この恋がきみをなぞるまで。
「俺は」
城坂くんの伸ばした手が、躊躇いがちに左腕に触れた。
その手が震えているような気がして、一度は下に落とした目線を上向ける。
「芭流が、いたから。書道を始めたし、芭流と繋がる唯一だったからずっと続けてた。芭流もそうだと思っていたから。本当は、高校に入ってすぐのころ、クラスは違ったけど、芭流が右手を使っていることも、左腕の様子がおかしなことも気付いてた」
「……うん」
「何があったのか、なんて、きける立場じゃないと思ってた。でもそれはただ、逃げていただけで。いつもきっかけがないと動けなくて。それさえ、芭流に言いたい言葉にならなくて」
わたしが城坂くんを見ていて、城坂くんもわたしを見ているから、お互いに気が付くところがあって、突っかかってくる城坂くんは黙ってはいられない性分なのだろうと思っていた。
城坂くんに見える場所で、弱い自分を晒す自分が悪いと思っていたし、衝動的なものではなくて、たくさん考えた結果の行動もあったのだろう。
わたしの言葉や行動ではなくて、城坂くんが彼自身で傷付くのなら、そこにわたしが関わっているのなら。
わたしもあの手紙に書いてあったように、二度と会わないでいるべきだと思う。
「だけど、先生のところで話したときの、感じたこともないような穏やかで心地のいい時間と、芭流のいなくなったあとの話を聞いたときから、少しずつ、手紙に書いた気持ちと違ってきて」
「わたしもあのとき、同じことを感じてたよ」
「……そうか。本当に、あの時間が、続けばいいと思うほど。なんて言えば、いいのかな。幸せだと、感じてた。球技大会のときも、ちさとって言ってくれたとき、嬉しくて。腕のことは知っていたし、止めるべきだったのかもしれないけど」
城坂くんの言う場面がすべて思い出せるほど、同じときに同じ場所で、同じことを感じていた。
「裏葉と、出かけるとか話してたときは、気分悪かったし。あとから、裏葉が好きなのは柚木だってきいて、安心した」
「ちがうって言ったのに、きいてくれなかったから」
バツが悪そうに笑って、それから、とまた真剣な顔付きに戻る。
そのあと、の記憶に残っているのは、思い出したくもないあの怪我をしたときのこと。
「痛かったろ。ごめんな」
「……痛かったけど、それ以上に、怖かった。城坂くんが怪我をしたのは利き手だったから。動かなくなったら、どうしようって。わたしみたいになったら、って、こわくて」
「うん。たぶん、そう思ってるんだろうなって、あのあとも芭流のことをずっと考えてた。自分の怪我なんて、どうだってよかった。芭流のことだけ、ずっと考えていて」
「城坂くんはもう、痛くない?」
城坂くんの右手を取ると、素直に委ねてくれた。
わたしよりも一回り大きな手は、かたくて、厚くて、つめたくて、でもあたたかかった。
「芭流に会わない間はずっと、考えないことにしてた。だって、いつかは離れる日が来るから。だけど、6月頃、芭流が休んでるって裏葉にきいて。去年のこの時期もそうだったと思った、たぶん、季節柄の体調不良だとは思ったけど、でもふと、いなくなったときのことを思い出した」
「城坂くんの連絡先、あんな風に知ると思わなかった」
「俺も、あれがなかったら、聞く気なかった」
あとは、この数ヶ月で目まぐるしく変わったわたし達の周りのことを、知らなかったことを、共有していく。
寒空の下で、この時間を、限りなく愛おしいと思う。