうっ!!しっかりしてよ!!」
将棋の道に邁進してきた廉璽には、一般常識に疎いところが多々ある。いちいち指摘する身にもなって欲しい。
柚歩は先日のように早く出掛けろと廉璽を急かした。
「じゃあ、柚歩。行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
名人戦第三局。二局を終え、一勝一敗の両者が第三局ではどのような戦いを繰り広げるのか。おそらくネット上では開始前から予想合戦が繰り広げられている。
「柚歩」
「忘れ物?」
「いや、この間言い忘れたことなんだけど……」
「ああ、あれ結局なんだったの?」
「名人になれたら俺と結婚してくれ」
行ってきますの挨拶とまったく同じ口調だった。
いきなりのプロポーズに柚歩はしばし意識を飛ばした。
(結婚……?)
本気か尋ねようとしてやめた。廉璽がこの手の嘘をつかないのは長い付き合いで知っている。
「ごめんね、廉璽くん。私、将棋を指す人とは恋愛も結婚もしないって決めてるの」
柚歩はそう言うとぼうっと突っ立っていた廉璽の背中をグイグイと押した。
「ほら、早く行かないと本当に飛行機に乗り遅れるよ」
「柚歩っ……!!」
柚歩は玄関の扉をパタンと閉めると、その場にずるずると崩れ落ちた。
我ながら最低最悪の断り文句だ。
(これでいいんだ……)
廉璽のプロポーズを断った柚歩に初体験の痛みだけがいつまでも残り続けた。