君とゆっくり恋をする。Ⅱ【第6話完結しました】(短編の連作です)



心臓が口から飛び出してきそうなほどドキンドキンと跳ね上がっている。傘の柄を握る右手は、じっとりと汗ばんでいる。敏生は消え入りたいような気持ちになりながらロッカールームに駆け込んだ。


ロッカーの中、元あった場所に傘を再び納めて、深いため息を吐く。
この全身を蝕む虚脱感……。


「……俺は、何をやってるんだ……」


ロッカーに額を押し付けながら、苦虫を噛みつぶすように密かに呟いた。こんなことを何度も繰り返し、そのたびに深い後悔を味わっているのに、敏生はここから抜け出せない。この結乃の傘も、かれこれ1カ月近く敏生のロッカーの中に保管されている。その間には雨の降る日もあった。結乃が困っただろうと想像すると、敏生は本当にいたたまれなくなる。


「えらく辛そうなため息だな。どっか調子悪いのか?この後の会議、お前の案件のはずだけど?」


背後から声をかけられ振り向くと、先輩の鳥山だった。
自他ともに認めるプレーボーイの鳥山は、女性を落とすことが趣味のような男だ。それゆえ、恋路のためには仕事を犠牲にすることも躊躇しない。この鳥山の尻ぬぐいを、敏生は何度させられてきたか分からない。


「大丈夫です。プレゼンの準備は、万全ですから」


敏生は心の中を気取られないように、敢えて取り澄ました態度で応えた。


「お、さすがだね、芹沢くん!やっぱ、君に任してれば間違いないよね!」


鳥山は親指を立てて、敏生にウインクして見せた。敏生の胸に秘められた深い悩みなど知る由もない鳥山の、この脳天気ぶりに、敏生は返す言葉を見つけられなかった。



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